( 1 )中国に渡った伝道医師ホブソン(合信)の「西医略論」(一八五七)で症状、病理、治療法が紹介された。同書と同氏の著「医学英華字釈」(一八五八)において「━炎」による病名が十数語造られ、「胃炎」もその中の一つであった。
( 2 )一方、日本では、「医語類聚」に「胃炎」など「━炎」による病名が一六〇語以上登録された。また「漢洋病名対照録」(一八八二)においても「急性胃炎、慢性胃炎、中毒性胃炎」などが用いられている。
組織学的に胃壁ことに胃粘膜の炎症で、胃内視鏡検査や胃生検の進歩により、かなり根拠をもって診断がつけられるようになった。一般に、臨床経過や組織学的所見から急性胃炎と慢性胃炎に大別される。急性胃炎は胃粘膜の急性炎症で、原因の明らかなことが多いが、慢性胃炎は本質的には胃粘膜とくに胃腺(いせん)の萎縮(いしゅく)であるが、その成因についてはなお不明の点が多い。一般に、この両者の間には因果関係は認められないことが多く、診療上それぞれ独立した疾患と考えられる。
[増田久之・荒川弘道]
一般に急激に発病し、経過は短く、明らかな原因を指摘できることが多い胃炎で、普通、急性外因性胃炎、腐食性胃炎、急性感染性(または伝染性)胃炎、急性化膿(かのう)性(または蜂巣炎(ほうそうえん)性)胃炎の四つに分けている。
(1)急性外因性胃炎 普通にみられる胃炎で、急性胃カタルともいわれる。食事の不摂生、過度のアルコール、コーヒー、香辛料やサリチル酸製剤、ジギタリス、ヨード剤、抗生物質などの薬剤の化学的刺激、過冷または過熱の食品、不消化物の暴飲暴食、腐敗した食品などで発病するほか、特定の人では牛乳、卵、カニ、魚肉などを食べるとアレルギー反応で発病する。症状は、食事の不摂生などの原因が作用したあと数時間たってから、悪心(おしん)、げっぷ、胃部圧迫感などで始まり、しだいに疼痛(とうつう)が増大して嘔吐(おうと)をみる。食欲不振や舌に白苔(はくたい)と口臭を認める。腸炎を併発すると下痢がみられる。経過は短く1日から1週間である。治療はまず、病因となった有害物の速やかな排除と、胃および全身の安静で、有害物がまだ胃内に残っていると思われるときは、のどの奥を刺激して嘔吐させるか、または胃洗浄を行い、腸の症状を伴っているときは下剤を用いる。1~2日絶食させ、薄い番茶の少量から始めて、症状が軽快するにつれて、重湯(おもゆ)からしだいに粥(かゆ)、常食に移行する。自覚症状が消失しても胃粘膜の病変は数日間続くので、できるだけ長く食事療法をさせるほうがよい。疼痛や悪心、嘔吐に対してはそれぞれ鎮痙(ちんけい)剤や制吐剤を与える。脱水症状の激しいときは、水分の補給が必要である。
(2)腐食性胃炎 腐食性薬剤の誤飲または自殺の目的で飲用した場合におこる。硫酸、塩酸、石炭酸などの強酸や、水酸化ナトリウム、水酸化カリウム、炭酸アンモニウムなどの強アルカリ、昇汞(しょうこう)、硝酸銀、ヒ素化合物などの重金属、ホルマリン、リンなどである。腐食剤が薄ければ急性外因性胃炎がおこる。症状は口唇、口腔(こうくう)粘膜に腐食を認め、咽頭(いんとう)、食道および胃に腐食性変化が現れる。悪心、嘔吐が激しく、吐物に血液が混じり、それぞれ特有の臭気を放つ。胃部の激痛、口渇とよだれを伴う。重症ではショックに陥る。予後は腐食剤の種類、濃度、量によるが、軽症では完全に治りうるが、重症ではショックが回復しないまま死亡することがある。ときに声門浮腫(ふしゅ)、胃出血、胃穿孔(せんこう)などの重篤な合併症をおこす。また重篤な炎症の治ったのちに、食道狭窄(きょうさく)や幽門狭窄などの後遺症を残すこともある。治療は、ショックに対する救急処置と並行して、腐食剤に拮抗(きっこう)する薬剤でできるだけ早期に胃洗浄をする。食事は厳重な出血性胃潰瘍(かいよう)の場合と同様にする。
