出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
スズメ目ヒタキ科の鳥。サヨナキドリと呼ばれることも多い。全長約17cm,全体に褐色のじみな羽色をして尾が強く赤みを帯びる。西ヨーロッパおよび北アフリカから中央アジアに繁殖し,秋・冬季にはアフリカに渡る。落葉広葉樹林や大きな庭園などにすみ,おもに地表付近を移動しながら昆虫をとって食べる。美しい声でさえずることでよく知られ,ヨーロッパの三名鳥の一つに数えられている。ヨーロッパの文学作品に登場することも多い。さえずりは春から初夏にかけて,昼間だけでなく夜にも聞かれる。巣はイバラやイラクサなどの中の地表近くにつくり,4~5個の卵を産む。抱卵は雌だけが行い,育雛(いくすう)は雌雄ともに行う。近縁種のキタサヨナキドリL.lusciniaは,形態や習性は前種によく似ているが,分布が北方に偏っていて,スカンジナビアの南部および東ヨーロッパから中央アジアにかけて繁殖している。
執筆者:樋口 広芳
中世ドイツの抒情詩で,夜の歌姫ナイチンゲールは愛する若い男女の恋の点景をなしているが,透明で美しい歌声をもつこの恋の使者は古来多くの詩や民謡にうたわれてきた。したがってこの鳥をめぐる伝説も多い。ギリシア神話ではフィロメラあるいはプロクネがナイチンゲールに姿を変えられたという。北欧神話では,フレイヤが長旅に出た夫を慕って探し回ったとき,哀愁をおびた歌をうたって慰めたのは彼女のお気に入りのこの鳥だったという。愛の鳥としてこの鳥との出会いが吉兆とされる一方,民間信仰では〈墓場鳥〉と称されて,死と結びつけられている。南ドイツでは病床にある病人にナイチンゲールは歌をうたいながらおだやかな死をもたらすとか,窓をつついて異国で死んだ者のことを告げ,家の近くで鳴いて,その家の凶事を知らせるといわれる。
執筆者:谷口 幸男
看護婦で病院改良家。イギリス人の裕福な両親がフィレンツェに滞在しているときに生まれ,それにちなんでフローレンスと名づけられた。諸国の病院を訪れ,ことにドイツのデュッセルドルフ郊外にフリードナーTheodor Fliedner(1800-64)の設立したプロテスタント婦人奉仕団病院で正規の看護婦訓練を受け,当時看護活動が技術無視の召使仕事と解せられた時代にあって,高度訓練を受けた看護婦がいかに重要であるかを学んだ。1853年,ロンドンの病弱婦人病院長に任ぜられたが,54年のクリミア戦争勃発には38名の看護婦を率いてトルコのスクタリ基地に従軍し,低劣をきわめる衛生条件で伝染病の続発する陸軍病院の改善に奔走した。イギリスへ帰還して後は,ロンドンでも著名な聖トマス病院にナイチンゲール看護学校を設立し,看護婦の社会的地位の飛躍的向上に貢献した。1907年,婦人最初の勲功章(Order of Merit)を授けられ,世界看護婦界の模範と仰がれている。なお,赤十字国際委員会では20年以来,顕著な働きを示した看護婦に対してフローレンス・ナイチンゲール記章を授与している。
執筆者:嶋田 啓一郎
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「サヨナキドリ」のページをご覧ください。
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…これら看護学の三つの領域は独自に発展するものではなく,相互に影響を及ぼし合っている。 欧米における看護学の発展の歴史をみてみると,1859年にF.ナイチンゲールが《看護覚書》を著し,それまでの経験主義的看護に科学性を追求し,看護を学問として構築する礎を築いた。その後アメリカにおいて,1950年代から,看護を学問として理論化する動きが幾人かの看護研究の先駆者たちによって行われてきた。…
… 産業革命以降,機械工業の発達は職種,職業をあらわす制服や作業衣の普及を促した。女子労働者の制服の先駆けをつくったのはナイチンゲールで,1860年ころ,彼女の病院で働く看護婦に当時流行していたクリノリンの着用を禁止し,スカートの上から白いエプロンをつけさせた。また医師や料理人の白衣は,その清潔なイメージから20世紀に入って広まった。…
※「ナイチンゲール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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