柏木 幸助(読み)カシワギ コウスケ

20世紀日本人名事典 「柏木 幸助」の解説

柏木 幸助
カシワギ コウスケ

明治・大正期の発明家,実業家



生年
安政3年12月(1856年)

没年
大正12(1923)年

出生地
周防国三田尻(山口県防府市)

学歴〔年〕
華浦医学校

経歴
代々続く薬種商の長男に生まれ、地元の華浦医学校などで理化学を学ぶ。発明家として知られ、20歳の時、安全マッチの製造成功したほか、明治16年医療用体温計を開発。32年には、しょう油製造の過程ジアスターゼ(消化酵素)も発見し、“柏木ジアスターゼ”の名で国内外で話題となった。また、20年に設立し、昭和34年まで操業した体温計の製造会社は、最盛期には年間50万本を製造。海外輸出も手がけるなど発明工夫の企業化に成功した人としても知られた。大正2年2代幸助が事業を継承し、柏木体温器製造所に発展した。平成7年防府市民有志により柏木幸助顕彰会が設立され、資料収集や銅像建立計画が進められ、10年に開館する防府市青少年科学館の前庭ブロンズ立像が建てられることが決まった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「柏木 幸助」の解説

柏木幸助

没年:大正2?(1913)
生年:安政3.12(1856)
明治期の発明家,実業家。周防国三田尻(防府市)出身。寒暖計,検温器の製造で知られるが,生家は代々続いた薬屋で,生来調剤への関心が強く,安全マッチ,醤油醸造の「早造り法」,「柏木ジアスターゼ」でも名を残す。明治14(1881)年三田尻で寒暖計,検温器(水銀体温計)の製造を試み,16年11月にその第1号を製造した(製出年代は東京の山崎豊太郎の方が早い)。当時の検温器は輸入品で高価であったが,日露戦争後販路を拡大,43年には英米仏など先進国を視察し,帰国後製品の改良をはかり,「其の製出種類実に五十五種の多きに達し」,国内はもとより南洋,カナダ方面へも輸出,柏木体温計の名は世界に知られた。発明工夫を企業ベースに乗せた異彩を放つ人物であり,巨額の富を築いたといわれる。大正2(1913)年に2代幸助が事業を継承。<参考文献>松岡利春編『郷土史辞典・山口県』

(武知京三)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「柏木 幸助」の解説

柏木幸助(初代) かしわぎ-こうすけ

?-? 明治時代の実業家。
薬商の家に生まれ,化学をまなぶ。はじめマッチ製造に従事し,寒暖計の製造に転じ,さらに体温計の研究にとりくみ,明治16年(1883)苦心の末,水銀体温計の製造に成功。事業は子の2代柏木幸助にひきつがれ,柏木体温器製造所に発展した。山口県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

防府市歴史用語集 「柏木 幸助」の解説

柏木幸助

 1856年(安政3年)に三田尻で生まれ、華浦医学校[はなうらいがっこう]で物理や化学を学びました。日本ではじめて体温計を作ったほか、しょうゆを早く醸造する方法や、酵素を発見して消化剤を生み出すなど様々な発明を行いました。また、多くの会社を設立し、産業・文化の面で防府の発展に力を注ぎました。

出典 ほうふWeb歴史館防府市歴史用語集について 情報

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