ニワトリ(その他表記)fowl
Gallus gallus var. domesticus

改訂新版 世界大百科事典 「ニワトリ」の意味・わかりやすい解説

ニワトリ (鶏)
fowl
Gallus gallus var. domesticus

キジ目キジ科ニワトリ属の鳥類で,家禽(かきん)の一つ。祖先種は東南アジアに広く野生するセキショクヤケイ(赤色野鶏)とされているが,このほか,インド西部のハイイロヤケイ(灰色野鶏),スリランカセイロンヤケイ(セイロン野鶏),スンダ列島アオエリヤケイ(緑襟野鶏)なども成立に関与したとする説もある(〈ヤケイ〉の項参照)。家畜化は前3000年ころにインドで行われ,これが東は東南アジア,中国に,西へはイランを経て地中海沿岸諸国からヨーロッパへと広まっていった。日本には中国を経由して前300年以前に入ったと考えられ,古墳時代の埴輪(はにわ)にもニワトリをかたどったものがみられる。現代のニワトリは卵,肉などの食料生産を主要な目的として飼われているが,家畜化の初期には報晨(ほうしん)(時を知らせること),闘鶏,愛玩が主目的であった。主要品種を飼養目的によって分類すると次のようである。

雄鶏の時を告げる声を観賞する長鳴鶏としては,東天紅(とうてんこう),声良(こえよし),唐丸(とうまる)など,ひと声を20秒以上も引きのばす品種が作出されている。美しい姿態を楽しむ品種としては小国(しようこく),地鶏(じどり),尾曳(おひき),蓑曳(みのひき),黒柏(くろかしわ),鶉尾(うずらお),比内鶏(ひないどり),地頭鶏(じとつこ),烏骨鶏(うこつけい),チャボ(矮鶏)があるが,蓑羽と尾羽が換羽せずに伸びつづけ,8m以上に達する尾長鶏は世界的に有名である。闘鶏用の品種にはシャモ(軍鶏),薩摩鶏(さつまどり),河内奴(かわちやつこ)がある。これらの17品種はいずれも日本で作出されたもので,天然記念物に指定されている。欧米にも各種のバンタムbantamやゲームgameが作られている。

採卵用の品種で,体型はスマート,動作は軽快で,早熟,多産の特徴をもつ。産卵を多くするために就巣性を失っている代表的な品種は白色レグホーン種White Leghornで,これはイタリア原産であるが,アメリカとイギリスで改良された。とさかは単冠が多く,体重は雌1.6~2.0kg,卵は56g前後の白卵を年に280個ぐらい産む。年間365個の記録も作られている。最近では本種の中に作られた近交系間の交雑種や,他品種との交雑種が実用鶏として広く利用されている。

第2次大戦前まではコーチン種Cochin(中国原産で,イギリスとアメリカで改良)やブラーマ種Brahma(インド,マレー地方原産で,イギリスとアメリカで改良)のような,晩熟だが体重が4.0~5.4kgもある大型の肉質のよい品種が採肉用に飼育されていた。最近では発育の早い一代雑種や三元交雑種,四元交雑種の雛を,生後8~10週で体重1000~1800gにまで育てあげて利用するブロイラー養鶏が盛んになってきた。この場合,雄の系統としていちばん多用されるのは白色コーニッシュ種White Cornishである。本種はイギリスの闘鶏用の品種に,白色マレー種,シャモなどを交配して作出したもので,三枚冠で,耳朶(じだ)は赤く,皮膚は黄色い。胸の肉付きがよく,姿勢が立っている。成体重は雄5.5kg,雌4.0kg。成長が早く,産卵は年100~130個と少ない。そのためブロイラー生産の雌系としては,産卵能力の高い兼用種が用いられる場合が多い。

卵と肉の両方の生産を目的として飼われる品種で,体は丸みを帯びて肉付きがよく,卵殻は褐色である。横斑プリマス・ロック種Barred Plymouth Rockはアメリカ原産。単冠で,羽色は白に黒の横斑があり,体重は雄4.3kg,雌3.5kgぐらい。産卵能力は年に約250個であるが,日本で改良されたものは,体が小型であるが産卵能力は高く,365個の記録も作られている。本種の突然変異種である白色プリマス・ロック種White Plymouth Rockは,肉量を増す目的で白色コーニッシュ種が交配されているため,産卵数は年200個とやや少ないが産卵性に優れ,ブロイラー生産に多用されている。ロード・アイランド・レッド種Rhode Island Redはアメリカ原産の兼用種。単冠が多く,羽装は濃赤褐色。体重は雄3.9kg,雌2.9kgぐらい。産卵数は年200個ぐらいである。ニュー・ハンプシャー種New Hampshireはロード・アイランド・レッド種の産卵能力を改良したもので羽色はやや淡い褐色。速羽性で成熟が早く,年間230個ぐらい産む。本種には別に,産卵能力は若干劣るが発育の早い系統があり,ブロイラー生産の雌系に用いられる。日本で作られた兼用種としては名古屋種がある。愛知県の在来種を,バフ・コーチン種やロード・アイランド・レッド種,バフレグホーン種などで改良したものである。単冠で,羽装は黄褐色,就巣性が強く,産卵能力は年150個程度。近年減少してしまった。

