古代中国の思想家。戦国時代初期の紀元前5世紀後半に活躍したとされる。武力制覇の無駄を説き非戦と平和を唱えた「
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紀元前5世紀後半から前4世紀前半の人。中国古代の思想家、諸子百家(しょしひゃっか)の一人、墨家(ぼくか)の開祖墨翟(ぼくてき)の尊称。また墨家の主張を集めた書も『墨子』という。
[池田知久 2015年12月14日]
墨は姓というのが古くからの説。しかし正しくは墨刑(ぼくけい)(額(ひたい)に入れ墨(ずみ)をする刑罰)のことで、彼の労役(ろうえき)を尚(とうと)ぶ学風があたかも賤役(せんえき)に従事する刑徒・奴隷のようなのを誹(そし)って当時の儒家や上層貴族がつけた綽名(あだな)。下層庶民を代表する彼はむしろこれを誇りとして自学派の称とした。翟は名。身分は当時最下層の工人(こうじん)で、それゆえ姓が伝わらない。宋国(そうこく)の生まれ。経歴はほとんど不明。墨翟の説話は数多いが、大部分が後代の思想上の必要に基づく仮託であるから注意を要する。封建的社会体制の解体過程にあって当時各国は国内的には中央集権的専制化、対外的には戦争による大国化を進めていた。これに反対して墨翟は古く君主・貴族に隷属していた職能氏族をギルド的工人集団にまとめあげ、その最高リーダー(鉅子(きょし)という)として兼愛(相互愛の普遍化)と非攻(反戦平和)の実現のため、王侯・貴族に対する説得や被侵略国を助ける城郭守禦(しゅぎょ)といった実践活動を指導した。なお『墨子』はそのなかに墨翟の自筆を含まず、すべてが後学の墨者たちによって書かれたものである。
[池田知久 2015年12月14日]
『墨子』53篇(ぺん)は、社会変革集団・墨家の300年にわたる(前5世紀末~前122年)活動のなかで蓄積された理論と記録の全集である。最終的な成立は前漢(ぜんかん)末の劉向(りゅうきょう)の編纂(へんさん)にかかる。『漢書(かんじょ)』芸文志(げいもんし)には71篇とあるが今日までに18篇が失われた。53篇は五つに分類される。第1類は親士、修身、所染、法儀(ほうぎ)、七患、辞過、三弁の7篇。後期墨家(前300~前206年)以降の、他学派の影響を受けて書かれた雑録である。第2類は尚賢(しょうけん)、尚同(しょうどう)、兼愛、非攻、節用、節葬、天志、明鬼(めいき)、非楽(ひがく)、非命(ひめい)の10論23篇。もとは各論に上中下の3篇があり計30篇あった。墨家の思想を理解するうえでもっとも重要。墨家集団の社会変革のための綱領で、それぞれ上中下篇あるのは、見解を変えるたびに上→中→下と修正して書き直していったからである。初期墨家(~前381)の文献としては兼愛上がもっとも古く非攻上がこれに次ぐ。ただしこれらも墨翟の自筆ではない。中期(前381~前300年)には兼愛中、非攻中、節用上が書かれ、他の18篇は後期のもの。そのうち尚賢下、天志下、非命下はもっとも新しいが、それらも戦国最末期~秦(しん)代の作であって漢代の末期墨家(前206~前122年)のものはない。第3類は経(けい)上、経下、経説(けいせつ)上、経説下、大取、小取の6篇。墨弁(ぼくべん)ともいう。墨家の諸思想に根拠を提供するオルガノンである。経上は十論などで使用されている重要な概念の定義集、経下は基本命題集、経説上・下はそれらの解説で、内容は多岐にわたるが、論理学・自然学の概念や命題が多く、墨家の工人集団としての特徴を示す。大取はとくに兼愛論に関する命題集と諸他(しょた)の論理学的分析、小取は論理学の原理論・方法論と七つのテクニカル・タームの解説と若干の命題論・推理論からなる。経上は初期~中期の作、経下は中期~後期の作、経説上・下は経上・下にやや遅れる。