倉栖兼雄(読み)くらす・かねお

朝日日本歴史人物事典 「倉栖兼雄」の解説

倉栖兼雄

没年文保2.5(1318)
生年:生年不詳
鎌倉後期の武将。金沢貞顕の祗候人で右筆執事掃部助。顕時・貞顕2代に仕え,詩酒を愛し書画に優れ白楽天を敬愛した。貞顕の六波羅探題時代の書状は,兼雄と向山景定が右筆として認めたものが大半で,兼雄の書状は世尊寺流の典雅なものである。陰陽道・宿曜道に通じ,嘉元3(1305)年の北条時村・宗方の暗殺の際は,動揺する貞顕を静めるため泰山府君祈祷を依頼している。兼雄は卜部兼好の兄とする説もあるが,官位が合わず別人と考えられる。下総国下河辺荘に所領を与えられ,一族は北条氏滅亡後も継続して知行しており北朝方の高師直の軍勢に加わり行動している。<参考文献>林瑞栄『兼好発掘』,前田元重「武家文化」(『神奈川県史/各論編3/文化』),福島金治「金沢北条氏の被官について」(『金沢文庫研究』277号),網野善彦「倉栖氏と兼好」(『文学』1984年7号)

(福島金治)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「倉栖兼雄」の解説

倉栖兼雄 くらす-かねお

?-1318 鎌倉時代武士
執権金沢貞顕(かねざわ-さだあき)に右筆(ゆうひつ)としてつかえる。文保(ぶんぽ)元年には下総(しもうさ)下河辺荘(しもこうべのしょう)築地郷の地頭職についていた。文保2年5月死去。通称は掃部助(かもんのすけ)。

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