セリ科の一・二年草。当初導入されたものが,古来のチョウセンニンジン(ウコギ科)の根と似ていたためにニンジンと呼ばれるようになった。ニンジンの〈根〉は胚軸と根とが肥大したもので,その頂部から葉を叢生(そうせい)する。葉は2~3回羽状に裂けた複葉で,裂片は針状や披針形で,長い葉柄を有する。晩春,60~100cmに茎が伸長し開花する。花は複散形花序で,花色は一般に白色である。食用にされる貯蔵根の中心部は心と呼ばれ,形成層および木質部,髄から成り,心部の細いものが良品とされている。
ニンジンの野生種であるノラニンジンは,根がニンジンのように肥大しないし,黄白色で,赤くならない。このような野生系統はユーラシア大陸やアフリカ大陸北部に広く分布し,西南日本(瀬戸内地方)にも点々とある。しかし,その多くは栽培系統から野生化したものと考えられている。栽培ニンジンの変異が著しいのはアフガニスタンで,この地域で栽培化されたニンジンが,東へ分布を広げ東洋系のニンジンに,西へ分布していったのが西洋系のニンジンに分化したと考えられる。アフガニスタンで栽培化されたニンジンは,10世紀ごろに中近東からヨーロッパに広がった。15世紀にオランダで品種改良が進み,改良された品種はエリザベス女王時代(1558-1603)にイギリスに導入され,アメリカ大陸には17世紀になってから導入された。現在西洋系の代表的なニンジンとされる短根で橙黄色の品種群(三寸ニンジン)は,17世紀になってからオランダで改良されたものが基になっている。東洋系のニンジンは元朝の時代(1271-1368)に初めて,西アジアから中国に導入されたといわれる。ニンジンの漢名の胡蘿蔔(こらふく)は,西方(胡)から来たダイコン(蘿蔔)に似たものということでつけられたものである。日本へはまず東洋系のニンジンが中国から導入されたと考えられる。最も古い文献として江戸時代初期の《多識編》にセリニンジンの名が記されている。また明治初年になってからはヨーロッパ系の品種が,アメリカ,フランス,オランダなどから洋種野菜として導入されている。現在日本で栽培されているニンジンの多くはヨーロッパ系であるが,日本で品種改良が進み,日本の気候や風土に適したものが育成されている。
ヨーロッパ系は,三寸群,五寸群,ナンテス群,インペレーター群,ダンバース群,ロング・オレンジ群などに分かれる。三寸群は早生,小型で土壌の適応性が広く,生育期間も短いが,収量が少ないので,最近は四寸・五寸系の品種に移り変わってきている。五寸群(五寸ニンジン)は気候,土壌の適応性も広く,大きさが手ごろで作りやすいため,全国的に栽培の中心品種となっている。寒地用としてはチャンテネー系が秋~春まき用に使われ,暖地用としては春~夏まき用に長崎五寸系の品種が多く使われている。ナンテス群はヨーロッパでは優れた品種として扱われているが,日本での実用性は低く,育種親として利用されている。インペレーター群は中根種で輸送性はあるが,日本での栽培は少ない。ダンバース群はおもに寒地の春まき用の品種として利用されているが,暖地の秋まき5月採りにも使われる。ロング・オレンジ群は大長ニンジンとして耕土の深い所に作られるが,最近の栽培は少ない。東洋系のニンジンには大長ニンジンの滝野川大長群と金時群がある。滝野川大長群は長ニンジンの代表種として秋まき用に使われてきたが,最近ではほとんど栽培されなくなった。鮮紅色で美しい金時群は,おもに関西地方で栽培されているが,暖地の夏まき用としても使われる。
ニンジンの栽培は全国的に行われているが,北海道,千葉,青森,徳島,茨城の各道県の栽培が多い。作型は春まき,夏まき,秋まき,トンネル冬まきなどに分かれる。春まき,夏まきは,全国的に広く行われ,秋まき,トンネル冬まきは,中間地,暖地などの栽培に適している。
ニンジンはアルカリ性食品として重要であり,さらに根に含まれる橙色のカロチンは,動物体内にとりこまれるとビタミンAに変化するものであり,ニンジンにはビタミンAに換算すると約1万3000IU(国際単位)と野菜の中ではずばぬけて多く含まれている。用途はサラダ,煮物,揚物,油いため,ジュースなど多くのものに利用されるが,学校給食や外食産業には欠かせない野菜となっている。根だけでなく,香気のある若葉もゆでて食用にされる。またヨーロッパではリキュールをつくるのに,種子からとれる油を香りづけに使ったりする。
