オラー(読み)おらー(英語表記)George A. Olah

日本大百科全書(ニッポニカ) 「オラー」の意味・わかりやすい解説

オラー
おらー
George A. Olah
(1927―2017)

アメリカの有機化学者。ハンガリーブダペストに生まれる。1949年ブダペスト工科大学で博士号を取得。フッ素に興味をもち、そのままブダペスト工科大で研究を続ける。1954年ハンガリー科学アカデミー会員。1956年に起きたハンガリー動乱を機に、研究拠点を北アメリカに移す。1957年ダウ・ケミカルに研究員として就職、カナダを経てアメリカに渡る。1950年代後半、安定なカルボカチオンcarbocation(カルボニウムイオンとも。C+、炭素陽イオン)の研究に着手し、1960年代初めに、超強酸を用いて、安定なカルボカチオンを捕えることに成功した。1965年ケース・ウェスタン・リザーブ大学教授、1977年南カリフォルニア大学教授。1991年同大学ローカー炭化水素研究所所長に就任した。

 有機化学反応においては、反応の途中に中間体とよばれる分子状態を経ると考えられていたが、中間体の寿命はひじょうに短いうえに反応性に富むため、その存在は理論上のもので実際はよくわかっていなかった。カルボカチオンもそうした理論上の中間体の一つであったが、オラーの研究により存在が実証され、中間体研究に道を開いた。この功績により、1994年にノーベル化学賞受賞した。

[馬場錬成]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オラー」の意味・わかりやすい解説

オラー
Olah, George A.

[生]1927.5.22. ハンガリー,ブダペスト
[没]2017.3.8. アメリカ合衆国,カリフォルニア,ビバリーヒルズ
ハンガリー生まれのアメリカ合衆国の化学者。フルネーム George Andrew Olah。1949年ブダペスト工科大学で博士号を取得。その後同大学で教鞭をとり,1954年ハンガリー科学アカデミー中央研究所副部長に就任したが,1956年ハンガリー動乱でアメリカに移住。総合化学メーカーであるダウ・ケミカルのカナダ(1957~64)とアメリカ(1964~65)の研究所に勤めたのち,1965年オハイオ州クリーブランドのケース・ウェスタン・リザーブ大学教授,1977年南カリフォルニア大学ロサンゼルス校教授となり,1988年以降同校のローカー炭化水素研究所所長。有機物の化学反応において,正の電荷をもつ炭化水素分子カルボカチオンがしばしば中間体となることは理論的には理解されていたが,分子が不安定ですぐ消滅するため,観測は不可能とされていた。ハンガリー時代からこのカルボカチオンに関心をもっていたオラーは,低温の超強酸溶液を用いてカルボカチオンの分解や再化合の実験に成功。1962年に発表されたこの成果は有機化学の新たな分野を開いたばかりでなく,革新的な炭素系燃料やハイオクタンガソリン開発にもつながった。1994年ノーベル化学賞を受賞。

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化学辞典 第2版 「オラー」の解説

オラー
オラー
Olah, George A.

ハンガリー生まれのアメリカの有機化学者.ブダペスト工科大学で学位を取得.1956年のハンガリー動乱の際にカナダに移り,ダウケミカルの研究員,ケースウェスタンリザーブ大学を経て,1974年南カリフォルニア大学教授となる.有機化学反応の中間体として提唱されながら実在は未確認であったカルボカチオンを,低求核性溶媒中で超強酸の五フッ化アンチモンとハロゲン化アルキルとの反応により,孤立したイオンとして安定に生成させることにはじめて成功した.さらに,超強酸による非古典的カルボカチオンの生成を見いだし,これを用いた炭化水素の改質反応の研究などで工業化学にも貢献した.カルボカチオンの化学への功績で,1994年ノーベル化学賞を受賞した.

出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報