大学事典 「イギリスの大学改革」の解説
イギリスの大学改革
イギリスのだいがくかいかく
[大学黎明期~1960年]
イギリスにおいて最初の大学であるオックスフォード大学の基礎が築かれたのが12世紀で,1209年にはケンブリッジ大学がオックスフォード大学から分かれ,ケム川沿いに設立された。その後,オックスブリッジにおいて最も重要な学問分野が人文学や純粋科学であった時代に,両大学が提供できない分野を教授するとともに非英国国教徒に門戸を開くためにロンドン大学が創設された。産業家や法曹家等による寄付が増えるにつれ,商人や中産階級の子弟の希望する実務能力の養成を担う学科が要求されるようになった結果,伝統的大学において教授されなかった自然科学や医学,法学,現代言語や経済学の教育を提供する市民大学(イギリス)が19世紀の後半に誕生した。しかし,働きながら通学できる点に存在意義があったはずの市民大学に,労働者階層の子弟は実際にはほとんど進学できなかった。その結果,真の市民大学の設立が強く促されることになった。第2次世界大戦後,それまで大学入学が困難であった若者の受け皿として,政府の企図を充分に反映し,その意向に沿った学術科目を実施する機関として,新構想大学(イギリス)が創設された。最後に,工学分野や実学,応用面に特化した大学となること,また機関としての特質を活かした新たな職種の創出を期待されつつ,旧上級工科カレッジ(イギリス)が工科大学に昇格したのである。
[1960年代~1988年]
イギリス大学史上初めて大学を含む高等教育について言及した『ロビンズ報告書』が1963年に公刊された2年後の65年,アンソニー・クロスランドが高等教育の「二元構造(イギリス)」を提唱する演説を行った。これ以降,独立自治法人である大学部門と,地方当局により管轄され財政的に完全に国と地方自治体とに依存し,教育省の監査と管理を受ける非大学部門との2部門からなる構造が公的に認知されることになった。
[教育改革法と継続・高等教育法による改革]
1988年の教育改革法(イギリス)により2種類の大学改革(イギリス)が実施された。第1は,一定の条件下でLEA(地方教育当局(イギリス))の管轄下にあった非大学部門の教育機関が自動的に高等教育法人(イギリス)としてLEAから独立したことである。第2は,国と大学の間に立ち補助金の配分を助言してきた組織である大学補助金委員会(イギリス)(UGC)が消失し,教育科学省の管轄下に2種類の新たな国庫補助金配分機関である大学財政審議会(イギリス)(UFC)とポリテクニクおよびカレッジ財政審議会(イギリス)(PCFC)が創設されたことである。
1992年の継続・高等教育法(イギリス)成立以前は,88年にLEAから独立した高等教育法人は学位授与権(イギリス)を有さず,大学とは認められなかった。しかし継続・高等教育法により,高等教育法人のうち一定の条件を満たした機関は,法令上の規定ではないものの,各機関が任意に行う申請に基づく枢密院での審査を経て,学位授与権と大学の名称を受けることが可能になった。これを「イギリス高等教育の一元化」と呼んでおり,1992年以前からの大学は旧大学(イギリス)あるいは1992年以前の大学(イギリス)(Pre-1992universities(イギリス))の大学,1992年以降に大学の名称を受けた大学は新しい大学(イギリス)あるいは1992年以降の大学(イギリス)(Post-1992universities(イギリス))の大学と呼称されることになった。また,UFCとPCFCも消滅し,新たに政府補助金配分の責任を担う四つの高等教育財政審議会(HEFCs),すなわちイングランド高等教育財政審議会(HEFCE),ウェールズ高等教育財政審議会(HEFCW),北アイルランド教育省(DENI),スコットランド高等教育財政審議会(SHEFC)が各地域に創設されたのである。
[効率性が求められる時代の改革]
1985年に大学学長委員会(CVCP,現在の英国大学協会:UUK)により,大学運営に焦点を当てた『大学の効率性の研究のための運営委員会報告書』(『ジャラット報告書』)が公刊され,大学運営に関する一連の改革が矢継ぎ早に実施された。主要な改革点は,学内の改革を遅延させる強固な学内自治を弱体化し,学長や学長が長であるカウンシルの権限を拡大する点であった。さらに2003年には英国銀行の外部委員であるリチャード・ランバートにより,大学運営に焦点を当てた『ビジネスと大学との協働のためのレビュー』(『Lambert Review of Business-University Collaboration』: Final Report,『ランバート報告書』)が提出された。同報告書のあと,大学運営をビジネスに類似した効率的運営形態に近づけるための政府からの圧力が強くなったことが報告され,各大学において管理運営面での大学改革が急速に進むとともに,大学は2012年度秋から学士課程学生に対する授業料として,年額6000ポンドを基本として9000ポンドまで課すことが可能になった。
著者: 秦由美子
参考文献: Committee on Higher Education, Higher Education: Report of the Committee Appointed by the Prime Minister under the Chairmanship of Lord Robbins 1961-63. Cmnd 2154, London: Her Majesty's Stationery Office, 1963.
参考文献: CVCP, Report of the Steering Committee for Efficiency Studies in Universities, London: CVCP, 1985.
参考文献: D. Jones, The Origins of the Civic Universities, London: Routledge and Kegan Paul, 1988.
参考文献: 安原義仁「イギリス高等教育改革―二元政策の検証」『主要国における高等教育改革の経緯に関する研究』高等教育研究所,1988.
参考文献: 篠原康正「イギリス」『諸外国の高等教育』文部科学省,2004.
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報