アッタロス(読み)あったろす(英語表記)Attalos Ⅰ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アッタロス」の意味・わかりやすい解説

アッタロス(1世)
あったろす
Attalos Ⅰ
(前269―前197)

ペルガモン最初の王(在位前241~前197)。紀元前3世紀に小アジア中央部に侵入したケルト人の一部族ガラティ(ガラテヤ人)を破り(前230以前)、自ら王と称し、同時にソテル(救済者)とよばれた。また、セレウコス朝シリア王国)の小アジア支配を断ち、小アジア南東部のキリキアを除く全土を領有した(前229~前223)。西方に対しては、艦隊を建造し、ローマロードス島の支配者と協力して、マケドニア王フィリッポス5世と戦い、ギリシア進出を企てた(前220以後)。彼はセレウコス朝とマケドニアの間にあって、ペルガモンを独自の勢力として築き上げた有能な軍人であったが、その外交政策はローマの東方進出に道を開いた。文学哲学、美術の保護者としても有名。

[小川英雄]


アッタロス(3世)
あったろす
Attalos Ⅲ
(前170ころ―前133)

ペルガモン最後の王(在位前138~前133)。エウメネス2世の子、またアッタロス2世の甥(おい)。フィロメトル・エウエルゲテスと称される。短い治世については不明な点が多く、最初は暴政を行ったが、のちには静かな生活に入ったといわれる。当時、ペルガモンはローマの強い圧力下にあり、遺書には王国をローマに贈与すると記されていた。この王国遺贈真意は不明であるが、国内には社会改革を求める運動がおこっていて、それをローマの力で抑えようとしたとみられる。

[小川英雄]


アッタロス(2世)
あったろす
Attalos Ⅱ
(前220―前138)

ペルガモンの王(在位前160~前159)。アッタロス1世次男フィラデルフォスと称される。兄エウメネス2世の在位中から、軍人、外交官として頭角を現した。ローマ軍に従い、ガラテアやギリシアを転戦。即位後も親ローマ政策をとり、セレウコス朝の内紛に介入した。東方の隣国ビテニアの好戦的な王プルシアス2世とも戦った。文学、美術の保護者としても名を残した。

[小川英雄]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

旺文社世界史事典 三訂版 「アッタロス」の解説

アッタロス(3世)
Attalos Ⅲ

前171〜前133
小アジアのペルガモン王国最後の王(在位前138〜前133)
生前に領内のギリシア諸ポリスを除く全領土をローマに遺贈 (いぞう) するという遺言を残した。そのため,死後の前133年,ローマ元老院の決議により王領地はローマ領となった。

アッタロス(1世)
AttalosⅠ

前269〜前197
ヘレニズム時代の小アジア西部にあったペルガモン王国の国王(在位前241〜前197)
ローマと結んでマケドニアに対抗し,また学芸を保護して王国の繁栄に尽くした。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

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