ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イタリア建築」の意味・わかりやすい解説 イタリア建築イタリアけんちくItalian architecture ローマ建築の影響を受けて初期キリスト教聖堂はおもにバシリカ形式で,身廊と側廊はアーチまたはエンタブラチュアを載せた円柱で区切られ,その奥にアプスがつくが翼廊はまれである。ロマネスクに入るとドイツとの接触が密な北部では重厚なリブ・ボールトを採用,シチリアではノルマンとアラブ的要素が混交。またベネチアのサン・マルコ大聖堂は身廊にドームを載せるビザンチン様式である。ゴシック様式は徐々に浸透したが,フランスやイギリスのような線的な構成を追う傾向はなく,むしろ一つの様式として取入れた感が強い。 13世紀のシエナ大聖堂,14世紀のベネチア総督邸はその代表例。 1420年頃にはフィレンツェに古代建築を範として集中式聖堂や邸館が盛んに建設され,これらの建築を通じてフィレンツェは建築におけるルネサンスの中心となった。盛期ルネサンス建築はサン・ピエトロ大聖堂をはじめローマに集中したが,マニエリスムの時代には,ビチェンツァを中心とするパラディオのスタイルがアルプスより北方に強い影響を与えるようになる。 17世紀には,ローマがヨーロッパのバロックの壮麗な様式の出発点となり G.ベルニーニと F.ボロミーニの二人の巨匠が活躍,なかでもボロミーニは中部ヨーロッパに大きな影響を与えた。次にイタリア建築が世界的に話題となるのは 1910年代の未来派の時代と,20~40年代のイタリア合理主義の時代であり,『新都市』をデザインした A.サンテリアや G.テラーニなどが現れた。第2次世界大戦後もイタリアは新しいデザインの震源地であり続け,ポスト・モダンの時代においても最も大胆なデザインを展開している。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by