個人主義-集団主義(読み)こじんしゅぎ-しゅうだんしゅぎ(その他表記)individualism-collectivism

最新 心理学事典 「個人主義-集団主義」の解説

こじんしゅぎ-しゅうだんしゅぎ
個人主義-集団主義
individualism-collectivism

世界には,個人に対して対人関係集団などの社会関係がもつ影響力が弱く,個人の自由度が高い個人主義社会と,社会関係の影響力が強く,個人の選択や行動の自由が制限されがちな集団主義社会がある。個人主義individualismとは,前者の社会で優勢な個人中心主義であり,個人の目標達成や独自性,そして個人が物事を主体的にコントロールすることを重視する文化のことである。一方,集団主義collectivismとは,後者の社会で優勢な,個人が他者との関係性の中で初めて意味をもつ社会的存在であると理解し,内集団in-group(自己の所属集団)を外集団out-group(それ以外の集団)よりも重視する文化のことである。一般には,個人主義文化が優勢な社会の人びとは,自己概念を自己の内的特性によって定義したり,集団の利益よりも個人の利益を優先させたりする心理・行動傾向をもつ一方,集団主義文化が優勢な社会の人びとは自己概念を対人関係や集団所属性によって定義したり,また集団の利益を個人の利益よりも重視させたり,個人利益と集団利益を一致させたりする傾向をもつとされている。個人主義と集団主義は多くの場合相互に対立する一次元両極端として扱われ,これまでさまざまな社会が,相対的に個人主義文化が優勢な社会と,集団主義文化が優勢な社会に分類されてきた。

【個人主義-集団主義の研究史】 社会が個人の自律性を前提に作られているか,それとも集団の利益を優先するよう作られているかは,社会科学における伝統的な問題である。たとえば社会学者のテンニースTönnies,F.(1887)は,伝統的な小規模村落のような,自然発生的で共同体志向的な集団をゲマインシャフトGemeinschaft,都市社会で見られる,個人の合理性と相互契約に基づく自由な集まりをゲゼルシャフトGesellschaftとよんで区別した。

 個人主義-集団主義の対比が本格的に心理学にもち込まれたきっかけとなったのは,ホフステッドHofstede,G.(1980)による大規模な多国間比較研究である。彼は世界53の国と地域で調査を行ない,世界の国民文化を分類するための基準を抽出した。その一つが各国の人びとがどの程度強く自己の独立性に価値をおくかを示す個人主義と集団主義の比較であった。これを国・地域間で比較したところ,北米や北西ヨーロッパやオセアニアなどいわゆる欧米文化圏の人びとは強い個人主義傾向をもつこと,一方,日本や韓国を含む東アジア諸国,また中南米諸国の人びとなどは,相対的に強い集団主義傾向をもつことが明らかにされた。

【個人主義-集団主義の帰結】 トリアンディスTriandis,H.C.をはじめとする研究者たちによって行なわれたその後の膨大な比較文化研究により,アメリカ人やカナダ人を代表とする北米人と,日本人,韓国人,中国人といった東アジア人の間に,個人主義-集団主義の文化差に起因すると考えられるさまざまな心理や行動の差異があることが見いだされてきた。たとえば,個人に関する研究では,北米人は,態度や能力や価値観といった個人の内的属性に基づいて自己定義し,自己の内的属性が他者よりも優れていることを幸福感の源とすることが示されている。一方,東アジア人は,周囲の人びととの関係性や所属集団に基づいて自己定義し,周囲の他者と相互協調的な関係を結ぶことが幸福感の源である。社会関係に関する研究では,東アジア人は見知らぬ外集団メンバーとのコミュニケーションに困難を覚えることが多いのに対して北米人はそうした反応を見せにくいこと,東アジア人は集団内の意見対立を隠蔽し緩和することを推奨するのに対して北米人はそれを明るみに出して正邪を決めることを推奨すること,などが明らかにされている。

【個人主義-集団主義を巡る論争】 過去30年以上にわたり膨大な知見が蓄積されてきた現在,「北米人は個人主義」,「東アジア人は集団主義」というそもそもの研究の前提に対して疑問符が付き始めている。たとえば,オイザーマンOyserman,D.らがメタ分析を用いて過去の実証研究の知見を振り返ったところ,⑴個人主義傾向と集団主義傾向は必ずしも相反するものではなく独立の次元であること,⑵個人主義については従前からの予測どおり北米人の方が強いものの,⑶集団主義については必ずしも東アジア人が強いわけではなく,北米人も遜色ないことが明らかにされた。

 こうした意外な事実の発見に対して,学界からはさまざまな反応があった。第1は,ハイネHeine,S.J.や北山忍など,その原因を測定法の欠陥に求めるものである。従来の個人主義-集団主義の主たる測定法はリッカート尺度によるものであり,主に価値観や行動傾向を示す文章への賛成度を数値で評定することを求める(たとえば「まったくそう思わない」を1点,「非常にそう思う」を7点とするなど)。その結果,これらの研究の知見には,⑴社会によって極端な尺度値の選択しやすさに関する規範が異なる,⑵社会によって,自己評価の際に参照する他者の意見分布が異なる(準拠集団効果reference group effect),という要因が混交していた可能性がある。これらの問題は,文化間の単純な平均値の比較の妥当性を脅やかす。代替的方法として,主観的評価過程を通さない客観的な行動観察や,意識に上がらない潜在的認知指標を用いた測定などが推奨されている。

 第2は,そもそも個人主義-集団主義の文化差は人びとの価値観(何が正しいか)や態度(何を好むか)の違いとして存在するのではなく,人びとが予測する他者の行動の違いとして存在するのだという主張である。たとえば山岸俊男らは,日本人の多くは,個人的な価値観としては集団主義を支持していないものの,他者は集団主義を支持しているだろうという文化的共有信念をもっている結果,他者からの罰を避けるために自らもやむなく集団主義的に行動しているのだと主張している。

 第3は,社会間に存在するのは,個人よりも集団を重視する程度の違いではなく,その重視の仕方の違いであるとの主張である。この主張の背景には,「社会的動物」である人間にとってあらゆる社会関係を欠いた孤立志向などありえず,異なるのは集団の利用の仕方であるという発想がある。たとえば,結城雅樹(2011)による集団主義の質的文化差仮説によれば,北米人の集団主義傾向は,内集団メンバー間の類似性と内外集団間の差異性,および集団間の地位格差に注目し,それを拡大しようとする集団間比較志向intergroup comparison orientationである。一方,東アジア人の集団主義は,内集団メンバー間の対人関係構造と調和性に注目し,それを維持しようとする集団内関係志向intragroup relationship orientationであるとされる。

 以上のように,個人主義と集団主義は,文化心理学においていまだ論争の続いているきわめて現代的な問題である。その他の未解決の問題としては,個人主義文化と集団主義文化の違いはそもそも何に起因するのか,グローバル化やインターネットの発展など新たな経済的・技術的状況の登場は,旧来の個人主義・集団主義を変化させるか,などがある。 →集団 →集団間関係 →文化心理学
〔結城 雅樹〕

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