宮若(市)(読み)みやわか

日本大百科全書(ニッポニカ) 「宮若(市)」の意味・わかりやすい解説

宮若(市)
みやわか

福岡県中北部にある市。2006年(平成18)、鞍手(くらて)郡宮田町、若宮町が合併、市制施行して成立。市域の西部から南部にかけて、西(にし)山、犬鳴(いぬなき)山、鉾立(ほこたて)山、笠置(かさぎ)山などの山々が連なり、太宰府県立自然公園の指定域。これら山地を水源とする遠賀(おんが)川水系の犬鳴川、八木山川(やきやまがわ)などが中央部を東に流れ、流域平地盆地が広がる。北部を九州自動車道が横断し、若宮インターチェンジがある。中央部北寄りを山陽新幹線が通過するが、駅は設置されていない。

 靡(なびき)山から延びる丘陵上に立地する汐井掛遺跡(しおいがけいせき)は、弥生時代後期から古墳時代中期の墳墓群。竹原(たけはら)の諏訪神社境内にある竹原古墳(国指定史跡)は装飾古墳として著名。686年(朱鳥1)に観世音(かんぜおん)寺(太宰府市)に金生(かのう)郷の封戸50烟が施入され、金生封が成立する。金生封はのちに荘園化し、奈良東大寺の支配を受けた。平安時代末期までには、市域の西部に若宮荘、東部には粥田荘(かいたのしょう)が成立。その後、両荘は朝廷から源頼朝に与えられて関東御領となり、粥田荘は頼朝により紀伊高野山金剛三昧(こんごうざんまい)院に寄進された。一方、若宮荘代官職は宗像(むなかた)社(宗像市)の宗像氏が領し、のち周防の大内氏に移るが、同氏滅亡後に再び宗像氏が支配した。戦国期には竜ヶ岳城(りゅうがたけじょう)に杉氏が、笠木山城(かさぎやまじょう)には毛利氏が拠って、筑前攻略を進める豊後大友氏と争った。その後秋月氏が勢力を広げ笠木山城を支えたが、豊臣秀吉勢に攻略される。江戸時代までは農林業を主とした農村であった。

 宮田地区は1885年(明治18)に石炭採掘が開始され、大之浦炭鉱(おおのうらたんこう)を中心とする石炭の町として発展。1902年には石炭輸送のために九州鉄道の貨物線(のちのJR宮田線)が開業。しかし、昭和30年代エネルギー革命の影響を受けて、石炭産業は崩壊、宮田線も1989年(平成1)に廃止となった。石炭産業衰退後は工業団地の造成と企業誘致が進められ、宮田地区ではトヨタ自動車九州などが操業。一方の若宮地区は、引き続き純農村地域として推移し、米作のほか、ブドウなどの果樹栽培が盛んである。また日本陶器工場(2007年閉鎖)なども進出している。八木山川には1965年(昭和40)に力丸ダム(りきまるだむ)(旧、八木山川ダム)、犬鳴川の最上流域には1994年(平成6)に犬鳴ダムが完成。犬鳴ダムの下流にある脇田温泉には多くの観光客が訪れる。面積139.99平方キロメートル、人口2万6298(2020)。

[編集部]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例