クリック(読み)くりっく(英語表記)Francis Harry Compton Crick

日本大百科全書(ニッポニカ) 「クリック」の意味・わかりやすい解説

クリック
くりっく
Francis Harry Compton Crick
(1916―2004)

イギリスの物理学者・分子生物学者。ロンドン大学で物理学を学び、第二次世界大戦中は海軍レーダーの開発に携わった。1947年ケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所でタンパク質構造を研究中、ワトソンと出会い、共同でDNAデオキシリボ核酸)の構造のモデルづくりに取り組む。1953年、2本鎖のそれぞれが逆向きに走り、アデニンチミングアニンシトシンが対合する二重螺旋(らせん)構造モデルを提出した。この構造の正しさはただちに証明された。この業績で1962年にワトソン、ウィルキンズとともにノーベル医学生理学賞を受賞した。その後も、遺伝暗号重複のない三つ組み塩基トリプレット)によるとする考えや、タンパク質合成の機構におけるアダプター仮説など、洞察に富んだ仮説を多く提出し、分子生物学の発展に寄与した。1977年より、アメリカのソーク生物学研究所に移り、脳と意識の研究に打ち込んだ。著書に『What Mad Pursuit』(1988。邦訳『熱き探求の日々』)、『The Astonishing Hypothesis』(1994。邦訳『DNAに魂はあるか』)などがある。

[石館三枝子]

『クリック著、玉木英彦訳『分子と人間』(1970・みすず書房)』『フランシス・クリック著、中村桂子訳『生命――この宇宙なるもの』(1982・思索社/再装版・2005・新思索社)』『フランシス・クリック著、中村桂子訳『熱き探求の日々――DNA二重らせん発見者の記録』(1989・TBSブリタニカ)』『フランシス・クリック著、中原英臣・佐川峻訳『DNAに魂はあるか――驚異の仮説』(1995・講談社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クリック」の意味・わかりやすい解説

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Crick, Francis Harry Compton

[生]1916.6.8. イギリス,ノーサンプトン
[没]2004.7.28. アメリカ,カリフォルニア,サンディエゴ
イギリスの分子生物学者,物理学者。デオキシリボ核酸 DNAの二重螺旋モデルの考案者。ロンドン大学卒業後,ケンブリッジ大学で物理学の研究を行なう。第2次世界大戦中は海軍で磁気機雷の開発に従事。のち同大学キャベンディッシュ研究所で蛋白質分子の立体構造に関する研究が行なわれているのに興味をそそられ,同研究所に移る。 1951年アメリカからの留学生ジェームズ・D.ワトソンと共同研究を開始。 DNA分子の立体構造を明らかにすることが遺伝の機構を知るための手がかりを与えるはずであると考えた2人は,理論的考察によって DNA分子のモデルをつくってはそれをX線解析のデータと照らし合わせ,試行錯誤の末,1953年に二重螺旋モデル (→ワトソン=クリック模型 ) を完成させた。このモデルは,DNAの立体構造を明らかにしたばかりでなく,遺伝子の実体が DNAであることを強力に示唆し,あわせて細胞分裂の際の遺伝子の複製機構をも解明するものであった。発表と同時に大反響を呼び,生物学における 20世紀最大の発見とされた。これを機に分子生物学が急激に進展し,DNAを構成する塩基の順序が蛋白質の分子構造を決定する機構の解明にも,クリックは大きく寄与した。 DNAの分子構造の解明に対して,ワトソン,モーリス・H.F.ウィルキンズとともに,1962年にノーベル生理学・医学賞を与えられた。 1966年に著した『分子と人間』 Of Molecules and Menで,彼らが引き起こした分子生物学革命のもつ意義について論じている。

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Crick, Bernard

[生]1929.12.16.
イギリスの政治学者。 H.ラスキ晩年の弟子。ロンドン大学卒業後,ハーバード大学講師などを経て,ロンドン大学教授などを歴任。主著としてはアメリカ行動論政治学をいちはやく批判した『現代政治学の系譜』 The American Science of Politics: Its Origins and Conditions (1959) や,ヨーロッパの古典的政治概念をイギリス議会政治の伝統を加味して現代的に叙述した『政治の弁証』 In Defence of Politics (62) などがある。

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