馬場恒吾(読み)ババツネゴ

デジタル大辞泉 「馬場恒吾」の意味・読み・例文・類語

ばば‐つねご【馬場恒吾】

[1875~1956]ジャーナリスト岡山の生まれ。「ジャパンタイムズ」「国民新聞」の編集長歴任自由主義擁護の論陣を張り、無産政党結成にも尽力。第二次大戦後、読売新聞社社長。

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精選版 日本国語大辞典 「馬場恒吾」の意味・読み・例文・類語

ばば‐つねご【馬場恒吾】

  1. ジャーナリスト。岡山県出身。ニューヨークで「オリエンタル‐レビュー」主筆。帰国して「ジャパン‐タイムズ」「国民新聞」で活躍。また普通選挙法の成立に尽力した。のち、読売新聞社社長となる。明治八~昭和三一年(一八七五━一九五六

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20世紀日本人名事典 「馬場恒吾」の解説

馬場 恒吾
ババ ツネゴ

明治〜昭和期のジャーナリスト,政治評論家 元・読売新聞社社長;元・日本新聞協会会長。



生年
明治8年7月13日(1875年)

没年
昭和31(1956)年4月5日

出生地
岡山県邑久郡牛窓町長浜

学歴〔年〕
東京専門学校(現・早大)英語政治科〔明治33年〕中退

主な受賞名〔年〕
新聞文化賞(第1回)〔昭和26年〕,新聞人顕彰〔昭和35年〕

経歴
明治33年ジャパンタイムズ社入社。42年渡米して「オリエンタル・レビュー」という日本紹介の英文雑誌を刊行したが続かず、大正2年帰国、ジャパンタイムズに戻り編集長。翌年徳富蘇峰の国民新聞社に転じ、外報部長、編集局長、政治部長、理事を歴任。その間、パリ講和会議特派員として随行。13年退社、社会大衆党顧問として普選運動、無産運動に参加。新聞、「中央公論」「改造」などに政治評論、人物論を書き、リベラルな論陣を張った。戦争中一時執筆を禁止されたが、節を曲げなかった。昭和20年正力松太郎社長がA級戦犯で退社後の読売新聞社長に迎えられ、読売争議の解決に当たった。26年社長を辞任、顧問となる。24〜26年日本新聞協会会長を務め、26年第1回新聞文化賞を受けた。著書に「現代人物評論」「議会政治論」「自伝点描」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「馬場恒吾」の意味・わかりやすい解説

馬場恒吾
ばばつねご
(1875―1956)

ジャーナリスト。明治8年7月13日岡山県に生まれる。同志社、東京専門学校(早稲田(わせだ)大学の前身)中退後、『ジャパンタイムズ』紙に入社。1909年(明治42)渡米、ニューヨークで英文雑誌『オリエンタル・レビュー』の編集に携わった。1913年(大正2)帰国、『ジャパンタイムズ』に復帰したが、翌1914年『国民新聞』に移り、政治部長、編集局長を歴任、1924年退社し、以後、評論活動に入るとともに、普選運動、無産政党の結成に力を尽くした。戦時中、自由主義的言論人として執筆禁止の厄にあった。1945年(昭和20)12月、読売新聞社社長正力松太郎(しょうりきまつたろう)が戦犯容疑で勾引(こういん)されたのち、同社社長に迎えられ、1951年1月まで社長を務めた。この間、第二次読売争議を切り抜け、日本新聞協会会長も務め、第1回新聞文化賞を受けた。昭和31年4月5日死去。著書には『現代人物評論』『近衛内閣史論(このえないかくしろん)』『回顧と希望』『自伝点描』などがある。

[高須正郎]

『『回顧と希望』(1948・読売新聞社)』『『自伝点描』(1952・東西文明社)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「馬場恒吾」の意味・わかりやすい解説

馬場恒吾
ばばつねご

[生]1875.7.13. 岡山
[没]1956.4.5. 東京
明治・大正・昭和期の政治評論家。同志社神学校(→同志社大学)と東京専門学校(→早稲田大学)英語政治科を中退。1900年ジャパン・タイムズ社(→ジャパン・タイムズ)に入社し,1909年ニューヨークに渡って『オリエンタル・レビュー』The Oriental Review編集長に就任,アメリカ合衆国での親日気運促進に努めた。1913年に帰国し『ジャパン・タイムズ』編集長。1914年に国民新聞社(→国民新聞)に移り,外報部長,政治部長,編集局長などを歴任した。1924年に退社し,以後は評論家として活動しながら政治運動にも参加。第2次世界大戦後,1945年から 1951年まで読売新聞社の第8代社長を務め,またその間,1945年貴族院議員に勅選され,1949年日本新聞協会会長に就任した。主著に『現代人物評論』(1930),『大隈重信伝』(1932),『議会政治論』(1933),『財界人物評論』(1936),『伊藤博文』(1942)がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「馬場恒吾」の意味・わかりやすい解説

馬場恒吾 (ばばつねご)
生没年:1875-1956(明治8-昭和31)

ジャーナリスト。岡山県生れ。東京専門学校(現,早大)中退。《ジャパン・タイムズ》記者となる。1909年渡米,ニューヨークで同社社長頭本元貞らが企画した英文雑誌《オリエンタル・レビュー》を編集したが,13年帰国,《ジャパン・タイムズ》編集長。14年《国民新聞》入社,外報部長,政治部長,編集局長を歴任。24年退社,社会大衆党顧問となる。またリベラルなジャーナリストとして政治・人物評論などに筆をふるったが,第2次大戦中は政府によって執筆を禁じられた。45年正力松太郎の戦犯指名のあとをうけて《読売新聞》社長となり,第2次読売争議の弾圧にあたった。51年辞任,顧問。この間,日本新聞協会長も兼ねた。
執筆者:

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「馬場恒吾」の解説

馬場恒吾 ばば-つねご

1875-1956 明治-昭和時代の新聞経営者,政治評論家。
明治8年7月13日生まれ。「ジャパン-タイムズ」記者をへて国民新聞社の政治部長,編集局長などをつとめる。大正13年退社し,評論活動にはいった。昭和20年読売新聞社長,24年日本新聞協会会長。昭和31年4月5日死去。80歳。岡山県出身。東京専門学校(現早大)中退。著作に「現代人物評論」など。

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367日誕生日大事典 「馬場恒吾」の解説

馬場 恒吾 (ばば つねご)

生年月日:1875年7月13日
明治時代-昭和時代の新聞実業家;政治評論家。読売新聞社社長;日本新聞協会会長
1956年没

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世界大百科事典(旧版)内の馬場恒吾の言及

【自由民主党】より

…そうした経緯と体質が,その後の自民党の歩みにさまざまな影響を及ぼすことになった。さらに党結成の際導入された総裁公選制が,衆院の中選挙区単記制と相まって,激烈な総裁争いと派閥政治を生み出したことも指摘しておく。 党綱領は次の3項から成る。…

【閥】より

…閥には,生得的な出身家族,出身地によって形成されるもの(門閥,閨閥,藩閥,県人閥),出身学校によって形成されるもの(学閥),社会的・職業的な権力集団が形成するもの(財閥軍閥,官僚閥)などがある。また,一人のボスのもとに閥を形成する派閥もあるが,この場合,派閥を形成することによってボスも閥によって拘束される,という集団優位の機能が作用する。閥の形成は第三世界において集約的にみられる。…

※「馬場恒吾」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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