シビルハン国(読み)シビルハンコク

日本大百科全書(ニッポニカ) 「シビルハン国」の意味・わかりやすい解説

シビル・ハン国
しびるはんこく
Sibir Khanate

西シベリアのイルティシ川中流域のシビル市を中心として建てられたウズベク人の国(1556~1600)。1556年ごろ、シャイバーニー朝の一王侯クチュム・ハンがシビル地方に拠(よ)る先住民の王侯ヤーディガルを破って王国を建てたのが起源である。シビルは現在のトボリスク南方のイスケル市にあたり、13、14世紀の元朝の文献に昔必児(シビル)と記されているのがシビルという語の起源である。クチュムは周辺のオスティヤク人を征服し、この地にイスラムを広め、モスクワ大公国を攻めたが、イワン4世(雷帝)の軍隊に攻められ(1581~98)、1600年に殺され、このハン国は完全に滅んだ。

[佐口 透]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シビルハン国」の意味・わかりやすい解説

シビル・ハン国
シビル・ハンこく
Sibir Khanate

シャイバーニー朝の一族クチュム・ハン (在位 1556~98) の建てた国家 (56~98) 。首都は西シベリアのイルティシュ,トボル両川の合流点トボリスク南東のシビル。ロシアエルマク・チモフェービッチ攻撃を受け,クチュムはシビルから逃れたが,エルマク死後,再びシビルに拠った。しかし,ロシアの攻撃に抗しきれず,クチュムは 1598年8月オビ川流域で敗れ,シビル・ハン国は滅亡した。シベリアという名称はこのシビルに由来する。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「シビルハン国」の解説

シビル・ハン国(シビル・ハンこく)
Sibir Khan

ロシアとモンゴルに両属していた西シベリアでは,シャイバーン朝イバク(Ibak)の死後,タイブカ朝のマフムードが現地タタール人のハン位に即いた。1563年イバクの親族クチュム(Kuchum)がハン位を奪ったが,82年エルマークが率いたカザークに敗れ,シビルはモスクワ領となった。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「シビルハン国」の解説

シビル−ハン国
シビル−ハンこく
Sibir Khan

1556〜98
ブハラ−ハン国のクチュム=ハンがシベリア西部のシビルを中心に建てた国
ロシア人の東進を阻止したため,ロシアはコサック隊長イェルマークを派遣し,1581年シビルを占領。イェルマークの死後,クチュムはシビルを回復したが,ロシアに攻められてオビ川で戦死した。シベリアの名はシビルに由来する。

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