英宗(読み)エイソウ

デジタル大辞泉 「英宗」の意味・読み・例文・類語

えい‐そう【英宗】

[1427~1464]中国みんの6代(正統帝)、8代(天順帝)の皇帝在位1435~1449、1457~1464。姓名朱祁鎮しゅきちん。1449年、土木の変オイラートエセンの軍に敗れ捕虜となった。翌年に帰国し、弟の7代景帝の没後復位した。

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精選版 日本国語大辞典 「英宗」の意味・読み・例文・類語

えいそう【英宗】

  1. 中国、明の第六代および第八代の皇帝(在位一四三五‐四九一四五七‐六四)。年号正統と天順。幼少で即位し、宦官専横を招いて政治がみだれ、福建鄧茂七の乱が起こった。土木の変でオイラートのエセンに捕らわれたが、のち釈放されて復位。(一四二七‐六四

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「英宗」の意味・わかりやすい解説

英宗[元]
えいそう[げん]
Ying-zong; Ying-tsung

[生]大徳7(1303)
[没]至治3(1323)
中国,元の第5代皇帝 (在位 1320~23) 。格堅皇帝 (ゲゲン・ハン) ともいう。諱は碩徳八剌 (シデバラ) 。諡は睿聖文孝皇帝。延祐3 (16) 年武宗の長庶子和世ら (ホシラ) をさしおき 14歳で立太子。中書右丞相テムデル (鉄木迭児)と興聖太后の意志によったので,即位後太后の支持を背景にテムデルが専権をふるったが,至治2 (22) 年の両人死後,初めて英宗の親政が確立した。まずバイジュ (拝住)を中書右丞相に任じ,テムデル一派の粛清による政治腐敗の改革に着手。科挙を継続し,大元通制頒布によって法制を正し,禁軍を強化するなど皇帝権伸張に努力した。しかし再粛清を恐れたテムデル一派の御史大夫テクシ (鉄失)らにバイジュとともに殺された。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「英宗」の解説

英宗(えいそう)

正統帝(せいとうてい)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「英宗」の意味・わかりやすい解説

英宗
えいそう

正統帝

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世界大百科事典(旧版)内の英宗の言及

【土木の変】より

…中国で1449年(正統14),河北省懐来県付近の土木堡で,明の英宗がオイラート軍に捕虜となった事件。1440年代西モンゴリアを根拠地に北アジア遊牧地帯のほぼ全域を握ったオイラート部長エセンは,国力充実の一環として明に対して大規模な通商活動を展開し,支配下の西域商人の隊商などを送り込む一方,銃,弓,鉄器などの禁制品の密輸をはかった。…

※「英宗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」