大取は後期のもの、小取はさらに遅れて成立したようである。第4類は耕柱、貴義、公孟(こうもう)、魯問(ろもん)、公輸(こうしゅ)、非儒下の6篇。耕柱以下4篇は後期に成った墨子の説話集、公輸は墨子の救宋説話で末期の作、非儒下は儒家に悪罵(あくば)を投げ付けた文献で後期~末期のもの。第5類は備城門、備高臨、備梯(びてい)、備水、備突(びとつ)、備穴(びけつ)、備蛾傅(びがふ)、迎敵祠(げいてきし)、旗幟(きし)、号令、雑守の11篇。城郭守禦集団としての墨家が中期~後期に徐々に書き継いでいった兵技巧(軍事技術)書で、なかには秦墨(しんぼく)によって著されたものもある。『墨子』は漢代の儒教国教化ののちほとんど思想界から排除されて、読む人も少なく本文の脱誤も多く生じたが、清(しん)代の諸子学(しょしがく)の興隆とともに関心をもたれるようになり(1783年の畢沅(ひつげん)『墨子注』、1894年の孫詒譲(そんいじょう)『墨子間詁(かんこ)』がその代表作)、清末の西欧の衝撃以来、西欧の科学や論理学に見合う中国固有のものとして再認識され、研究が進められるに至った。
[池田知久 2015年12月14日]
兼愛論と非攻論はその原型が開祖墨翟によってすでに唱えられていたらしく、墨家の諸思想の中心は兼愛論である。最古の兼愛上篇(戦国初期の作)は現在の天下の乱を治めるために「兼ね相い愛す」ることを唱えるわけであるが、この「相い愛す」とは「人を愛すること其(そ)の(=自分の)身を愛するが若(ごと)し」(=他者への単なる愛)を人々が相互に行うこと、また兼相愛とはその相愛を全天下的規模に拡大(兼)することである。したがって当初、兼愛とはすべての個人、すべての家、すべての国の相互愛を普遍化すること、すなわち普遍的相互愛を意味していた。ここで注目されるのは、弱者だけでなく強者にも愛を要求する相互愛の平等性が、儒家によって推し進められていた当時の倫理が貴賤親疎を差別し強者の側から弱者に責務を押し付けがちだったのと違って、激しい弱者支持の精神に根ざしていること、また兼愛論が、抗争に明け暮れる戦国時代の終息をもたらす平和実現の思想であるのみならず、すべての人々に愛の主体となることを通じて政治の主体ともなるべきことを勧める主張をもった社会変革の思想だったことである。儒家の孟軻(もうか)(孟子)が家という家族制社会の基礎単位から体制を破壊に導くと危惧(きぐ)して、これを攻撃したのは有名である(『孟子』滕文(とうぶん)公篇下)。兼愛中篇は上篇の「兼ね相い愛す」に「交(こも)ごも相い利す」を付加した。精神的な愛が物質的な利に裏打ちされるべきことを主張して現実味を増したのである。しかし兼愛中篇は兼愛論の内容を万人の普遍的相互愛から君主の万民に対する無差別愛へと変化させ始めており、兼愛下篇になるとこの変化は決定的となる。兼愛論を一刻も早く実現したいと考えた戦国中期~後期の墨家が君主権の強化という社会の現実に妥協し、すべてを君主の主導性に依存させるようになったからで、この変化の延長線上にやがて尚同論や尚賢論による一君万民体制(中央集権的専制支配)が構想される。非攻論のもっとも古い上篇は兼愛上篇から分出したもので、戦争を大きな不義として否定する。このときすでに城郭守禦の活動も始まっていたのであろう。非攻下篇では正義の戦争を是認するに至るが、城郭守禦の活動の蓄積に基づく主張であると同時に秦の軍事膨張路線による天下統一を支持したもの。節用上篇は為政者に向かってその奢侈(しゃし)を戒めるなどの民衆愛護の具体策を訴え、節用中篇は為政者が民衆の消費節約を指導すべきことを説く。節葬下篇は葬礼を倹約し服喪の期間を短くせよと述べた論文であるが、これは孟軻から始まる儒家の厚葬久喪(こうそうきゅうそう)の主張を批判したもの。非楽上篇は為政者の音楽は民衆に対する搾取のうえに成り立つ有害物だから中止せよという。儒家(とくに荀子(じゅんし))の礼楽(れいがく)説に対する批判。これらの3論も兼愛論の具体化、その一分野として出現したようで、その限りでは初期・中期の理論と実践に由来する。
