野尻抱影(読み)のじりほうえい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「野尻抱影」の意味・わかりやすい解説

野尻抱影
のじりほうえい
(1885―1977)

星の民俗学者、随筆家横浜市生まれ。本名は野尻正英(まさふさ)。作家の大仏次郎(おさらぎじろう)の兄。1906年(明治39)早稲田(わせだ)大学英文学科を卒業。甲府中学、麻布(あざぶ)中学の教師を経て、1919年(大正8)出版社の研究社に入社、第二次世界大戦終戦まで編集に携わった。この間、天文に関する随筆を多数執筆、また1930年(昭和5)には、当時発見され、太陽系第9番惑星とされたプルートーに「冥王星(めいおうせい)」という和名を提案した。なお、2006年8月の国際天文学連合(IAU)総会において、冥王星を太陽系の惑星とせず、準惑星(じゅんわくせい)とする新定義がなされている。民俗学的視点から著した『日本の星』(1936)、『日本星名辞典』(1973)ほか、多くの著作がある。

内田 謙 2019年2月18日]

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20世紀日本人名事典 「野尻抱影」の解説

野尻 抱影
ノジリ ホウエイ

昭和期の星の研究家,随筆家,英文学者



生年
明治18(1885)年11月15日

没年
昭和52(1977)年10月30日

出生地
神奈川県横浜市

本名
野尻 正英(ノジリ マサフサ)

学歴〔年〕
早稲田大学文学部英文科〔明治39年〕卒

経歴
甲府中学校の英語教師となり、明治45年東京・麻布中学校に転じる。大正8年研究社に入社、雑誌主幹、編集部長を務めた。傍ら、天文随筆を執筆。昭和13年から7年間、東日天文館の解説者。15年から早稲田大学文学部講師。19年研究社を退社。31年五島天文博物館理事。この間、11年に日本の星の名を集めた「日本の星」を著す。また新発見の第9番惑星プルートに“冥王星”という訳名を提案、学術用語に採用された。著書には星座を解説した処女作「星座巡礼」や「星座神話」「星と東西文学」「野尻抱影の本」(全4巻 筑摩書房)などがあり、星の文化史的、民俗学的な研究で名声を博した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「野尻抱影」の意味・わかりやすい解説

野尻抱影
のじりほうえい

[生]1885.11.15. 横浜
[没]1977.10.30. 東京
随筆家。本名,正英。 1906年早稲田大学英文科卒業。在学中から相馬御風らの雑誌『白百合』に評論などを発表。その後ジャーナリストとして活躍するかたわら,星座についての研究を深め,星のロマンチシズムについて語る随筆家として知られた。『星座風景』 (1931) ,『星の神話伝説集成』 (54) ,『日本の星』 (57) など多くの著書がある。冥王星の命名者。作家大仏次郎の兄。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野尻抱影」の解説

野尻抱影 のじり-ほうえい

1885-1977 昭和時代の天文研究家。
明治18年11月15日生まれ。大仏(おさらぎ)次郎の兄。出版社勤務のかたわら,星座や天文に関する啓蒙書,随筆をおおく執筆。また星の名についての方言を収集して「日本星名辞典」にまとめた。昭和52年10月30日死去。91歳。神奈川県出身。早大卒。本名は正英。著作に「星座巡礼」「日本の星」など。
【格言など】私の死後の連絡先は……(死の間際のつぶやき)

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百科事典マイペディア 「野尻抱影」の意味・わかりやすい解説

野尻抱影【のじりほうえい】

文学者,民俗学者。横浜の生れ。本名正英。大仏(おさらぎ)次郎は弟。世界各地の星の神話や伝説などの考証を行う。《日本の星》をはじめ,日本古来の数百種にのぼる星の和名を集めた《日本星名辞典》などの著書がある。
→関連項目大仏次郎

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367日誕生日大事典 「野尻抱影」の解説

野尻 抱影 (のじり ほうえい)

生年月日:1885年11月15日
昭和時代の天文研究家;随筆家。研究社編集部長;五島天文博物館理事
1977年没

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