リヨテ(英語表記)Louis Hubert Gonzalve Lyautey

改訂新版 世界大百科事典 「リヨテ」の意味・わかりやすい解説

リヨテ
Louis Hubert Gonzalve Lyautey
生没年:1854-1934

フランスの軍人元帥ロレーヌの古い軍人の家系に生まれ,騎兵士官としてアルジェリア,本国勤務の後,インドシナ(1894-97),マダガスカル(1897-1902)の平定で作戦手腕を認められ,再びアルジェリアに転じて将官に進んだ。レンヌの第10軍団長を経て1912年,保護条約調印後のモロッコで総弁務官(総督)となり,第1次大戦中の一時期陸相に転じたほかは,25年まで在任した。その統治武力による弾圧と利益誘導による懐柔によって安定した支配を築いた。各地に広報事務所を設けて平定,住民の親フランス化に寄与させたこと,保健衛生サービスの拡充,道路・港湾の整備,都市建設,民生救済施設の設置,高等教育や士官養成施設の設立にその治績をみることができる。リヨテはまた文筆家としても一家をなし,《士官の社会的役割》(1891),《軍の植民上の役割》(1900),《トンキン,マダガスカル便り》《南マダガスカルにて》(ともに1903)など多数の著作を発表し,近代植民地経営論を打ち立てた。1912年には学士院会員に推された。長きにわたった植民地経営やこれらの文筆活動には,若年期にアルベール・ド・マンAlbert de Mun(1841-1914)との交友から得たキリスト教社会主義影響をみることができる。25年に始まる山岳地域リーフの反仏闘争に際しては,アブド・アルカリーム軍を撃退はしたが,翌年モロッコの軍権ペタンに移譲させられたのを機に辞任して帰国し,退隠生活に入った。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「リヨテ」の意味・わかりやすい解説

リヨテ
りよて
Louis Hubert Gonzalve Lyautey
(1854―1934)

フランスの軍人。古い軍人家系の出であるが、早くからアルベール・ド・マンAlbert de Mun(1841―1914)のキリスト教社会主義の影響を受け、またブリュンチエール、ド・レニエらの文人とも交わりをもった理想家肌の植民地統治者として知られる。アルジェリア、インドシナ、マダガスカルと20年近い植民地勤務に手腕を示し、1912年フランスの対モロッコ保護条約調印直後モロッコ駐在総弁務官となった。以後、短期間の陸相在任を除き一貫してモロッコにあり、反抗鎮圧、行政、衛生・福祉事業、道路・港湾・都市建設、教育などに、諸部族上層部の支持を得て治績をあげたが、リフ人の反乱(1924)により辞任した(1925)。1912年アカデミー会員に推され、軍および軍人と、社会とくに植民地経営の関係について多くの著書がある。

[石原 司]

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世界大百科事典(旧版)内のリヨテの言及

【モロッコ】より

… フランス,スペインは,アラウィー朝スルタンの名目的な地位を残したものの,それぞれ統監,高等弁務官を任命して実質的には植民地支配体制をしいた。フランス地区の初代統監はリヨテであり,武力による弾圧のかたわら,利益誘導による懐柔で旧支配者層を利用し,またアラブとベルベルの対立をあおる分割統治策をとった。北部のスペイン支配に対するリーフ戦争(1921‐26)でスペイン・フランス連合軍に敗北した後,フランス人,スペイン人入植者が増加し,それぞれの地区で地方政治の実権を握り,本国と入植者による二重支配の体制が確立した。…

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