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同盟市戦争 どうめいしせんそうSocial War

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

同盟市戦争
どうめいしせんそう
Social War

(1) 前 357~355年にアテネの覇権とその将軍や傭兵の誅求とに対する不満がもとで起った戦争。ビザンチオンアケメネス朝ペルシアカリアの州総督 (サトラップ ) マウソロスの支援を受け,ロードス,コスおよびキオスに指導されたアテネ同盟都市はアテネに反乱を起し,アテネはエンバタの海戦 (前 356) で敗れた。ペルシアの干渉の脅威の前に,前 355年アテネは交渉に入り和約を結んだ。 (2) 前 220~217年にアイトリア同盟とその同盟軍スパルタエリスの陣営とマケドニアフィリッポス5世ギリシア連盟の陣営との間にかわされた戦争。ナウパクトスの講和会議ではフィリッポスにきわめて有利な条件で和約が成立した。 (3) 前 91~87年ローマイタリアの同盟都市との間で行われた戦争。これより前,イタリアの同盟都市はローマの支配圏拡大に際しては軍隊を提供し協力していたが,ローマ市民権をもたず,政治的権力,土地配分でも差別を受けていたためローマへの不満を鬱積させていた。前 91年イタリア同盟市へのローマ市民権賦与法を提案した護民官 (トリブヌス・プレビス ) M.ドルススが急死し,暗殺の噂が流れると,これをきっかけに中部,南部のイタリア人は武器をとり,独自の国家建設に向った。ローマは執政官 (コンスル ) 以下,G.マリウス,L.スラを出動させたが鎮圧できず,前 90,前 89年には武器を捨てる者への市民権賦与を公告するという譲歩策をとった。この間東方にミトラダテス6世の反乱が起り,ローマでもマリウス,スラの対立があり,さらにイタリア人のトリブス帰属についても意見が分れるなど政情は混乱したが,結局前 87年同盟市への市民権一括賦与の決定により戦争は終結した。この結果ローマの都市国家的体制は有名無実なものとなった。

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百科事典マイペディアの解説

同盟市戦争【どうめいしせんそう】

共和政末期のローマとイタリア諸同盟市との戦争(前91年―前87年)。ローマ市民権を要求して同盟市が蜂起(ほうき),コルフィニウムに独自の政府をつくったが,ローマはその分断を図りしだいに市民権を付与。
→関連項目サムニウム人

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世界大百科事典 第2版の解説

どうめいしせんそう【同盟市戦争】

ローマの完全市民権獲得を目ざしてイタリア人の同盟市(ソキイsocii)が起こした戦争(前91‐前87,ただし主たる戦闘は前90‐前89)。ローマはイタリア半島に支配を広げていく過程でイタリア人の都市や諸部族にローマ市民権を与えず,同盟者の地位を与えた。彼らは独立を保持したとはいえ,独自の外交政策を展開することは認められず,またローマの要請に従ってさまざまな軍事援助を果たさなければならなかった。ローマの強大化に伴い内政干渉すら行われ,同盟市の不満は増大した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

同盟市戦争
どうめいしせんそう

古代ギリシア、ローマにおいて、同盟都市が参加して行われた戦争。[清永昭次]

ギリシア

Symmachikos polemos(ギリシア語) 第二次アテネ海上同盟の加盟諸ポリスとアテネとの間に行われた戦争(前357~前355)。同盟は紀元前378/377年に結成され、盟主アテネは、第一次アテネ海上同盟(デロス同盟)が「帝国」化した事実にかんがみ、当初、加盟ポリスの自由と自治を保障したが、のちにしだいに抑圧的になったため、またおそらくカリアのマウソロスの背後での画策もあって、前357年にキオス、ロードス、コスとビザンティオンが同盟から離反し、同盟市戦争が勃発(ぼっぱつ)した。前356年にアテネはキオスとエンバタの二度の海戦で敗れ、離反ポリスが増加し、前355年にはペルシア帝国が干渉の動きをみせたため、アテネが譲歩して和約が成立し、離反諸ポリスの独立が承認された。
 なお、ヘレニズム時代のギリシアで、マケドニア王フィリッポス5世・ヘラス連盟(同盟)対アイトリア同盟・スパルタ・エリスの戦争(前220~前217)をも同盟市戦争という。この戦争は、フィリッポスに有利なナウパクトスの和約で終わった。[清永昭次]

ローマ

Bellum sociale(ラテン語) イタリア同盟市とローマとの間の戦争(前91~前88)。前2世紀末のキンブリ戦争やユグルタ戦争におけるローマの勝利は、イタリア同盟市の援助によって可能であった。同盟市民はしだいにローマ市民権を要求するようになる。前91年の護民官ドルススは、彼らに完全市民権を与えようとしたが、貴族、騎士層の反対にあって暗殺された。これを知って同盟市側は、平和的な交渉によって市民権を獲得する希望を捨て、武装蜂起(ほうき)するに至った。彼らは同年にコルフィニウムに独自の政府、元老院を組織し、強力な軍隊をつくりあげた。戦いは南イタリアを中心に展開され、前90年には同盟市側が優位にたった。同年末ローマは、ローマに忠実であったイタリア人には市民権を与え、戦いの分断を図ることとなる。だが前89年には、イタリア半島およびガリア・キスパダナの全自由人に完全市民権が認められた。しかし彼らは、旧来の35トリブス(区)のうち8(もしくは10)トリブスにのみしか登録を許されず、民会の投票で過半数を占めることのないよう差別されていた。戦争はこののちも続いたが、前88年スラのサムニウム人掃討とカンパニアの奪回を契機として同年終結した。[田村 孝]

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世界大百科事典内の同盟市戦争の言及

【アカイア同盟】より

…前251年シキュオンが加わることによってアラトスという卓越した指導者を得,その勢力は著しく拡大した。その後マケドニア王国に従属,さらにアイトリア同盟との同盟市戦争(前219‐前218)で弱体化した。一時再びペロポネソス全体の覇権を掌握することもあったが,前150年スパルタとの抗争でローマと敵対関係に入り,前146年ムンミウスLucius Mummius Achaecusに敗れて同盟は縮小され,存在意義を失った。…

【ローマ】より

…これらはローマの海外領支配の悪しき結果であったが,ローマの征服戦争に力を貸したイタリア半島内の同盟諸市はローマの利己的政策に怒り,これまた蜂起した(前91‐前87)。この同盟市戦争は,ポー川以南の全イタリアへのローマ市民権付与によって鎮まった。こうして,これ以後イタリア人はすべてローマ市民となり,ここに旧来の都市国家としてのローマは形態上終りを告げた。…

※「同盟市戦争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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