(1)人工孵化(ふか) ニワトリは品種改良の結果就巣性を失っているものが多いから,産業的には立体式の孵卵器を用いての人工孵化が行われる。孵卵器は,就巣抱卵中の母鶏が卵に与えている条件を代行して与えるもので,種卵は温度38~39℃,湿度50~60%に保たれて21日で雛が孵化する。母鶏がくちばしで卵の位置を変える動作をまねて1日に数回転卵が行われるが,これは発生中の胚が卵殻膜へ癒着することを防ぐ。発育中の胚は,卵殻の気孔を通して呼吸しているのでつねに新鮮な空気を必要とするが,立体式孵卵器には強制換気装置がある。また入卵後,無精卵や発育中止卵を放置すれば,腐敗し有毒ガスを発生して他の卵に危険であるので,適当な時期に検卵を行ってこれらの卵を除去する。

(2)雌雄鑑別 採卵鶏では雌雛のみが有用であり,肉用鶏も雌雄を別に管理するほうが効率的であるので,孵化した雛は雌雄鑑別が行われる。雛の総排出腔を指で開き,そこにある生殖突起の形状を肉眼で見て性別を鑑定する指頭鑑別法が広く行われているが,これは増井清らによって研究開発された技術で,日本人の指先の器用さと鋭い視力を生かして,世界各国で日本人鑑別師が活躍することとなった。しかし最近では伴性遺伝形質を応用して,初生雛で外貌に性差を現す系統間交雑種の作出が試みられ,自家性表示鶏の普及が増加しつつある。

(3)育雛(いくすう) 孵化した雛は体の中にまだ卵黄が残っており,孵化後48時間は飼料も水も与える必要がないので,この間に輸送が行われる。幼雛には給温が必要であり,孵化後1週間は33℃に保ち,以後1週間ごとに3℃ずつ下げて,3~4週で廃温する。飼料は成長時期に合わせて,幼雛用,中雛用,大雛用の配合飼料を給与する。幼時にはタンパク質,ビタミンが多く必要である。雛の闘争やしりつつきなどの悪癖を防止するために断嘴(だんし)が行われることもある。5~8週齢でくちばしの先を電熱を用いた断嘴器で切りおとす。

(4)成鶏の管理 成鶏の管理方式には平飼いとケージ飼育とがある。平飼いは床にわらなどを敷いた部屋に,1m2当り4羽ぐらいの割合で大群を収容する方法で,ブロイラー養鶏では一般的である。ケージ飼育は間口25cm,高さ・奥行40~45cmの針金製の籠に1羽ずつ収容し,これを2~3段重ねて飼育,管理する方式である。面積当りの収養羽数が多く,駄鶏や病鶏の淘汰も容易であるが,施設費を要する。最近は養鶏業の規模が拡大し,機械力の導入による管理の省力化が進められて,同一鶏舎に同月齢のニワトリを収容する方式が多くとられ,全群を同時に更新するオールイン・オールアウト方式を採用する場合が多くなった。また秋に換羽に伴って産卵が低下するのを防ぐため,光線管理を行う点灯養鶏も行われている。

 繁殖するための種卵を得る場合には,雌雄とも7ヵ月以上のものを,雄1羽に対して雌5~10羽を一群として飼育する。人工授精も行われることがある。

養鶏の経営規模が拡大され,多数が1ヵ所で同時に飼育される場合は,病気とくに伝染病に侵されると経営上重大な損害を被る。ニワトリの病気の原因としては,ウイルス,細菌,寄生虫,原虫などがあげられる。もちろん通常の病気もあるが,飼料や環境因子は著しく改良され,発病の要因がきわめて少なくなるように規制されている。多発するおもな病気を以下に述べる。

 (1)ウイルス病 (a)ニューカスル病 消化器や呼吸器が侵されるものと,神経症状を示すものがある。(b)マレック病 伝染力の強い腫瘍性の単核細胞の浸潤が,虹彩(こうさい),生殖腺,筋肉,皮膚などに認められる。(c)鶏痘 皮膚や粘膜に発痘が起こる。(2)細菌病 (a)雛白痢 Salmonella pullorumに感染した初生雛が白色の下痢便を排出する。(b)伝染性コリーザ Haemophilus para-gallinarumが病原菌で,顔面の浮腫性腫張,流涙,水様性鼻汁の漏出がおもな症状である。(3)原虫病 (a)ロイコチトゾーン病 住血胞子虫がヌカカで媒介される。(b)コクシジウム症 エイメリア属Eimeria原虫が寄生し,貧血や鮮血便,粘血便を排出する。(4)寄生虫病 主要寄生虫にはニワトリ回虫(小腸上部に寄生し被害大),ニワトリ盲腸虫(盲腸に寄生,病状は弱い),ニワトリ毛体虫(小腸粘膜を損傷),ハジラミ(13種類あり,翼羽の下や肛門周辺の皮膚面に寄生),ワクモ(小型のダニで夜間吸血)などがある。

