朝日日本歴史人物事典 「岩井半四郎(5代)」の解説
岩井半四郎(5代)
生年:安永5(1776)
文化文政期の歌舞伎役者,名女形。屋号大和屋。4代目半四郎の子として江戸に生まれた。粂三郎の名の子役時代から将来を嘱望され,娘形から若女形となり,文化1(1804)年父の死後4年で5代目を継ぐ。4代目鶴屋南北の多くの作品に出演し,父が三日月おせんの役名で創始した悪婆役を完成した。悪婆は老女ではなく,一見伝法肌の悪女だが根は純情といった役柄で,その傑作は文化10年「お染久松色読販」で5代目松本幸四郎の鬼門の喜兵衛とのコンビの土手のお六である。ほかに「隅田川花御所染」の清玄尼,「杜若艶色紫」の土手のお六,「桜姫東文章」の桜姫などが著名。美貌で愛嬌と色気にあふれ「眼千両」といわれたが,当時の役者絵からも納得される。リアルな台詞回しに長じ,これは七五調に慣れた現代の女形を悩ませている。女形の中の女形として,現代までただひとり「大太夫」と称される。文政5(1822)年11月,江戸三座の立女形を,彼と長男粂三郎,次男紫若の3人で独占する記録を作った。長男は「東海道四谷怪談」のお袖で活躍して6代目を継いだが,38歳で夭折,次男が7代目となったが,これも父より早く42歳で没した。5代目は晩年杜若を名乗り,72歳で病没した。<参考文献>伊原敏郎『近世日本演劇史』,井草利夫『近世劇文学便覧』
(井草利夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報