日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブリューニング」の意味・わかりやすい解説
ブリューニング
ぶりゅーにんぐ
Heinrich Brüning
(1885―1970)
ドイツの政治家。第一次世界大戦後カトリック系労働組合の事務局長(1920~1930)として活躍する一方、1924年から中央党国会議員。1930年3月ミューラー社会民主党内閣崩壊のあと首相に任命された。財政通として不況下の財政再建を期待されたが、徹底した緊縮財政をとり、このため不況と失業が深刻化し、1930年9月の総選挙はナチ党と共産党の大量進出という結果を招いた。議会では少数党だったため、政府の施政を貫こうとしてワイマール憲法第48条の大統領非常大権を乱用し、議会制民主主義を自ら否定する結果となった。1932年5月、構想した東方救済計画(オスト・ヒルフエ)がヒンデンブルク大統領の憤激を買い、首相の地位を追われた。1934年7月アメリカに亡命し、ハーバード大学で経済学を教え(1939~1950)、第二次世界大戦後いったん西ドイツに帰り、ケルン大学教授(1951~1954)となったがふたたび渡米、バーモント州ノーウィッチで死去した。
[藤村瞬一]
『佐瀬昌盛他訳『ブリューニング回顧録』上下(1974、1977・ぺりかん社)』