ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
スズメ
Passer montanus; Eurasian tree sparrow
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鳥綱スズメ目ハタオリドリ科の鳥。同科スズメ属19種中の1種。全長約13.8センチメートル。雌雄同色で、頭は栗(くり)褐色、上面は赤褐色に黒の縦斑(じゅうはん)があり、顔と頸側(けいそく)は灰白色、耳羽の後半とのどの黒斑が顕著である。シベリアの北部とインド半島を除いたユーラシアのほとんど全土、日本、台湾、海南島、大スンダ列島などに分布する。オーストラリア、セレベス島、フィリピン、アメリカ合衆国などにも生息するが、これは輸入されたものである。同属で大形のイエスズメP. domesticusのほうが勢力が強く、イエスズメの分布する地域では、その優勢におされてスズメは少なく、かつ人家から遠ざけられている。しかしアジアではいまのところイエスズメの侵入はまだ西部地域のみで、スズメが人間の身近に存在している。日本では南千島から琉球(りゅうきゅう)諸島まで全国に普通であるが、近年すこしずつ減少の傾向がみえる。
スズメは本来樹上に営巣する鳥で、地上2~10メートルの樹上に膨大な草の茎葉を使って丸い横型の巣をつくる。隣どうしの巣が連なって集団営巣のようになることもある。松の木であることもあれば、ツゲや貝塚を利用することもあるが、けっしてじょうずな巣づくりとはいえず、むしろ乱雑にさえみえる。長い年月、人間とかかわり合って、人間の改良した穀物の味を覚えたからか、人家のある所かならずスズメがいると思わせるまでになり、巣づくりも樹上から人家の構造物に移動するようになった。人間の去った廃村には家屋が残ってもスズメは残らないほど、人間とのかかわり合いが深い。早春から夏にかけてが営巣期で、この時期は雑草の種子もとるが、昆虫などの動物食も多くとり、冬季の雑草駆除と相まって春夏季の害虫駆除の効果は大きい。秋になると農耕地に集まり、夜は葦原(あしはら)、竹やぶなどを集団のねぐらとするが、稲穂を食害するので、近縁種でヒマラヤ、中国、本州以北などで繁殖するやや小形のニュウナイスズメP. rutilansとともに農家から嫌われ、古くから焼きとりとして賞味される。冬季は人家付近に帰る。
[坂根 干]
鎌倉時代の『十訓抄(じっきんしょう)』には、人の霊がスズメに化した話がみられる。奥州へ流された藤原実方(さねかた)は、都へ戻ることを願いながらかの地で死に、その霊は化してスズメとなり、宮中へきて台所の飯をついばんだとある。貝原益軒の『大和(やまと)本草附録』などにみえる江戸時代の俗伝では、これをニュウナイスズメの起源説話に結び付け、そのスズメが内裏(だいり)へ入ったことから入内雀(にゅうないすずめ)とよぶとあるが、ニュウナイは「新嘗(にいなえ)」と同語で、「新穀を食うスズメ」という意味であろう。
スズメは実ったイネなどの穀物を食う害鳥として知られ、日本の案山子(かかし)(鳥おどし)の大半は、このスズメを追うために仕組まれている。秋田県大仙(だいせん)市内小友(うちおとも)の加茂神社は「スズメの神様」とよばれ、「加茂神社鳥虫除守護符」の立札を田に立て、スズメ除けの祈祷(きとう)をしてもらうと、どんなにスズメがきてもその田の稲穂だけはついばむことがないという。ルーマニアの北西部地方には、穀物をスズメから守るために、播(ま)き始めに「これはスズメのため」といって、一握りの種を頭越しに後方へ投げる習慣があった。
アイヌでは、神が天地をつくったときにスズメは人間といっしょに地上へ降ろされたので、人間が穀物を搗(つ)くとかならずスズメがきてその穀物を食べると伝える。スズメが酒を醸して他の動物をもてなしたという物語もある。中部地方でも、晩秋の夕暮れにスズメが大木に群がって騒ぐのを「スズメが酒倉をつくる」という。穀物を食うスズメが、穀物で酒をつくるとみなしたもので、イラムシ(イラガ科の幼虫)の繭が壺(つぼ)のような形をしていることから、これを「スズメの壺」「スズメの酒桶(おけ)」「スズメの担桶(たご)」「スズメの据え風呂(ぶろ)」などとよぶ。中国にも「スズメの甕(かめ)」などの称がある。
[小島瓔]
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