ところが後期墨家は以下の5論を唱えることによって従来の路線を大きく変更するに至る。明鬼下篇は鬼神が存在しそれが人間に賞罰を与える能力をもっていることを証明しつつ、それを政治に利用して民衆が兼愛論を実行するのを促した論文。天志上中下篇(また法儀篇も)は鬼神よりもいっそう超越的で賞罰能力の大きい天を動員して、天子や三公・諸侯の支配権の正当性を解明しながら、おもに天子に対して最上位者たる天の欲する義(=兼愛論)を実行せよと求める。もともと墨家は諸思想に根拠を提供するオルガノンとして、第3類の論理学・自然学をもつ合理主義者たちの集団であった。その墨家が集団メンバーの下層庶民や広く民衆の間に信仰されていた鬼神・天の宗教を利用したのは、兼愛論を早く実現して天下に平和を回復したいと願ったからであった。こうして墨家は非合理主義に転ずるとともに、その兼愛論の内容もいよいよ一君万民の専制支配を目ざすまでに変質していく。
非命上中下篇は、前述の明鬼論・天志論が兼愛論などの墨家的思想性をまったく失ってひたすら福を求め禍を避けるありきたりの鬼神・天信仰に堕落しかねず、また鬼神・天が人間を支配することを主張するこれらが人々を無気力にする、またはそのような理論と誤解されて同一視されかねないために書かれた論文である。有命説(運命論。とくに儒家の天命思想)を批判しつつ、自らの明鬼論・天志論を人々に努力を促す思想として擁護する。尚同上中下篇は墨家の民衆運動が古い封建制下の士大夫(したいふ)的な個人の存在意義を否定して、下から中央集権的専制を要求した論文。法家(韓非(かんぴ)など)の上からのそれと呼応し秦・漢帝国形成の理論となったものであるが、兼愛論などを実現するためという思想性をもった社会組織論である点が異なる。尚同とは尚(=上)に同ずる、すなわち下位者が上位者の義(価値観)に服従すること。人類が誕生したばかりの未開・野蛮の自然状態のなかでは、一人一義、十人十義、人が多ければ多いほど価値観が多様だったから天下は万人の万人に対する闘争によって乱れるほかなかった。これを克服するために天子を初めとする政治権力が発生し、人々を天子の一義に尚同させるための支配機構(国、郷、里などの行政組織と、三公、諸侯国君、郷長、里長などの官僚制)が整備されたのだとする。
尚賢上中下篇は前記の支配機構の一環としての官僚制を充実させよという主張。古い封建制下の中間的な士大夫を血縁制・世襲制によって温存するのをやめて、賢を尚(たっと)べ、すなわち、尚同した一義を基準にして能力の有無を判定し、能力のある者であれば庶民であっても官僚として採用せよという。こうして秦・漢統一帝国の出現する前夜、墨家の兼愛論はまったく反対の関係にある尚賢論に、その席を譲ったのであった。
[池田知久 2015年12月14日]
『藪内清訳注『墨子』(平凡社・東洋文庫)』▽『大塚伴鹿著『墨子の研究』(1943・森北書店)』▽『渡辺卓著『古代中国思想の研究』(1973・創文社)』▽『浅野裕一著『墨子』(講談社学術文庫)』▽『孫詒譲撰『墨子間詁』(1894)』▽『江著『読子巵言』(1917)』▽『胡適著『中国哲学史大綱 上』(1919)』▽『梁啓超著『墨子学案』(1921)』▽『銭穆著『先秦諸子繋年』(1935)』▽『方授楚著『墨学源流』(1937)』
