ウィスコンシン・アイデア

大学事典 の解説

ウィスコンシン・アイデア

革新主義時代の政治改革理念

ウィスコンシン・アイデアとは,大学での研究成果を現実社会の課題解決に応用することで,社会の進歩に貢献するという考えであり,社会に開かれた大学を象徴する概念である。その起源は,州立大学と州政府の密接な連携によって民主的に社会改革を推進しようとした,20世紀初頭アメリカの政治改革理念に求められる。世紀転換期は,急激な経済の拡大に伴って,貧困や失業といった新しい社会問題が出現するとともに,政治ボスによる腐敗と不正が横行した時代であった。この危機に対して,社会効率と社会改良という原則にもとづいて,政治経済体制の再編成を目指す革新主義(Progressivism)と称する改革運動が始められた。ウィスコンシン州は,ラ・フォレット,R.M.州知事(Robert M. La Follette)によって政治腐敗禁止法,累進所得税,銀行規制,天然資源保護,労働立法など数々の改革が行われたことから,「民主主義の実験室」と呼ばれた。改革の原動力となったのが,ウィスコンシン大学(アメリカ)の教授たちである。彼らは専門家としてこれらの立法・行政各種委員会の顧問を務め,政策決定に参与した。大学で培われた専門的知見を用いて行政を効率化するという取組みは他州のモデルとなり,労働災害補償法や予備選挙制などの連邦法にも大きな影響を与えた。

[教育機会の開放と地域サービス]

教育機会の開放という意味でのウィスコンシン・アイデアの起源は,ラ・フォレットの朋友であったウィスコンシン大学ヴァン・ハイス,C.R.学長(Charles R. Van Hise)の就任演説(1904年)に求められる。彼は「州内のすべての家庭に大学の恩恵を届けるまで,私は満足できない」と宣言し,1906年に大学拡張部を設置した。これにより,大学で学ぶ機会に恵まれない人々に対して通信教育や巡回講義が提供されるとともに,巡回図書,視聴覚教育,労働者教育,公衆衛生,ラジオ放送など,地域のニーズに応じたさまざまなサービスが提供された。「大学の境界は州の境界(The boundaries of the university are the boundaries of the state.)という格言で知られるように,州全域にわたるサービスを,州立大学が組織的に展開したことが特徴である。この構想と実行に深く携わったのが,ウィスコンシン州立法調査図書館長のマッカーシー,C.M.(Charles M. McCarthy)である。彼の著作『ウィスコンシン・アイデア』(1912年)によって,その概念と改革の成果が広く知られた。

[今日のウィスコンシン・アイデア]

ウィスコンシン・アイデアは,今日も州立の高等教育機関を結んで約18万人の教育を担うウィスコンシン大学システム(アメリカ)(University of Wisconsin System)の中核的理念として位置づけられている。そこでは「大学が教室を超えて人々の生活を向上させる」という原則のもとに,州民の教育,健康,福祉,労働環境などのあらゆる側面の発展に対して,大学が貢献する義務を負うことがうたわれている。

 優秀な頭脳や才能の争奪戦が国際化している21世紀において,大学の境界は州の境界にとどまらず,国境を越えて研究者や学生を引き寄せることや,研究成果を世界中に届けることが目指されている。国際コンソーシアムや国境なきエンジニアの育成などが展開される中で,とくに期待されるのは知的財産をイノベーションに結びつける技術移転である。

 ウィスコンシン大学に2006年に設置されたWID(Wisconsin Institutes for Discovery)という産学官連携組織は,研究施設と開放エリアを統合した空間づくりを行い,科学の可視化をテーマに,研究者や住民を巻き込んだ学際的な交流の場を提供している。子どもの理科教室や起業支援ワークショップ,地域住民の環境教育に至るまで,その活動は実に多様である。そこで目指されている社会的相互作用とは,優れた研究は優れた教育を生み,それらが社会に開放されることで成果が検証され,大学自身に新たな変革をもたらすという考えである。つまり,今日のウィスコンシン・アイデアは,研究成果を社会に還元するプロセスの中で,国境を越えて人財を還流させることにより,市場における競争力を強化することを意味している。ただし,そこでは近視眼的な利益創出ではなく,知識基盤社会を牽引する生涯学習者の育成が目指されている。
著者: 五島敦子

参考文献: McCarthy, C.M., The Wisconsin Idea, Macmillan, 1912.

出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報

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