(3)急性感染性胃炎 腸チフス、しょうこう熱、肺炎、インフルエンザ、ジフテリア、ボツリヌス中毒(ソーセージ中毒)などの感染症の際にみられる。これは細菌毒素が胃粘膜を障害しておこるもので、尿毒症の際にも同様の理由で胃炎がおこる。内視鏡検査で胃粘膜に発赤、浮腫、びらんと出血を認める。自覚症状では食欲不振がもっとも多く、腹痛はなく胃部膨満感を訴えることが多い。悪心、嘔吐、吐血をみることもある。経過は一般に良好で、急性感染症の治癒とともに軽快するが、慢性化する傾向があるので、早期治療が必要である。治療は原疾患の治療がたいせつで、これにより予防も可能である。胃酸分泌の低下することが多いので、総合消化酵素剤は有効である。各種ビタミンを与え、少量ずつ回数を多くした食事療法を行う。
(4)急性化膿性胃炎 化膿菌の感染によって胃壁ことに胃粘膜下に蜂巣炎、あるいは限局性の膿瘍をおこすもので、まれな疾患である。連鎖球菌でおこることが多く、ブドウ球菌、大腸菌なども原因となる。敗血症から二次的におこることが多いが、まれに胃潰瘍、胃癌(いがん)、胃内異物からの感染、周囲臓器の化膿性炎症の波及でおこることもある。症状は、悪寒戦慄(せんりつ)、胃部激痛、嘔吐、高熱などの敗血症様症状で急激に発病し、ついで腹膜炎症状をきたし、循環障害、高度の白血球増加を認める。診断はきわめて困難で、症状が急激で全身状態が不良となるので、急性腹症として手術されることが多い。治療は胃切除術とともに、原因菌に有効な抗生物質の投与を行う。
[増田久之・荒川弘道]
もっともありふれた疾患の一つである。内視鏡検査と直視下生検法の進歩、普及により、これまでX線検査による除外診断でなされていた慢性胃炎の診断が、積極的に行われるようになった。原発性胃炎と、胃癌、胃の良性腫瘍、胃・十二指腸潰瘍などに随伴または共存する随伴性胃炎とがある。しかしX線、内視鏡および組織学的検査でも両者の区別をつけることはできず、本質的に差は認められない。随伴性胃炎は主病変の陰に隠れて、診療上問題にされない傾向がある。現在では直視下生検によって診断することが最良であるが、すべての患者に胃生検をするのには、なお問題があるので、次善の策として内視鏡検査が行われる。しかし、内視鏡検査と生検の診断との間には不一致があるのは事実で、この点考慮しなければならない。
内視鏡所見から、粘膜が浮腫状となり斑(はん)状の発赤がみられる表層性胃炎、粘膜が薄くなって血管がみえる萎縮性胃炎、粘膜が凹凸に肥厚して硬くなった肥厚性胃炎の3型に分けられ、また胃生検による組織所見から、胃粘膜表層に細胞浸潤があり、胃腺の萎縮のない表層性胃炎と、胃腺の萎縮、消失のある萎縮性胃炎の2型に分けられる。
成因は不明の点が多いが、急性胃炎からの移行については確証はない。一般に表層性胃炎として始まり、この期間には適正な治療によって治りうるが、進行して萎縮性胃炎になると非可逆性となり、さらに進行して萎縮がより高度になると考えられる。その原因として内・外因性要素があげられる。外因性要素のおもなものは食事の過誤で、早食い、そしゃく不十分、食事時間の不規則、過冷または過熱飲食物摂取の習慣が長く続いた場合、また胃粘膜を刺激する食品、脂肪のあぶり焼きしたもの、不消化物、酸味または甘味の強いもの、香辛料、コーヒー、アルコール、たばこの常用などである。サリチル酸製剤、ジギタリス、抗生物質、抗癌剤、ヒ素などの薬剤やブドウ球菌などの細菌感染、X線照射が原因となることもある。内因性要素としては、遺伝、加齢、急性肺炎、副鼻腔炎、扁桃(へんとう)炎、歯周炎などの感染症、尿毒症などの内因性中毒、動脈硬化、肝硬変などの循環障害、肝・胆道・膵(すい)など胃周囲臓器の疾患、また十二指腸液の胃内逆流も重視されている。
症状は特有のものはなく、胃粘膜の組織学的変化と無関係に出没することが多い。一般に腹痛、胃部膨満感または不快感、悪心、嘔吐、食欲不振、体重減少、胸やけ、げっぷなどがよくみられるが、無症状のものが少なからずみられる。急性増悪を繰り返すのが特徴で、そのときに自覚症状を訴えて医師を訪れることが多い。食事の不摂生や睡眠不足、過労、精神的ストレスなどが症状を悪化させる。萎縮性変化の程度に応じて胃酸分泌の低下がみられ、高度の場合には無酸症となる。
