イギリスの数学者,哲学者。ケント州ラムズゲートで英国国教会牧師の家に生まれる。ケンブリッジ大学で数学を専攻し,生徒の一人B.A.W.ラッセルと協力して,数学を形式論理学から演繹(えんえき)することを企て,《プリンキピア・マテマティカ》3巻(1910-13)を著す。この著作は記号論理学の歴史における画期的な業績として評価されている。ホワイトヘッドの知的関心は当初から数学や論理学における演繹的方法と同時に,直接に経験され,観察される自然の世界に向けられており,1910年ケンブリッジを去ってロンドン大学に移ってからの約15年間は,この両者の総合が彼の哲学の中心課題となる。《自然認識の諸原理》(1919),《自然の概念》(1920),《相対性の原理》(1922)はいずれもこの課題と取り組んだ,科学の哲学をめぐる著作である。24年ロンドン大学の応用数学教授であったホワイトヘッドはハーバード大学哲学教授に就任するためアメリカに移り,以後約25年間,宗教哲学をふくむ壮大にして緻密な形而上学体系の建設に専念する。この時期の主要著作には《科学と近代世界》(1925),《過程と実在》(1929),《観念の冒険》(1933)などがある。
哲学者としてのホワイトヘッドの第一の特徴は,卓越した数学者,科学者でありながら,近代の多くの哲学者のように,科学において有効であることが立証された考え方や方法をそのまま哲学の領域に適用する誤りに陥らず,哲学に固有の課題を見てとり,それにふさわしい方法を発展させたことである。彼によるとそのような誤りを犯しているのが〈批判学派〉であり,彼らは明晰・判明な認識の追求と言語慣用の限界内における分析に安住して,われわれの思想の根本的前提に反省を加えようとはしない。ところが,この反省こそ哲学であり,この思想的冒険をあえてする哲学が〈思弁学派〉である。ホワイトヘッドは思弁哲学を〈それにもとづいてわれわれの経験のすべての要素が解釈されうるような,一般的観念の整合的,論理的,必然的体系を組み立てようとする努力〉と定義するが,それは経験的と合理的の両側面をそなえた彼自身の哲学の要約にほかならない。ホワイトヘッドの哲学は〈プロセス哲学〉〈有機体の哲学〉として特徴づけられるが,それは経験および世界を静的・アトム的なものとしてではなく,きわめて根源的な仕方で動的・時間的なもの,その全体を創造的過程としてとらえているからである。通常,独立的事物ないし事実として理解されているものは,世界全体としての創造的過程のなかではじめて成立し,意味をもつものであり,またそれら事物のそれぞれが全体を反映する創造的過程であり,経験であるとされる。彼はこのような創造的過程において見いだされる秩序の根源を神と呼ぶが,それはプロセスのうちにあるものとして有限であると同時に,プロセスに対して確定を与える,超時間的根源であるかぎり無限なる者である。ホワイトヘッドはみずからの形而上学と整合的なこの神概念が,伝統的な超越的無限存在という神概念よりもキリスト教的であり,福音書の説く神をより忠実に反映すると考えており,この考え方が今日〈プロセス神学〉として広範な影響力をもつに至っている。
執筆者:稲垣 良典
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イギリス、アメリカで活躍した数学者、哲学者。イングランドのケント州に生まれ、1880年ケンブリッジ大学に入学して数学を学ぶ。1910年に同大学数学主任講師を辞するまでの30年間は、数学者として研鑽(けんさん)し大成に近づいた時代である。1911~1914年ロンドンのユニバーシティ・カレッジの応用数学および力学の講師、1914~1924年ロンドンのインペリアル・カレッジの応用数学の教授。1924~1938年アメリカのハーバード大学の哲学教授、のち名誉教授。数学者としての最高の業績は、B・ラッセルとの共著『数学原理(プリンキピア・マテマティカ)』Principia Mathematica全3巻(1910~1913)で、これは論理主義の立場から数学の基礎づけを目ざした精励努力の壮大な成果である。哲学に転じたのは1918年ごろとみられる。『自然知識原理論』(1919)、『自然という概念』(1920)、『科学と近代世界』(1926)などを発表したのち、主著『過程と実在』Process and Reality(1929)のなかで、自然科学上の諸事実、諸理論を包括できるような、大掛りで精細な一種の形而上(けいじじょう)学的宇宙論の体系を提示した。「形而上学」とは、われわれの経験のすべてを解釈することができるような一般的観念(「形而上学的カテゴリー」)の整合的で論理的で必然的な体系のことであって、彼は、47個の形而上学的カテゴリー(たとえば「現実的存在物」actual entity、「現実的機会」actual occasion、「永遠的対象」eternal objectなど)をあげ、こうしたカテゴリーが織り合わされて一つの叙述的体系となる次第を詳しく論じ、ここから、自然、人間、社会、宗教などあらゆる分野を叙述した。晩年の思索には、主著のうちに姿をみせていた宗教哲学的傾向の強まりがうかがわれる。
[秋間 実]
『『ホワイトヘッド著作集』全15巻(1980~1989・松籟社)』▽『市井三郎著『ホワイトヘッドの哲学』(1980・第三文明社・レグルス文庫)』
イギリスの水雷発明家。ランカシャーのボルトンに生まれる。14歳のときマンチェスターの工場に徒弟となり、かたわら機械講習所に通い製図を修めた。ついでマルセイユの叔父の工場に勤めたのち、ミラノで独立し、1856年フィウメ工業会社を設立。1866年息子のジョンとフィウメで魚雷の考案を始め、改良を重ね、1889年に航続距離1000ヤード(約910メートル)で29ノット(時速約54キロメートル)の速度をもつまでになった。この魚雷にジャイロスコープが応用されて、ますます精鋭な武器となり、各国の海軍に採用された。ホワイトヘッド水雷の威力は、1904年旅順港で日本軍がロシア艦隊を攻撃したときに実証された。
[山崎俊雄]
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…論理主義と呼ばれる立場に立つラッセルは,数学は論理学の1分科であるとし,逆理はさまざまな概念の〈型〉を無視するために生ずるものと主張する。実際に,A.N.ホワイトヘッドとの共著による3巻からなる大著《プリンキピア・マテマティカ》で,〈分岐した型の理論〉の記号論理の体系を建設し,その中で実数論を構成したが,その際,〈型の解消にかかわる〉還元公理という不満足なものを仮定せざるをえなかった。L.E.J.ブローエルは,数学的真理や対象は数学を考える精神とかかわりなく存在するとはせず,経験的・直観的精神活動によって直接にとらえられるものであって,実際に構成できる対象だけが数学的存在であると主張する。…
…のち自然の非生命性,非自動性を主張する近代の機械論的自然観が支配的となった時期に,カントは物活論を,自然科学の基礎としての惰性律に反するとして批判した。現代では,A.N.ホワイトヘッド,テイヤール・ド・シャルダンらもある意味で物活論的思考の系譜に置いてみることができよう。生気論【広川 洋一】。…
…A.N.ホワイトヘッドとB.A.W.ラッセルの共著。3巻。…
※「ホワイトヘッド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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