デジタル大辞泉
「北原武夫」の意味・読み・例文・類語
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北原 武夫
キタハラ タケオ
昭和期の作家,評論家
- 生年
- 明治40(1907)年2月28日
- 没年
- 昭和48(1973)年9月29日
- 出生地
- 神奈川県小田原市
- 学歴〔年〕
- 慶応義塾大学文学部国文科〔昭和7年〕卒
- 経歴
- 昭和7年都新聞に入社。8年坂口安吾らと同人雑誌「桜」を創刊。12年宇野千代と結婚、39年に離婚。13年「妻」を発表して文壇に登場し、以後「雨」「桜ホテル」などを発表。16年陸軍報道班員としてジャワ島に随行。戦後、宇野千代とともにスタイル社を再興し、「スタイル」などを刊行するが34年倒産。以後、執筆活動に専念する。「マタイ伝」「聖家族」「告白的女性論」「霧雨」「情人」などを発表。文芸評論家としても活躍した。「北原武夫文学全集」(全5巻)がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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北原武夫
きたはらたけお
(1907―1973)
小説家。小田原市生まれ。慶応義塾大学国文科卒業。1933年(昭和8)坂口安吾(あんご)らと同人雑誌『桜』を創刊。また『詩と詩論』などに評論を発表した。この間アラン、ジッドなどのフランス・モラリスムの思想家たちに傾倒。38年新心理主義風の『妻』を書いて芥川(あくたがわ)賞候補となり、ついで『門』(1939)、『桜ホテル』(1939~40)で文壇的地位を確立。39年宇野千代と結婚したが、64年離婚。第二次世界大戦後はいち早く『マタイ伝』(1946)を発表。以後『暗い夜』(1948)、『魔に憑(つ)かれて』(1957)、『霧雨』(1971)など、多く情痴におぼれる男女の心理を描き、逆説的にモラルの行方を探って好評を博した。また『告白的女性論』(1958)は異色の女性論として反響をよんだ。
[千葉俊二]
『『北原武夫文学全集』全5巻(1974~75・講談社)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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北原武夫【きたはらたけお】
小説家。神奈川県小田原市生れ。新潟高校中退後,慶応大学予科をへて同大国文科卒。都新聞入社。1939年宇野千代と結婚(1964年離婚)。その前年《妻》によって文壇に登場。ダンディズムを身上とする心理小説や,《告白的女性論》(1958年)などのエッセーを発表した。また宇野とともにファッション雑誌《スタイル》を発刊した。代表作に《別離》(1965年),《情人》(1972年)。その他多くの通俗小説がある。
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北原武夫 きたはら-たけお
1907-1973 昭和時代の小説家,評論家。
明治40年2月28日生まれ。昭和13年の「妻」で注目される。宇野千代と結婚し,ともにスタイル社を創業,戦後は女性雑誌「スタイル」の復刊につくす。39年離婚。「別離」「情人」などの心理小説が好評を博した。昭和48年9月29日死去。66歳。神奈川県出身。慶大卒。作品はほかに「マタイ伝」,エッセイに「告白的女性論」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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北原 武夫 (きたはら たけお)
生年月日:1907年2月28日
昭和時代の小説家;評論家
1973年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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