治療は、症状のない場合にはとくに治療を行わないのが普通であるが、萎縮の進行を阻止し、急性増悪の原因を除去することは必要であり、胃粘膜に対する有害物を除き、心身の安静を図ることがたいせつである。刺激の少ない食事を1日5~6回に分けてとり、十分なそしゃくを心がけるが、食事療法にあまり神経質になりすぎないようにする。必要なら義歯を整え、胃粘膜に障害を与える薬剤の使用を避ける。ストレスを去り、規則正しい生活に努める。薬物療法は症状に応じて行う。胸やけには制酸剤がよく、無酸症でも効果がある。腹痛には抗コリン剤、局所麻酔剤が有効、神経質な場合や心身症傾向の強い場合は鎮静剤、精神安定剤、無酸症には総合消化酵素剤、貧血のある場合は鉄剤、ビタミンB12を投与する。
[増田久之・荒川弘道]
(1)びらん性胃炎 慢性多発性びらんで、胃粘膜ひだの走行に沿って並ぶ小隆起の頂上にびらんがみられ、一見タコの足の吸盤に似ていることから「タコいぼ型」びらん性胃炎といわれる。症状は、上腹部の空腹痛、胃部不快感、胸やけ、げっぷ、繰り返す吐血などであるが、症状の軽いものが多く、十二指腸潰瘍と同じく、胃酸分泌亢進(こうしん)を示すものが多い。診断は内視鏡検査によるところが大きく、びらんからの出血の有無、急性期や治癒期などの病期の判定に不可欠である。胃・十二指腸潰瘍を合併することがある。予後は一般に良好であるが、四季による再発傾向がある。治療は胃・十二指腸潰瘍の治療に準ずるが、無症状の場合はとくに治療の必要はない。
(2)巨大肥厚性胃炎 1888年メネトリエPierre Menétrier(1859―1935)によって記載され、メネトリエ病ともいわれている。胃粘膜が異常に肥厚し、蛇行したやや硬い感じの巨大なひだがみられ、低タンパク血症を伴う。その原因として多量のアルブミンが胃液中に漏出することが近年証明され、タンパク漏失性胃腸症の一つとして注目されている。症状は、胃部痛または不快感、悪心および嘔吐、食欲不振、下痢、消化管出血、浮腫、体重減少などであるが、無症状の場合もある。治療は、胃の症状には制酸剤が有効である。低タンパク血症には血漿(けっしょう)製剤やアミノ酸製剤の輸液、高タンパク食を与えるが、高度の場合は胃全摘を考慮する。
なお、以上のほか、特殊性胃炎といわれるものに胃結核と胃梅毒があるが、いずれもまれである。
[増田久之・荒川弘道]
胃の粘膜の炎症というのが本来の定義である。したがって,筋肉層などまでも含めた胃袋全体の炎症は胃炎には含めない。また,このような胃袋全体の炎症はきわめてまれな場合にしか起こらない。胃炎には急性胃炎と慢性胃炎があり,急性胃炎は粘膜の炎症と理解してよいが,慢性胃炎は炎症そのものよりもその後遺症として生じたさまざまな粘膜の変化であって,慢性に炎症が続いているわけではない。一方,上腹部の漠然とした不快な症状を指して胃炎と称することが少なくないが,その多くは胃粘膜の異常によるものではない。このあたりを区別して考える必要がある。
胃炎という病名を確立したのは,フランスの医師ブルッセーFrançois J.V.Broussais(1772-1838)とされている。彼はナポレオンの軍医として,戦場で胃の不調を訴える兵士を多数経験し,緊張した環境が胃炎の原因であるとした。しかし胃粘膜は死後には速やかに変化するもので,彼が観察したものも死後の変化であったことがわかった。胃炎が死後に生じた変化であるか生前にもあったものかについての論争が解決したのは,生きている人間の胃粘膜を内視鏡で観察し,あるいは生検が可能になった1920年以降のことである。胃炎は西洋医学とともに日本に輸入された名称で,それ以前は食傷(しよくしよう)あるいは溜飲(りゆういん)と呼ばれた。