執筆者:平岡 達也
煮しめ,揚物のほか,きんぴら,なます,白あえなどにする。白あえは,水気を切った豆腐と白ゴマをよくすりまぜ,砂糖,塩,しょうゆなどで味をととのえたあえ衣で,こんにゃくとともに,せん切りにして下煮したものをあえる。西洋料理ではサラダやシチューなどに用い,バター,砂糖などで甘く煮上げててりをつけたグラッセやクリーム煮にしてつけ合せに用いる。なお,ダイコンとともにすりおろすと,ニンジン中のアスコルビナーゼがダイコンのビタミンCを酸化させるが,酢を加えると酸化が防げるので,ダイコンとの紅白なますではビタミンCの損失はまぬかれる。
執筆者:橋本 寿子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
セリ科(APG分類:セリ科)の二年草で、おもに根を食用にするため世界中の温帯を中心に栽培される。根は品種によって太さ2~5センチメートル、長さは10~20センチメートルの円錐(えんすい)形のものから、1メートルになるものもある。色は橙(だいだい)、赤または黄色。根出葉を多数出し、葉柄は長く、葉身は細かく裂ける。2年目の春にとう立ちして高さ0.6~1メートルになり、多数の白色5弁の小花をつける。果実は長さ約3ミリメートルの長楕円(ちょうだえん)形で多数の短い刺(とげ)があり、2分果からなる。
[星川清親 2021年11月17日]
野生祖先種はアフガニスタン、中央アジアおよびカフカス地域に広く分布するが、栽培型に酷似した形態と遺伝的変異が豊富に存在するアフガニスタンのヒンドゥー・クシ山麓(さんろく)地域が栽培型の成立した起源地と推定される。この地域から栽培型のアフガン系が西方と東方に伝播(でんぱ)された。西方へは、トルコに10~11世紀に伝播し、トルコのアナトリア南西部で、アフガン系と地中海地域からイランまで自生している亜種maximusとの交雑によって、その雑種後代から新たに欧州系が成立した。その後欧州系はスペインに12世紀、北西ヨーロッパに14世紀、イギリスに16世紀に伝播した。今日、世界的に栽培される品種は橙色の短形種が主体であるが、16世紀までの品種は紫色または黄色の長根系統で、とくに紫色種が普遍的であった。しかし、紫色種はスープの材料に用いた場合、紫褐色になるので好まれず、黄色種が主体となり、さらに17世紀の初め、オランダで黄色種から橙色種の選抜に成功し、以後、橙色種が普及するようになった。東方への伝播は、中国に元時代の初期(1300ころ)雲南を経て華北に入り、華中に普及して、東洋系が成立した。日本には室町時代に中国から入った。
[田中正武 2021年11月17日]
今日、日本で栽培されるのは欧州系が大部分であるが、最初に導入されたのは東洋系品種である。これは根にリコピンを主とした色素を含み、濃い紅色を呈する。現在は、金時(きんとき)が西日本でわずかに栽培される程度である。欧州系は東洋系より遅く、江戸時代後期に長崎に入り、その後全国的に広がり、多数の品種を生じた。橙色で短形のものが多く、代表品種は黒田五寸と長崎五寸である。
普通は晩春に種子を播(ま)き、秋から冬に収穫するが、早生(わせ)品種の場合、早春に種子を播くと夏には収穫できる。
[星川清親 2021年11月17日]
ニンジンは、なまの根100グラム中に、カロチン7300マイクログラム、ビタミンA4100IUを含む。ビタミンAの含量では野菜類中でも屈指であり、栄養的価値が高い。ビタミンB、Cにも富む。カロチンを生かした調理方法は、油とともに料理することで、50~60%のカロチンが利用できる。煮た場合のカロチンの利用率は30%程度である。多量の酢とともに調理するときには、カロチンが分解されやすい。
