チュニジアの政治家で独立運動の指導者。モナスティールに生まれる。フランス留学後チュニスで弁護士を開業するかたわら政治活動に入り、立憲自由党(デストゥール党)の旧指導部の方針を批判して1934年に同党新派(ネオデストゥール党)を結成した。以来民族運動を指導し、1956年に独立を達成して首相に就任、1957年の共和制移行とともに大統領になり、与党デストゥール党(1964年に社会主義デストゥール党と改称)の党首を兼ねて権力を一身に集中した。1974年に終身大統領就任。外交面では中立主義を掲げながら概して穏健路線をとり、内政面では1960年代に社会主義政策を実施した時期があったが、一貫して現実的な経済と社会の近代化政策を進めた。後継者とみなしていたベン・サラー経済相やラドガムBahi Ladgham(1913―1998)、ヌイラHedi Nouira(1911―1993)、ムザリMohamed Mzali(1925―2010)、スファールRachid Sfar(1933―2023)らの歴代首相を政治・経済情勢の悪化とともに次々解任して自らの政治生命を維持していたが、1987年11月、病気を理由に追放された。
[宮治一雄]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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