改訂新版 世界大百科事典 「アラトス」の意味・わかりやすい解説
アラトス
Aratos
生没年:前271-前213
古代ギリシアの政治家。シキュオンの出身。前264年,父が殺害されアルゴスに逃れる。前251年に帰国して僭主支配を倒し,アルゴスをアカイア同盟に加盟させた。この後プトレマイオス3世の援助を受けて,指導者となり同盟を拡大させた。反マケドニア政策をとって,前243年にマケドニア軍をコリントスから撤退させ,前229年にはアルゴスとアテナイの解放に貢献する。しかし,前227年にクレオメネス3世の率いるスパルタ軍に敗れ,その対外政策は全面的変更を余儀なくされた。彼はマケドニアのギリシア介入を承認し,前220-前217年の同盟市戦争の際にはフィリッポス5世の指揮下に参戦した。しかるに前214年にフィリッポス5世によるローマとの戦いへの参加を拒否し,翌年殺害された。5世による毒殺との伝えがある。その死後シキュオンでは彼のために祭礼が設けられた。その生涯はプルタルコスの《アラトス伝》に詳しい。
執筆者:前沢 伸行
アラトス
Aratos
生没年:前315ころ-前240か239
ギリシアの詩人。《現象》と題する詩の作者。この詩は現存する。キリキアのソロイに生まれ,アテナイでストア派の祖ゼノンの教えを受けた。その後,マケドニアのアンティゴノス2世の客となった。王の結婚の祝歌を作り,王のケルト人に対する戦勝を《パンへの賛歌》と題する詩の中でたたえたと伝えられている。その後シリアへ行き,アンティオコス王の宮廷で《オデュッセイア》を校訂したと言われている。再びマケドニアに帰り,同地で死去。《現象》は,エウドクソスによる散文体の天文学書を叙事詩体に書き改めたもので,ゼウスへの呼びかけに始まる天体の運行を扱う部分(1~732行)と気象学(733~1154行)から成り,ホメロスの言語を使用している。専門的知識に誤りが多いにもかかわらず,古代末期に至るまでギリシア,ローマ人の間で好評を博し,キケロなどによってラテン語に訳された。
執筆者:高橋 通男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報