出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
江戸前期の俳人、狂歌師。別号慶友、宗松。堺(さかい)の人でのち江戸に住した。医学の名家半井氏(本姓和気(わけ)氏)の支流で、代々文事をたしなんだ。卜養も医を業とし、寛永(かんえい)(1624~44)年中からたびたび幕府に召され、1666年(寛文6)御番医師、1673年(延宝1)法眼(ほうげん)になった。俳諧(はいかい)は貞徳に批評を請い『犬子(えのこ)集』に多数入集、江戸五俳哲の一人に数えられた。作風は口拍子にかかりリズミカルな点に特徴がある。狂歌もたしなみ、即興歌の名人として聞こえた。家集『卜養狂歌集』『卜養狂歌集拾遺』のほか、仮名草子『和薬(わやく)物語』がある。
うち出(いず)る月は世界の鉄砲洲(てっぽうず)たまのやうにて雲をつんぬく
[森川 昭]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…安土桃山時代の狂歌作者には,南禅寺の住持にまでなった禅僧で《詠百首狂歌》の作者雄長老,当代歌学の権威細川幽斎,碁の名人本因坊算砂,豊臣秀吉の御伽衆(おとぎしゆう)大村由己,狂歌百首をのこした聖護院道増,《醒睡笑》の作者で浄土宗誓願寺の住職安楽庵策伝,公家の烏丸光広らがあり,それぞれの道の第一級の人々が余技として狂歌を楽しんだ。寛永以後は貞門俳人が中心で,松永貞徳,斎藤徳元,半井卜養,池田正式(まさのり),石田未得,高瀬梅盛らにまとまった作品があり,俳諧点取りの奥書に狂歌が応酬されていたりする。《古今夷曲集》の生白庵行風(せいはくあんこうふう)や《鳩の杖集》の豊蔵坊信海(ほうぞうぼうしんかい)になると,俳諧より狂歌に重点が移ってくる。…
※「半井卜養」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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