根を煮物、揚げ物、なます、五目ずしに用いる。生食もする。近年では、生食用として丸かじりのできる指ほどの大きさのニンジンも市場に出ている。東洋系のニンジンは肉質が締まって固く、濃い紅色であり、欧州系のニンジンは橙黄(とうこう)色で肉質が柔らかいのが特徴である。煮しめなどには東洋系のニンジンが適しているが、現在その栽培は欧州系に比べて少なく、流通量も多くない。若い葉も栄養的に優れた有色野菜の一つで、ゆでて食用にし、強い香りと風味がある。
欧州系ニンジンは夏から市場に出回り、東洋系ニンジンは冬が旬(しゅん)である。
[星川清親 2021年11月17日]
ギリシアのディオスコリデスが紀元1世紀に著した『薬物誌』のなかに載るダウコスdaukosはニンジンとされ、そのもっとも古い記録の一つである。当時の根は指ほどの太さで、長さ20センチメートル余りであったが、もっぱら種子を利尿、腹痛、鎮咳(ちんがい)などの薬に用いた。ニンジンの原産地はバビロフによると、中央アジアから小アジアとされる。中国には後漢(こうかん)(947~950)に伝わったとの説もある。日本には、江戸初期までに渡来し、『多識編』(1612)に、胡蘿蔔、今案世利仁牟志牟(いまあんずセリニムシム)と初見する。『和漢三才図会』(1712)には、黄、赤、白、紫色のニンジンが記録されている。
[湯浅浩史 2021年11月17日]
フランスの作家ジュール・ルナールの長編小説。1894年刊。作者の自伝的要素が濃い。主人公の少年は、顔がそばかすだらけで赤い髪をしているので「にんじん」とよばれている。父親ルピック氏はお人よしだが、母親ルピック夫人は口やかましく少々意地が悪い。姉と兄はずる賢い。「にんじん」は母親になじめず、「家庭とは憎み合う同士が住むところ」と考え、納屋で自殺を図る。しかし、すんでのところで父親の人間性に救われる。作者はルピック夫人の生き方を通して人間のエゴイズムをも描き出す。詩情をたたえる簡潔な文体が、作品全体をヒューマンな雰囲気でくるんでいる。1900年、作者自身の手で一幕の戯曲となり、アントアーヌ座で初演され、好評を博した。
[窪田般彌]
フランス映画。1894年に出版されたジュール・ルナールの自伝的小説をもとに、ジュリアン・デュビビエ監督が1925年と1932年に2度映画化した。後者は1934年(昭和9)に日本でも公開されて、キネマ旬報ベストテン第3位となり、絶大な人気を博した。映画評論家の南部圭之助(なんぶけいのすけ)(1904―1987)は「デュビビエの出世作で、これによって彼はルネ・クレールの線に達し、次第にクレールを抜いて行った」と高く評価した。息子役のロベール・リナンRobert Lynen(1921―1944)と父親役のアリ・ボールHarry Baur(1880―1943)も絶賛された。赤毛のゆえに両親にまで「にんじん」(原題は「にんじんの毛」)とよばれる少年の夏休みを描いたもので、いじめられる少年の立場からみた厳しい世界が描かれる。自暴自棄になった主人公が自殺を企てるほど暗い内容だが、若いお手伝いのアネットと親しくなり、最後には町長となった父親と心が通じ合うなど、後半にかけて明るさがみえてくる。最後に父親は息子を「にんじん」ではなく、「フランソワ」と実名でよぶ。
[古賀 太]
『『にんじん』(岸田国士訳・岩波文庫/窪田般彌訳・角川文庫)』
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出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域ブランド・名産品」事典 日本の地域ブランド・名産品について 情報
…《博物誌》のうち5編をJ.M.ラベルが音楽にしている。また自分の少年時代を素材にした《にんじんPoil de carotte》(1894)で,いじめられっ子の不朽の典型を示している。《にんじん》は,1909年にルナール自身劇化したが,J.デュビビエにより映画化され(1934),世界中の人びとの心を動かした。…
※「にんじん」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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