日本大百科全書(ニッポニカ) 「アフマートワ」の意味・わかりやすい解説
アフマートワ
あふまーとわ
Анна Андреевна Ахматова/Anna Andreevna Ahmatova
(1889―1966)
20世紀ロシア最大の女流詩人。オデッサ(現、オデーサ)生まれ。プーシキンゆかりの地ツァールスコエ・セローに育ち、キエフ(現、キーウ)の女子大学に学ぶ。1910年、アクメイズムの詩人グミリョフ(1921年に銃殺)と結婚しペテルブルグ(ソ連時代のレニングラード)に移って詩作を開始。マンデリシュタームらと新古典派ともいうべきアクメイズムを追求した。翌1911年、北イタリアを巡り、イタリア絵画・建築に深く感銘。処女詩集『夕べ』(1911)、第二詩集『数珠(じゅず)』(1914)、1917年には第三詩集『白き鳥の群れ』を発表。いずれも愛、孤独、死の主題が宗教的な情感とエロティシズムとない交ぜに流麗に歌われるが、日常生活の些細(ささい)な事物が微妙に配置されて機能している特徴も見逃せない。ロシア革命後は農科大学の図書館で働き、詩集『おおばこ』(1921)、『西暦1921年』(1922)を上梓(じょうし)。1920年代に入るとプーシキン研究に没頭、20年間プーシキン論を書き継ぐが、1926年から1940年まで彼女の詩編は国内での発表がほとんど許されなかった。1930年代後半には、グミリョフとの間にもうけたひとり息子が二度にわたって逮捕投獄、この悲劇を『レクイエム』(1935~1940)に書くが旧ソ連では未刊。1941年にドイツ軍包囲下のレニングラードを脱出、タシケントに移り、詩集『第七の書』(1936~1964)では、戦争の嵐(あらし)、勝利、タシケント生活、人々の善の発見、大病、アジアなどのテーマで時代を考察。戦後1946年、ジダーノフ批判によってデカダン詩人と攻撃されるが、1956年の「雪どけ」後に復活、鎮魂歌的な長詩『ヒーローのいない叙事詩』(1940~1962)を完成、激動のロシア現代史を不屈の詩人として生きた。晩年はとくに、プーシキンと同時代であるイタリアの大詩人レオパルディの翻訳に打ち込む。1976年ソ連で、完全版ではないがアフマートワの一巻詩集が出版された。
[工藤正広]
『江川卓訳『ヒーローのいない叙事詩』(『世界の文学 37』1979・集英社・所収)』