胃カタルともいわれる。胃粘膜の急性の炎症で,内視鏡で観察すると糜爛(びらん)や充血がみられる。鎮痛剤などの薬剤,刺激性の食品,アルコール類,暴飲暴食,精神的あるいは身体的ストレスなどが原因としてあげられている。症状は上腹部痛,吐き気・嘔吐,膨満感などで,古くは食傷といわれた。その最も重篤な状態である出血性胃炎hemorrhagic gastritisでは,吐血や下血をみることがある。原因が取り除かれれば速やかに治癒する。急性胃炎が胃潰瘍に発展することはほとんどない。薬剤としては,胃酸を中和する制酸剤や,粘膜を保護する薬剤が用いられる。
慢性の炎症とみるよりも,炎症の後遺症としての胃粘膜のさまざまな変化と考えたほうがわかりやすい。その代表的なものが萎縮性胃炎atrophic gastritisで,胃の粘膜が萎縮して薄くなった状態である。その大部分は胃粘膜の老化現象,すなわち年齢が加わることによって生じる変化(加齢性変化)とみなされている。この変化は日本人の胃では30歳ころから始まり,年齢が進むとともに増強する。女性よりも男性で強く,個人差や民族による差が著しい。これを促進する因子として,塩からい食物,熱い食物,胆汁の逆流などがあげられているが,ほんとうのことはわかっていない。塩酸やペプシンを分泌する細胞の数が減少して,低酸症hypacidity,さらに進めば無酸症anacidityとなる。胃粘膜の萎縮が進むと,粘膜が腸の細胞に似た細胞に置き換えられることが少なくない。これを腸上皮化生intestinal metaplasiaといい,それが著しい場合を化生性胃炎と呼ぶ。胃癌が多い民族の胃では腸上皮化生も強いことから,両者の関連が注目されている。腸上皮化生は色素内視鏡検査または生検によって診断できる。萎縮性胃炎も化生性胃炎も通常は無症状で,特別な治療を必要としない。またそれを青年時代の胃粘膜の状態に戻すこともできない。特殊な状態として,塩酸を分泌する細胞である壁細胞に対する自己抗体が原因で高度の萎縮性胃炎が生じることがある。ビタミンB12の吸収不良による貧血(悪性貧血と呼ばれるが,ビタミンB12の注射により容易に治癒する)を起こす。この胃炎は日本人には少ない。塩酸やペプシンを分泌する胃固有の細胞が萎縮して他の細胞が増殖した状態を過形成性胃炎hyperplasic gastritisといい,粘膜は凹凸になる。そのひとつとして粘膜にタコの吸盤状の凹凸がみられることがあり,タコイボ胃炎と呼ばれる。逆に胃固有の細胞が増殖して胃粘膜が厚くなった状態を肥厚性胃炎hypertrophic gastritisと呼ぶ。胃粘膜が厚くなると粘膜が作るひだが太くなるが,この状態を巨大皺襞(しゆうへき)(〈ひだ〉のこと)といい,胃癌との鑑別が問題になる。まれな病気であるが,これが非常に著しくなったのがメネトリエ病Ménétrier diseaseで,フランスの医師メネトリエP.Ménétrier(1859-1935)によって報告された。
胃部のもたれ感,重圧感,げっぷ,胸焼けなどのつかみどころのない不快感を上腹部不定愁訴と呼ぶ。かつては溜飲とか胃弱とかいわれた。このような症状を指して慢性胃炎ということが今日も少なくないが,数多くの研究の結果,胃粘膜の炎症あるいは萎縮との直接の関係は少ないことが確かめられた。その多くは心理的,精神的な要因による症状,いわゆる気のせいであるとの理解から神経性胃炎と呼ばれることがあるが,学問的な名称ではない。胃粘膜に病変があるわけではないが,症状をやわらげる目的で,粘膜を保護あるいは麻酔する薬剤や運動を促す薬剤が用いられる。重要なことは症状が胃癌によるものではないことを確認することである。
執筆者:多賀須 幸男
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