現代ドイツの代表的思想家。フランクフルト学派の指導者。ユダヤ系の家系に生まれる。フランクフルト大学で哲学を,A.ベルクに音楽を学び,一時ウィーンで音楽雑誌の編集にたずさわったが,1931年に《キルケゴールにおける美的なものの構成》(1933)で教授資格を得,フランクフルト大学の講師となる。33年当時M.ホルクハイマーの指導下にあった〈社会研究所〉のメンバーとなるが,ナチスの政権獲得後イギリスを経てアメリカに亡命を余儀なくされる。アメリカ滞在中,ホルクハイマーと共著で,近代的合理性ないし西欧文明への根本的省察とも言うべき《啓蒙の弁証法》(1947)を出版。またアメリカの学者と共同して精神分析と世論調査の手法を結合した潜在的ファシズムの研究《権威主義的パーソナリティ》(1950)を著す。50年代にドイツに帰り,以後フランクフルト学派の指導者として,哲学,社会学,美学,文化評論の各分野にわたり,鋭い批判的精神と華麗なレトリックによって健筆をふるい,文化批判の面で,同時期におけるオピニオン・リーダーの役割を果たした。哲学的には,否定性の原理を強調した独自のヘーゲル解釈にもとづく《否定的弁証法》(1967)の立場に立ち,社会学的には,マルクスの批判的動きを受けついだ〈批判的理論〉の立場に立って実証主義を批判し,美学的には,後期ルカーチの社会主義リアリズム偏重に反対してカフカ,シェーンベルク,ベンヤミンなどの前衛芸術を擁護する論陣を張った。それらに一貫している態度は,どんな内面的な問題をも仮借ない社会批判にさらす批判的精神であり,〈自然と文明との融和〉というユートピアにもとづく,近代文明と現代管理社会への根本的批判がその主題だったと言えよう。前記のほか,亡命中の考察《ミニマ・モラリア》(1951)や《音楽社会学序説》(1962)などの著もある。
執筆者:徳永 恂
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ドイツの代表的思想家。初めフランクフルト大学で哲学を修める一方、アルバン・ベルクに就いて作曲を学び、ウィーンで音楽雑誌の編集に携わったが、1931年『キルケゴール論』で教授資格を得、同大学で哲学を講ずるかたわら、社会研究所のメンバーとなる。ナチスの政権獲得後アメリカへ亡命したが、戦後いち早く西ドイツへ帰国、以後ホルクハイマーの後を受けて、フランクフルト学派の指導的存在として脚光を浴びる。彼の思想の特色は、既成の観念や枠組みにとらわれない自由な精神と、哲学や芸術などもっとも内面的な問題をも仮借ない社会批判にさらす批判的精神と、それを的確に言い表す精緻(せいち)なレトリックにある。「自然と文明との融和」というユートピアに基づく、近代文明と現代管理社会への根本的批判がその主題であった。『啓蒙(けいもう)の弁証法』(1947)、『新音楽の哲学』(1949)、『権威主義的性格』(1950)、『否定弁証法』(1967)など著書多数。
[徳永 恂]
『田中義久・矢沢修次郎訳『権威主義的パーソナリティ』(1980・青木書店)』▽『木田元・徳永恂・渡辺祐邦・三島憲一・須田朗・宮武昭訳『否定弁証法』(1996・作品社)』
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…大衆社会の出現とマス・コミュニケーションの発達は,19世紀までは想像もできなかったような膨大な数の聴衆を作り出したが,こうした多数の音楽ファンは,従来には見られなかったような態度で音楽に接するようになった。音楽社会学者でもあるT.W.アドルノは,1933年の論文《音楽の社会的位置について》で,音楽聴取の態度の変化に注目し,音楽に接する人々を次の六つの類型に分類した。音楽の構造を聴き取る能力をもった〈エキスパート〉,全体のまとまりを自発的に理解する〈よき理解者〉,レコードを次々に購入して聴く〈教養消費者〉,音楽を聴いて解放されることを望む〈情緒的聴取者〉,陳腐なコンサート音楽に飽きて古楽に聴きいる〈復讐型聴取者〉,ジャズだけを聴く〈ジャズファン〉である。…
…それは,社会・文化事象の理解に心理学的視点を導入するさまざまな試みを促進し,大衆社会論,大衆文化批判などを生みつつ,社会科学を革新するうえで大きな役割を果たした。 第3は,M.ホルクハイマー,T.アドルノ,H.マルクーゼら,のちにフランクフルト学派とよばれる人々によるフロイト主義の批判的摂取である。彼らは20年代のワイマール・ドイツで,フランクフルトの社会研究所に拠って,マルクス主義に基づく独自な批判的理論を形成したが,精神分析に深い関心を抱いていた。…
…この要因を前提にすると,大衆文化とは大衆娯楽と多くの点で重複する。【中野 収】 歴史的にみると,大衆文化の概念は,1940年代のアメリカで,ヨーロッパから亡命してきたT.アドルノやL.レーベンタールらの社会学者や社会理論家によって展開された大衆文化批判から生まれた。彼らはマルクス主義の影響を受けた人々であり,今日,産業社会では貧困などの古い社会問題の解決はみたが,大衆のもとに見受けられる低俗性,趣味の低さという新しい問題がつくり出されていると指摘した。…
…ハイデッガーの《ヒューマニズムについて》(1949)は,こういう多義性に直面して,〈ヒューマニズムという言葉に一つの意義を取り戻すことができるか〉という問いに答えようとしたものであるが,彼はヒューマニズムを,存在者の存在についての特定の解釈を前提にした形而上学の系譜に属するものとして,それから一線を画し,人間中心主義の形而上学の超克という方向で,むしろヒューマニズムを超えることを志向している。また,ハイデッガーに次いで1960年代以降ドイツ哲学界の声望を集めたアドルノは,自然支配の原理のうえに自己を確立してきた人間主体が,逆に自然に隷従するという《啓蒙の弁証法》(1947)の立場から,人間の自己疎外の問題を,むしろ自然の自己疎外の問題としてとらえ直そうとしている。ここには他の一切の差異にかかわらず,ヒューマニズムの基礎にある人間中心主義の形而上学の超克という動機が働いているといえるだろう。…
…1930年代以降,ドイツのフランクフルトの社会研究所,その機関誌《社会研究Zeitschrift für Sozialforschung》によって活躍した一群の思想家たちの総称。M.ホルクハイマー,T.W.アドルノ,W.ベンヤミン,H.マルクーゼ,のちに袂(たもと)を分かったE.フロム,ノイマンFranz Leopold Neumann(1900‐54)たちと,戦後再建された同研究所から輩出したJ.ハーバーマス,シュミットAlfred Schmidt(1931‐ )らの若い世代が含まれる。彼らはいわゆる〈西欧的マルクス主義〉の影響の下に,正統派の教条主義に反対しつつ,批判的左翼の立場に立って,マルクスをS.フロイトやアメリカ社会学等と結合させ,現代の経験に即した独自の〈批判理論〉を展開した。…
…このように外見上暴力と無縁な精神と思考にとって,排除する暴力が不可欠の構成因となっている。ハイデッガーやアドルノは,それぞれのしかたで,理性の道具化と道具的理性の暴力性を指摘した。理性自身が排除的理性からどう免れるかは,現代の最も重い課題となった。…
※「アドルノ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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