イギリスの東洋学者。ケンブリッジ大学古典学科を卒業,大英博物館版画部門に勤めつつ,日本語,中国語を独習,《中国詩百七十篇》(1918,改訂1927)を手はじめに漢詩の翻訳を手がけ,さらに《源氏物語》の翻訳(6巻,1925-33),《枕草子》の翻訳(1928)によって日本古典文学を世界に紹介した。彼の漢詩の翻訳は,エズラ・パウンドのそれのようにイメージを中心にしたものとは異なって,原詩のリズムを写すことによって新しい詩法を編み出すことになった。また《源氏物語》の訳は,スコット・モンクリーフのプルーストの訳とともに20世紀のイギリス散文に優雅な趣味を添えるのに大きな力があった。英米の東洋学者を数多く育てたが,彼自身は一度も中国も日本も訪れず,ブルームズベリー・グループの文人たちと交わる以外は,孤高な生活を送った。翻訳には他に《西遊記》(1942)があり,評論として《李白の詩と生涯》(1950),《中国人の眼から見たアヘン戦争》(1958)などがある。
執筆者:出淵 博
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イギリスの東洋学者。ロンドンに生まれる。ケンブリッジ大学卒業。1912年から30年まで大英博物館勤務、以後、職を去って学究生活に入るが、若干の友人との交際を除いてほとんど世間と没交渉であった。日本および中国の古典の翻訳やそれらについての論著多数がある。ことにその翻訳は豊かな鑑賞力と優れた文体とを駆使して読者に強い感銘を与えた。中国詩歌の翻訳が同時代の詩人イェーツやエズラ・パウンドに影響を及ぼしていることはよく知られている。おもな訳著に『中国詩百七十首』(1919)、『源氏物語』(1925~32)、『論語』(1938)、『詩経』(1937)、『Three Ways of Thought in Ancient China』(1939)などがある。
[村山吉廣]
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…歴史家マードックJames Murdoch(1856‐1921),作家L.ハーン,神道研究家ポンソンビー・フェーンRichard Arthur Ponsonby‐Fane(1878‐1937)らは,いずれも日本で英語教師を務めながら研究を進めたのである。このような傾向は,30年代以降に注目すべき成果をあげた,《源氏物語》の訳者A.D.ウェーリー,歴史家G.B.サンソムやボクサーCharles Ralph Boxer(1904‐ ),経済学者アレンGeorge Cyril Allen(1900‐82)らにも共通している。ウェーリーの業績は,大英博物館所蔵の和書の充実の副産物であり,他の3名の場合は,外交や教育に関連して滞日した経験に端を発している。…
…《敦煌変文集》(北京,1957)はこれらの作品をも含めた包括的な集成であるが,その本文校訂はまだ不十分であり,豊富に用いられている当時の口語についても,十分には解明されていない。欧米学者による翻訳・研究としては,A.ウェーリー《Ballads and Stories from Tun‐huang》(1960)が最初の紹介の試みであり,メーアVictor Mair《Tun‐huang Popular Narratives》(1983)は内外の研究成果を踏まえた綿密な業績である。変相図【入矢 義高】。…
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