高瀬 文淵(読み)タカセ ブンエン

20世紀日本人名事典 「高瀬 文淵」の解説

高瀬 文淵
タカセ ブンエン

明治期の評論家,小説家



生年
文久4年1月26日(1864年)

没年
昭和15(1940)年1月26日

出生地
安房国(現・千葉県)

本名
黒川 安治

学歴〔年〕
千葉師範〔明治14年〕卒

経歴
富津小学校長などを歴任してのち上京し、文筆生活に入り「廻瀾」「詩篇 若葉」などの小説を発表。その後は小説を書くかたわら評論家として理想主義的文学論を展開する。日本女学校の教壇に立ち、教科書編集にもたずさわる。他の作品に「朝日影」「夕月夜」「富岡城」などがある。昭和5年日本文化協会を興し、9年「皇国の経論及規範」を刊行した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「高瀬 文淵」の意味・わかりやすい解説

高瀬文淵
たかせぶんえん
(1864―1940)

評論家、小説家。安房(あわ)(千葉県)生まれ。本名黒川安治(やすじ)。千葉師範学校卒業。1893年(明治26)小説『詩篇若葉』を刊行、詩的小説を世に示そうとした。その後、評論家として活躍し、森鴎外(おうがい)、田岡嶺雲(れいうん)らとも論戦川上眉山(びざん)、田山花袋(かたい)らに感化を与えた。他方、『富岡城』(1899)などの小説を明治30年代初期に発表した。同40年ごろ文壇から去り、教育界へと転じたが、大正期にも『講談倶楽部(くらぶ)』などに読物を書いた。

[岡 保生

『『明治文学全集23 高瀬文淵他集』(1971・筑摩書房)』

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百科事典マイペディア 「高瀬 文淵」の意味・わかりやすい解説

高瀬文淵【たかせぶんえん】

評論家,小説家。本名黒川安治。千葉県生れ。千葉師範卒業後,教鞭をとり,1890年ごろから文筆活動を始める。1892年江見水蔭が創刊した《小桜縅(こざくらおどし)》で評論家として活躍する。独特な詩的理想主義を唱え,〈詩篇〉と銘打った小説《若葉》を発表。その後は《新文壇》の主幹などを務め,森鴎外をはじめ,多くの論者と盛んに論戦を交わした。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高瀬 文淵」の解説

高瀬文淵 たかせ-ぶんえん

1864-1940 明治-昭和時代前期の評論家,小説家。
文久4年1月26日生まれ。雑誌「小桜縅(こざくらおどし)」で評論活動をおこない,また詩的小説をとなえ小説「詩篇 若葉」を刊行。森鴎外,田岡嶺雲らと論戦,理想主義的文学論を展開した。昭和15年1月26日死去。77歳。安房(あわ)(千葉県)出身。千葉師範卒。本名は黒川安治。

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367日誕生日大事典 「高瀬 文淵」の解説

高瀬 文淵 (たかせ ぶんえん)

生年月日:1864年3月10日
明治時代の評論家;小説家
1940年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報