京報(読み)けいほう(英語表記)jīng bào

改訂新版 世界大百科事典 「京報」の意味・わかりやすい解説

京報 (けいほう)
jīng bào

中国,清代の半官半民の官報。中国では漢代にすでに官報の類があったようだが,確認できるものとしては唐代の邸報に始まる。唐代,節度使は中央との連絡のため,長安におのおのの邸宅を置いたが,そこから出されたので邸報という。邸報はその後も歴代の王朝で発刊され,明代では塘報と呼ばれて提塘官が管轄し,明末には木版活字による印刷も行われるようになった。清もはじめ明の制度を継承したが,やがて民間商人が北京に設立した報房から発刊され,京報と呼ばれるようになった。京報は黄色の表紙に赤字で京報と題された,数ページから十数ページの小冊子であった。内容は報房によって多少異なり,詳細,簡略の違いもあったが,普通には(1)宮門抄(宮廷録事),(2)上諭(皇帝の命令),(3)奏摺(内外官僚の上奏)の順に,いずれも内閣が公表した内容を印刷していた。京報は北京はもちろんのこと,遠く地方へも発送されて重要な情報源であった。清末には数日分の京報を収録した《諭摺彙存(ゆしよういそん)》が発刊され,また京報の名称も政治官報,ついで内閣官報と改められた。いわゆるPeking Gazetteとは,ヨーロッパ人がこれらを称したものである。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「京報」の意味・わかりやすい解説

京報
けいほう

中国で明(みん)代末期から主として清(しん)代にかけて発行された新聞の一種。中国では唐代から『邸報』とよばれる官報があったが、16世紀の中期になって明は、政府の監督の下で民間に『邸報』の記事を抄録して木版または謄写印刷で公刊することを許した。これが『京報』だが、ときには『邸報』と混同してよばれる。読者はおもに官吏、知識人、大商人で、発行所はたいてい北京(ペキン)にあって、報房といわれ、清朝末期には、聚興(しゅうこう)、聚陞(しゅうしょう)、聚恒(しゅうこう)など十数か所以上に達した。このころになると木活字鉛活字を使用、1日8ページから十数ページまでの小冊子(縦22センチメートル×横9センチメートルくらい)で、部数は1万余といわれ、黄表紙だったので『黄皮京報(こうひけいほう)』ともよばれた。

[春原昭彦]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「京報」の意味・わかりやすい解説

京報
けいほう
jing-bao; ching pao

中国,清朝で出された法令や奏聞,宮廷の動向などをまとめて掲載した小冊子。京抄,邸抄,邸報,塘報などとも称される。起源は唐代にあり,宋代に公式に発行される官報となった。清朝では明代の制度を受継ぎ,兵部の提塘官が公表すべき諸件を印刷した。体裁は木版活字で 10~12葉,表紙は黄色でそこに赤色で「京報」の印を押す。初めに宮廷の動向を,次に勅諭を載せ,さらに中央,地方官の奏聞を載せている。京報に類似したものに半官半民の事業で官文書を手写した「抄本」「長本」があり,抄本は省略されているが,迅速を旨として京報より早い。長本は詳悉であるが,京報より遅かった。京報は光緒 33 (1907) 年に政治官報に,さらに宣統3 (11) 年に内閣官報と名称が改められ,外国人はこれを「ペキン・ガゼット」 Peking Gazetteと称した。

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普及版 字通 「京報」の読み・字形・画数・意味

【京報】けいほう

官報。

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