中国,戦国時代の思想家。墨は姓,名は翟(てき)。一説によると,墨は入墨の刑で,墨子は受刑者を意味し,社会や反対派が彼を卑しんで呼んだのに始まる。墨子の事跡は明らかでないが,魯に生まれて,宋に仕えたという。封建制を是認し,道徳を尊重するなど,儒家と一致する主張が少なくない。だから,墨子は業を孔子に学んだと説くものさえある。しかし,儒家の礼説が繁雑で,財を尽くし民を貧しくするのを非として,墨子は反動的に礼楽を軽視し,勤労と節約を旨とした。儒家の重んずる周の文化主義を退けて,夏の素朴主義をもって治世の原理としたのである。儒と墨との原理には妥協を許さぬ相違があり,孟子なども墨子の学派をきびしく批判している。
墨子の思想のうち,もっとも特色があり,またもっとも有名なのは兼愛説である。兼愛とは,無差別の人間愛であり,親疎や遠近の区別をしない。一視同仁の愛である。このような人類愛は,家族愛や愛国心といったエゴイズムの否定のうえに成り立つものであろう。家族愛や愛国心と,人類愛とには質的な違いがあり,大きな懸隔がある。この懸隔を飛び越えて人類愛の世界にいたるには,なんらかのばねが必要であり,ばねの役割を果たしたのは,墨子の場合,宗教であった。宗教家の墨子は同時に政治理論家であり,兼愛説にもとづいて,〈非攻〉(戦争反対),〈節葬〉(葬儀を簡略にせよ),〈非楽〉(音楽を廃止せよ)をとなえ,働かざる者は食うべからずと主張した。
墨家は戦国末まで,儒家と思想界を二分するほどの勢力をほこったが,秦・漢の統一時代に入るや,急速に衰退してしまう。墨子の学説を集めた書《墨子》もまったく忘れ去られ,清朝の末にいたるまで2000年間,絶学の悲運にあった。彼の思想は支配者,すなわち士大夫階級に歓迎されないような要素をもち,ために中国社会には根を下ろしえなかったのである。
執筆者:日原 利国
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前480頃~前390頃
戦国時代初期の思想家。名は翟(てき)。魯(ろ)の人。宋に仕えた。儒学の階級的形式主義を批判して兼愛(無差別の愛)や交利(相互扶助)など,独自の思想体系を立てた。墨家(ぼくか)の祖。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…その第1点は,中国の思想史とくに古代,中世の思想史において,一般的に〈道教〉という言葉が実際にどのような思想概念として用いられてきているか,また,それは中国土着の民族宗教としての〈道教〉の概念とどのようなかかわりを持っているかであり,第2点は,中国において民族宗教としての道教が,その神学教理もしくは思想哲学を一応整備完成するにいたる唐・五代・宋初の時期において,道教の教団内部の学者たちがその教をどのような宗教として自覚し,規定し,ないしは神学教理の整備体系化を行っているかである。
[〈道教〉の語の用例]
中国の思想史において,〈道教〉という言葉(概念)が最も古く用いられているのは,前4世紀ころにその成立が推定される《墨子》の〈非儒篇〉およびこれより少しおくれて前3世紀ころにその成立が推定される〈耕柱篇〉においてである。〈非儒篇〉では〈儒者〉すなわち当時の孔子学派の学者たちが,みずからの教を〈道教〉とよんでいるのは正しくないと批判し,〈耕柱篇〉では墨子の教説こそ真正の〈先王の道教〉であることを強調している。…
…それ以前は墨者(ぼくしや)と呼ばれた。開祖は戦国初期の宋の工匠,墨翟(ぼくてき)(墨子,前5世紀後半~前4世紀前半)。墨翟の後を継ぐ指導者を鉅子(きよし)(巨子)という。…
…ディグナーガより1世紀ばかり後に,その孫弟子であるダルマキールティや非仏教的学派に属するウッディヨータカラが現れ,ディグナーガの論理学をさらに完璧なものにし,ここでインド論理学は完成する。
