橘為仲(読み)たちばなのためなか

朝日日本歴史人物事典 「橘為仲」の解説

橘為仲

没年:応徳2.10.21(1085.11.11)
生年:生年不詳
平安時代の歌人。筑前守橘義通の子。淡路守などを経て皇后宮大進となり,後冷泉天皇の皇后である四条宮寛子の歌壇と交流を持ち,『四条宮下野集』にも登場。また藤原範永など受領層歌人のグループである和歌六人党にも加わり,能因,相模にも指導されて歌人として活躍した。晩年陸奥守として赴任の際,能因の歌に敬意を表し衣装を改めて白河の関を通り,上京の折には宮城野の萩を長櫃12合に入れて運んだと伝えられるなど,風雅に執した人物として知られた。『後拾遺集』以下に6首入集。<参考文献>犬養廉「橘為仲とその集」(『国語国文学』1957年12月号)

(山本登朗)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「橘為仲」の解説

橘為仲 たちばなの-ためなか

?-1085 平安時代中期-後期官吏,歌人。
越後守(えちごのかみ),陸奥守(むつのかみ)などをへて正四位下,太皇太后宮亮(たいこうたいごうのみやのすけ)となる。能因,相模にまなび,和歌六人党に後年くわえられたらしい。「後拾遺和歌集」「新古今和歌集」などの勅撰集に6首みえる。応徳2年10月21日死去。歌集に「橘為仲朝臣集」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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