翻訳|Mark
1世紀半ばの,新約聖書に言及される初代のキリスト教徒の一人で,ヘブライ名はヨハネ(《使徒行伝》12:12)。パウロの《ピレモンへの手紙》24節によれば,パウロがおそらくエペソ(エフェソス)で獄中にあったときのよき協力者であったとされ,《コロサイ人への手紙》4章10節はバルナバのいとこであったとする。《使徒行伝》によれば,マルコの母マリアの家はエルサレムにおける初代教会の集会所であり(12:12),彼はパウロやバルナバとともに異邦人伝道に従事したとされる(12:25~13:13)。《ペテロの第1の手紙》5章13節は彼をペテロの弟子とし,2世紀前半のパピアスは,ペテロの通訳者として彼が《マルコによる福音書》を書いたとしているが(カエサレアのエウセビオス《教会史》),その信憑性は疑問視されている。
執筆者:青野 太潮
《マルコによる福音書》の記述内容から,有翼の獅子を象徴とする。福音書記者であり,またペテロの書記でもあったと伝えられることから,本と筆も持物。アレクサンドリアで布教し,そこで司教となり殉教したという伝説に由来して,頭にターバンを巻いたり,司教服を着ていることもある。9世紀に遺体がアレクサンドリアで発見され,海路ベネチアへ運ばれ,途中数々の奇跡がおこったという伝説の諸場面もよく表される。ベネチアでは,遺骨を納めるため,9世紀にサン・マルコ大聖堂が建てられ(現在の建築は11世紀起工),またベネチアの美術には,同市の守護聖人となったマルコや,市の紋章でもある獅子がよく登場する。祝日は4月25日。
執筆者:井手 木実
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1世紀のキリスト教会で活動したとされるエルサレム出身のユダヤ人。『新約聖書』その他の当時の文書に名前をとどめており、ヘブル名で「ヨハネ」ともよばれる。マルコの母マリアの家は、イエスと弟子たちの集会所であったらしい。マルコは従兄弟(いとこ)のバルナバとともに一時パウロの伝道旅行に同行し、またペテロにも通訳として協力した。晩年にはアレクサンドリア教会で働いたと伝えられる。一説によれば、「マルコ伝福音(ふくいん)書」の編集がこのマルコに帰されるが、確かなことはわからない。
[土屋 博]
1890.頃 - 1932
インドネシアの民族主義運動指導者,ジャーナリスト,小説家,詩人。
元・スラカルタ・イスラム同盟委員,元・共産党スラカルタ支部議長。
チェプ生まれ。
1911年インドネシア最初のムラユ語紙の「メダン・プリヤイ」の記者を経て、’13年スラカルタ・イスラム同盟委員。’24年共産党に入党し、スラカルタ支部議長。’26年共産党の蜂起直後逮捕され西イリアンに流刑され病死。’19年発表の小説「学生ヒジョ」は有名。
出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報
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…ただしその信仰内容は,この時期に成立した,福音書をはじめとする,真正なパウロ書簡以外の新約聖書諸文書や使徒教父文書によって立証されている。 まずマルコは,受難・復活に至るイエスの生涯を上記(2)の伝承の編集によって復元し,(1)の伝承の宣教内容(福音)に史的状況をとり戻して,ガリラヤの民衆の位置に立ったイエスとの生を示唆することを目的として福音書を創出した。マタイの場合は,《マルコによる福音書》と(2)の伝承,とりわけQ資料(マタイとルカが,《マルコによる福音書》以外に共通の資料としたと考えられている,主としてイエスの言葉から成る仮説的な資料のこと。…
…したがってコプト人というのは,元来は〈エジプト人〉のことで,その彼らが,アレクサンドロス大王による征服以来,ギリシア・ヘレニズム文明に接し,ついでローマ支配時代にキリスト教を受容した。伝説では紀元40年代に福音書記者のマルコがアレクサンドリアで布教したのが最初だとなっているが,実際にエジプトのキリスト教化が進むのは,だいたい2~3世紀で,その間に聖書のコプト語訳もなされた。 ローマ帝国は最初キリスト教に対して迫害を加えたが,エジプトも例外でなく,ディオクレティアヌス帝(在位284‐305)のとき,激しい迫害が行われ,のちこれを記念して,この皇帝が即位した284年を元年とするコプト暦を定めた。…
…イタリアのベネチアを代表するビザンティン・ロマネスク様式の大聖堂。ベネチア商人によってアレクサンドリアから盗み出されたマルコ(以後ベネチアの守護聖人となる)の遺骸を納めるために830年ころ創建され,976年に内乱による火災で倒壊,978年に再建,さらに,11世紀に時の総督コンタリーニDomenico Contarini(在任1043‐70)により現聖堂が建立された(1063‐73)。1807年司教座が置かれる。…
…ベネチアは12世紀以降,セスティエーレ(6区制)を採用し,行政的には町全体が六つの地区に分割されている。すなわち大運河の北東には,サン・マルコ,カナレッジョ,カステッロ,南西にはサンタ・クローチェ,サン・ポーロ,ドルソドゥーロ(ジュデッカ島を含む)の区がある。歴史的にみると,町の政治的・経済的中心はサン・マルコ広場周辺にあり,パラッツォ・ドゥカーレ(総督宮),その私設礼拝堂として生まれたサン・マルコ大聖堂,新・旧行政館,図書館,造幣局などの古い公共的建物が集まっている。…
…南スラブ人の間で民族楽器グスレ(グスラ)にあわせて吟唱される一連の口承叙事詩の主人公マルコMarko王子にまつわる伝説。実在の人物である,中世セルビア王国の末期にマケドニア地方のプリレプを首都として君主を自称したブカシン王の長子マルコ王子(1335ころ‐95)を原型とするが,叙事詩の主人公としてのマルコ像には,異教時代の神話や民話の主人公の超自然的能力,オスマン・トルコ支配時代の武力抵抗運動に活躍した山賊・義賊たち(いわゆるハイドゥク)の愛国心も結びつき,民衆の民族独立の悲願を象徴する英雄として口承文学上もっとも人気のある主人公である。…
…四つの福音書のうちもっとも古く,後70年前後に書かれた。ペテロが教示したことをマルコがまとめたとする伝統的説明は保持しがたい。成立地についてはローマ説,ギリシア・小アジア説のほか,ガリラヤ説が有力である。…
※「マルコ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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