[中国]
中国人の手になる最初の論理学書は《墨子》のうちの六つの章〈経上〉〈経下〉〈経説上〉〈経説下〉〈大取〉〈小取〉である。《墨子》は前5世紀に,墨子およびその集団によって書かれたものであり,全部で71章からなるが,そのうちの6章が論理学を扱った部分である。…
…兼愛とは,すべての人間を無差別に愛すること。墨子は,自分と他人を区別せず,すべての人を愛するならば,争乱はなくなり,人は平和な生活を享受することができ〈天下の大利〉であると主張した。また万人を愛するのは天の意志であるといい,兼愛を道徳上の当為として人に義務づけた。…
…一方,戦国中期には,儒家,法家とは別に,都市下層民を中心に墨家が形成された。刑余者あるいは手工業奴隷の出といわれる墨子は,初め儒家に学んだが,その煩瑣な礼を不満とし,また儒家が仁愛を説きながら,親疎によって愛に段階を設けるのを嫌って,無差別な愛と倹約を説き,他人を侵すことを否定した。これは戦争をはじめ,つねに社会の犠牲にされるのが都市下層民であったからである。…
…つまり,世襲制に対して才能に応じて人材を抜擢せよとの考え方である。この思想を最も強く主張するのは《墨子》と《公羊伝(くようでん)》である。《墨子》は主に兄弟・父子・君長の兼愛を説くが,これは世襲制,氏族制からの弱者の解放を根底としている。…
…音楽美学を論じ,後世の学者が尊んだ〈楽記〉(《礼記(らいき)》の一編,前2世紀以前成立)に〈楽は徳の華なり〉というごとくである。しかし墨子は《非楽》を著し,為政者が楽舞を行うのに,民を搾取して過剰な経費をかけるとの理由から,音楽活動には否定的態度をとった。これに対して,荀子は〈楽論〉(前3世紀)で反駁(はんばく)し,音楽は人間の自然の欲求だから,むしろこれを正しい方向に導くことが,為政者の役割だと主張した。…
…ついで戦国の諸子百家の時代に入り,儒,墨,道,法などの思想家が相次いで現れた。このうち墨子は,孔子の仁愛が家族を中心とする閉じられた生活共同体への愛であることに反対し,天の神の意志である人類愛,すなわち兼愛を主張した。そのあとに出た儒家の孟子は,墨子の兼愛説を無君無父(君を無(な)みし父を無みす)の思想として激しく攻撃するとともに,他方では人間の自然の性のうちに善が内在するという性善説を唱え,これが永く儒家の正統思想となった。…
…その第1点は,中国の思想史とくに古代,中世の思想史において,一般的に〈道教〉という言葉が実際にどのような思想概念として用いられてきているか,また,それは中国土着の民族宗教としての〈道教〉の概念とどのようなかかわりを持っているかであり,第2点は,中国において民族宗教としての道教が,その神学教理もしくは思想哲学を一応整備完成するにいたる唐・五代・宋初の時期において,道教の教団内部の学者たちがその教をどのような宗教として自覚し,規定し,ないしは神学教理の整備体系化を行っているかである。
[〈道教〉の語の用例]
中国の思想史において,〈道教〉という言葉(概念)が最も古く用いられているのは,前4世紀ころにその成立が推定される《墨子》の〈非儒篇〉およびこれより少しおくれて前3世紀ころにその成立が推定される〈耕柱篇〉においてである。〈非儒篇〉では〈儒者〉すなわち当時の孔子学派の学者たちが,みずからの教を〈道教〉とよんでいるのは正しくないと批判し,〈耕柱篇〉では墨子の教説こそ真正の〈先王の道教〉であることを強調している。…
※「墨子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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