朝日日本歴史人物事典 「西寛二郎」の解説
西寛二郎
生年:弘化3.3.10(1846.4.5)
明治期の陸軍軍人。薩摩(鹿児島)藩士西太郎兵衛の長男。11歳のときから島津久光に近侍し,戊辰戦争では遊撃隊を率いて鳥羽,伏見から会津(福島県),越後(新潟県)へ転戦して活躍,明治4(1871)年陸軍中尉に任じられた。その後佐賀の乱では征討幕僚参謀,西南戦争(1877)では別働第1旅団参謀長を務め,以後歩兵第11連隊長,参謀本部第1局長,歩兵第11旅団長を歴任した。日清戦争(1894~95)が始まると歩兵第2旅団を率いて出征,第1師団長山地元治の下で金州,旅順の攻略に功績を立てて男爵に叙せられた。日露戦争(1904~05)には第2師団長として出征し,摩天嶺で将軍ケルレル率いる優勢なロシア軍と交戦,数時間の激戦の末これを撃破して勇名をとどろかせ,大将へ昇進。戦後子爵に進んだ。のち教育総監,軍事参議官を経て,44年予備役へ編入。温厚,剛毅な性格で,部下の信頼は厚かったという。<参考文献>長坂金雄『西寛二郎』
(山崎有恒)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報