インムニテート(読み)いんむにてーと(英語表記)Immunität ドイツ語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「インムニテート」の意味・わかりやすい解説

インムニテート
いんむにてーと
Immunität ドイツ語
immunitas ラテン語

中世ヨーロッパにおいて、教会領(修道院領を含む)や俗人の所領が有していた特権。日本の荘園(しょうえん)がもっていた不輸不入権にあたる。インムニテート特権は、消極、積極の両面を含む。消極面では、(1)所領内の土地と住民とが負担すべき国家に対する貢租労役からの免除、すなわち不輸、(2)国家の役人グラーフ)が所領内に立ち入り、その権限(主として裁判権と警察権)を行使することの禁止、すなわち不入を意味する。積極面では、領主ないしその代理人が、国家の役人にかわってその権限を行使する権利を意味する。

 インムニテートとは、このように国家の側からの国家権力の行使の放棄であるから、原則として国家の側からの放棄の確認、すなわちインムニテート特権の賦与を必要とする。だが奇妙なことに、インムニテート賦与の文書は、教会領に関しては多数残存しているにもかかわらず、世俗領に関してはほとんど残っていない。この現象を説明するためには、自生的インムニテートという考え方を導入する必要があり、現在では、世俗領主は貴族としての実力に基づき、国家の側からの賦与によらずに自生的にインムニテートの権利を行使しえたとする見解が支配的になっている。

 それとあわせて考慮すべきは、国王のインムニテート政策という観点である。インムニテートをもつことにより、その所領は国家の地方行政組織から離脱して、自立的な支配領域を形成するわけであるから、従来の考え方では、それは国家の封建化にほかならない、とされたのであるが、カロリング時代後期よりグラーフ層の封建領主化が著しくなるのに対し、国王は教会領をグラーフの管轄から切り離し、インムニテートを与えることで、これを自己の直接保護下に置き、封建化の歯止めにしようとした、という新しい考え方が有力になってきている。このような政策は、ルードウィヒ敬虔(けいけん)帝の治下から始まり、オットー諸帝のもとでいっそう大規模に展開されて、ザクセン朝、ザリエル朝時代の帝国教会政策の基礎をつくりあげたと考えられる。

[平城照介]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「インムニテート」の意味・わかりやすい解説

インムニテート
Immunität; immunity

不入権と訳される。ヨーロッパの封建制度のもとで領主が獲得した政治的特権の根幹をなすもの。国王の役人が所領内に立入って公権力を行使するのを禁止することにより,領主権の独立性を基礎づけ,いわゆる荘園が形成されるにいたった。初めはフランク王国時代から教会所領に対して授与されたものであるが,のちには世俗貴族の所領にも拡大された。

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