アクイレイア(読み)あくぃれいあ(英語表記)Aquileia

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アクイレイア」の意味・わかりやすい解説

アクイレイア
Aquileia

アドリア海北岸に位置するローマの古代都市。前 181年ローマ人が北辺防衛と近隣の金鉱採掘のためにこの地に植民市 (コロニア ) を創設。交通と戦略の要衝として栄え,帝政時代には大都市となったが,452年アッチラに略奪され,市民はベネチアに逃れた。6世紀にはランゴバルド族の支配下に入り衰退。一方,3世紀中頃にできたカトリック司教座は5世紀に首都司教座 (メトロポリタン) となったが,533年ローマから分離,みずから総大司教座 (パトリアルカ) を名のった。ローマ教皇セルギウス1世 (在位 687~701) のときローマと和解。その後発展し,11世紀にはフリウリ,カルニオラ (1077) ,イストリア (1209) を領地とする公国となったが,1419~20年フリウリがベネチアに奪われ,1445年完全にその支配下に属した。 1751年大司教座に降格。現在はイタリアのフリウリベネチアジュリア州ウディネ県の村。ローマ時代の遺跡と司教座聖堂は,1998年世界遺産の文化遺産に登録。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アクイレイア」の意味・わかりやすい解説

アクィレイア
あくぃれいあ
Aquileia

イタリア北東部、アドリア海北岸より約10キロメートル内陸に位置した古代都市。現在も同名の町があり、フリウリ・ベネチア・ジュリア自治州に所属する。紀元前181年に古代ローマが先住のケルト人を駆逐してラテン植民地を建設した。最初は軍事基地であったが、付近の金鉱の採掘などによって商工業の中心地としても発展した。とくに琥珀(こはく)貿易が有名であった。名称は、この地域を流れるアクィリス川に由来するといわれている。前90年自治都市に昇格し、アエミリア道、ポストゥミア道などの交通の接合点としても繁栄し、帝政末期にはベネチア・イストリア州の州都であった。しかし紀元後452年フン人の王アッティラの侵入を受け、住民はベネチア近海の環礁に逃れ、アクィレイアは寒村となった。司教は同地にとどまったが、568年ランゴバルド人の侵入の際にグラドに移った。多くの家屋、円形闘技場、墓碑などローマ時代の遺跡があるほか、313年のキリスト教公認の直後に建立され、1021~1031年に再建されたバジリカ式教会が現存している。

秀村欣二

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