福原愛(読み)ふくはらあい

知恵蔵 「福原愛」の解説

福原愛

1988年11月1日、宮城県仙台市生まれの日本の女子卓球選手。2012年ロンドンオリンピックの日本代表。ANA(全日本空輸)所属(12年時点)。
3歳9カ月から卓球の英才教育を受け、4歳でテレビに登場。マスコミで「天才卓球少女」「泣き虫愛ちゃん」と呼ばれ親しまれた。
5歳で全日本選手権バンビの部(小学校2年生以下)で史上最年少優勝を果たす。その他にも、様々な大会で史上最年少記録を作った。
小学校4年生でプロ宣言をし、ミキハウスとの専属契約を機に大阪へ移住した。中学生の時には、より良い練習環境のために青森へ。青森山田高等学校(青森県)を経て、早稲田大学スポーツ科学部(東京都)に入学し、その後中退する。
94~2000年の全日本選手権大会各年齢別クラスで、シングルス7年連続優勝を果たす。その後、00年に日本選手権大会カデット、01年にジュニアシングルス優勝など、国内大会で数々の輝かしい結果を残す。04年の世界選手権ドーハ(カタール)大会では女子団体銅メダルアテネ・オリンピックではシングルスベスト16。05年には中国卓球クラブ超級リーグへ初参戦し錬磨。09年国際卓球連盟(ITTF)のプロツアー・モロッコ・オープンでシングルス優勝(ツアー初優勝)。08年の北京オリンピックではベスト16。11年の世界選手権ロッテルダム(オランダ)大会では混合ダブルスで銅メダルを獲得する。大会後の世界ランキングにより、シングルスのロンドン・オリンピック出場権を獲得した。12年、全日本選手権大会シングルス優勝で同大会の全タイトルを獲得し(優勝回数20)、史上初のグランドスラムを達成した。12年のロンドン・オリンピックでは、女子団体で中国に敗れたものの、平野早矢香石川佳純と共に日本卓球史上初となる銀メダルを獲得した。
福原は中国メディアからも注目されており、今回の決勝の後は北京と違い泣かなかったことが大きく報道されるなど、人気の高さがうかがえた。

(菘(すずな)あつこ  フリーランス・ライター / 2012年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

知恵蔵mini 「福原愛」の解説

福原愛

卓球選手。全日本空輸(ANA)所属。1988年11月1日、宮城県生まれ。青森山田高等学校卒業、早稲田大学スポーツ科学部中退。夫は台湾の卓球選手、江宏傑(ジャン・ホンジェ)。3歳から卓球の英才教育を受ける。94年に全日本卓球選手権大会ホープス・カブ・バンビの部(小学校2年生以下)にて史上最年少の5歳で優勝し、以降、2000年まで同大会の全年齢別クラスでシングルス連続優勝を果たす。10歳で卓球女子では日本初のプロ選手になり、世界各地の国際卓球連盟(ITTF)のプロツアーに出場。05年には中国卓球スーパーリーグに参戦した。五輪へは04年のアテネ大会から4大会連続で出場し、12年ロンドン大会の団体で日本卓球史上初の銀メダルを獲得。16年リオ大会ではシングルス4位、団体銅メダルの成績を残した。18年、同年開幕予定の日本の卓球リーグ「Tリーグ」の理事に就任し、10月21日に自身のブログで現役引退を表明した。

(2018-10-23)

出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「福原愛」の解説

福原愛 ふくはら-あい

1988- 平成時代の女子卓球選手。
昭和63年11月1日生まれ。4歳で全日本選手権バンビの部で16強,翌年から3連覇。10歳で卓球初の女子プロ。11歳で日本代表入りし,平成16年アテネ五輪に日本最年少で出場し,ベスト16にすすんだ。青森山田高を卒業し早大に進学。20年北京五輪の団体で4位入賞。24年全日本選手権のシングルスで優勝。同年ロンドン五輪の団体(福原愛・石川佳純平野早矢香)で銀メダルを獲得,シングルスは準々決勝で敗れて5位入賞。戦型は右シェイク異質前陣速攻。全日本空輸(ANA)所属。宮城県出身。

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