1906年から1930年ごろにかけて、ロンドンとケンブリッジを中心に活動したイギリスの知識人、芸術家のグループ。作家バージニア・ウルフ、E・M・フォースター、経済学者ケインズ、伝記作家リットン・ストレーチー、美術批評家ロジャー・フライ、クライブ・ベルClive Bell(1881―1964)、画家ダンカン・グラントDuncan Grant(1885―1978)らがメンバーで、哲学者バートランド・ラッセル、G・E・ムーア、政治学者G・L・ディキンソンGoldsworthy Lowes Dickinson(1862―1932)も先輩格としてこのグループにつながる。彼らの多くは名門の子弟で、19世紀イギリスの道徳主義に鋭い批判を向け、自由で懐疑的な知性、美と友情の尊重を信条とした。その活動は多面的で、それぞれの分野で20世紀文化の開拓者となるが、知性への信頼と洗練された美的感覚が一貫して認められる。エリート主義者として批判を浴びたこともあるが、自由人としての思想、芸術、生活を統一するのが彼らの理想であった。
[海老根宏]
『クライヴ・ベル著、出淵敬子訳『ブルームズベリー・グループ』(1972・みすず書房)』
1906年ころから,イギリスのスティーブン家の姉妹バネッサ(のちのバネッサ・ベル)とバージニア(のちのバージニア・ウルフ)の家に集まった若い知識人のグループ。名称はスティーブン家がロンドンのブルームズベリー街にあったことに由来する。メンバーは,姉妹のそれぞれ夫になるクライブ・ベル,レナード・ウルフをはじめ,J.M.ケインズ,リットン・ストレーチー,ロジャー・フライ,E.M.フォースターらで,美術評論家,政治評論家,経済学者,小説家など多分野にわたっているが,いずれも同世代でケンブリッジのトリニティ,キングズ両学寮で学んだ。そして当時の哲学教師G.E.ムーアの《倫理学原理》(1903)の中の〈最も価値あることは人の交わりの喜び,美しいものを享受すること〉という文句に影響されていた。彼らの姿勢は既成のこわばった道徳観念の打破,柔軟な不敬の念,進歩・自由への信念,美への専心ということに集約される。第1次大戦後の混乱の中で最も価値あるものを生み出したイギリスの知的エリート集団ということができるが,同時に上流気取り,道徳的無軌道(とりわけ同性愛の性癖)などの批判も投げつけられた。
執筆者:出淵 博
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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