鶏肉は〈かしわ〉とも呼ばれ,肉食の風習のなかった日本人にも,古くからなじみの深い食品であった。鶏肉の質は品種の差や週齢によって異なることはもちろんであるが,一般に肉質は軟らかく,肉色淡く,味も淡白である。ブロイラーは若鶏の肉なので,昔の肉用鶏の肉に比べ,味があっさりしていて柔らかい。また部位別に見ると,手羽から胸肉は白っぽくて脂肪分が少なく,腿肉は赤みが強くやや固いが味はよい。鶏卵は良質のタンパク質や脂肪に富んでいて,各種ビタミン,ミネラルを含み,栄養価の高い優れた食品である。
養鶏
執筆者:

鶏ほど全世界で広く飼育され,ポピュラーな家禽はほかに類例をみない。人工的に管理された鶏舎で肉と卵を生産する,野生を失った奴婢(ぬひ)鳥とでもいえる状態におかれる以前から,鶏は経済的家禽として,すでに広く分布するに至っていたことは確かであるが,時代をさかのぼって古代に限ってみると,意外にその分布は限られていたようである。例えば古王国時代のエジプト(前2654-前2145),また古代初期のギリシア(前1000ころ)では,鶏は,まだ知られていなかった。前1600年ころインド・アーリヤ人が,アフガニスタンからガンガー河畔のインダス文明世界に移動してきたとき,彼らはこの地で初めて家鶏を見いだしたという。しかも,そこでは闘鶏競技さえ行われていたという。

 ところでインドでは《アタルバ・ベーダ》にあるように,鶏はその勇気のゆえに賞賛され,夜明けを告げる鳥として尊重されていた。前1000年ころ,鶏はこれらの理由で殺すことが厳禁されさえしたのである。つまりインドでは,闘鶏競技と時を告げるものとして飼育されており,肉用という経済的動機はむしろ二次的でさえあったということになる。

 家鶏の起源地は,インド,ミャンマー,そして東南アジアの山林に接した村落においてであろうと考えられている。この地域では,周囲の山林にいる野生のセキショクヤケイGallus gallusと家鶏とは遺伝的に連続しており,ヤケイの雄は里を訪れ,農家に放飼いにされている家鶏の雌と随時交尾している。つねに野生の血が家鶏に流入しているわけで,このような状態は家畜化の初期から連続してみられたと考えられる。雑草的なかたちで人里に近づき,家つき化するというかたちで人になれながら,なお野生の血を失わなかったというわけである。フィリピンやマレー半島では,バンキバヤケイの雄を捕らえ,飼いならし,闘鶏用に用いる。東南アジアでの広い闘鶏競技の分布をも考えあわせると,もちろん狩って食肉用にするということもあったであろうが,むしろ半野生的な里づき鶏を飼いならして闘鶏をさせて楽しむという動機が,鶏の家畜化の初期には働いていた可能性がある。

 ところで,この闘鶏競技は,マレー,ジャワ,スマトラの原住民にとって遊びのすべてであり,そのために全財産をかけ,妻子さえも手離すほどに熱中するものであった。強いチャンピオンを作りあげるための特別の飼育法,食餌法は秘伝とされている。もちろんその風習は,中国や日本にも伝播(でんぱ)したばかりか,遠くヨーロッパにまで及び,その勝敗によって卜占する事例が,ルーマニアのワラキア地方に伝わっている。フランスでも賭を伴う闘鶏競技はかなり広く普及し,まさにガリアの地の伝統的象徴とさえなったが,現在は残酷という理由で禁ぜられ,フランス北部アルザス地方の限られた範囲内でのみ,ひそかに存続している。

 他方,鶏は朝を告げる時鶏として,尊重された。日本で最初に文献に鶏が現れるのは《古事記》においてである。天照大神が天の岩屋戸に隠れ,世界がことごとく闇になったとき,八百万(やおよろず)神が常世長鳴鳥(とこよのながなきどり)を鳴かせ,天鈿女(あめのうずめ)命に舞わせて,天照大神を呼び出す話で,鶏はまさに,太陽を呼び出すものとして立ち現れている。このような象徴的神話世界とは別に,鶏の鳴声は時を知る手だてとされ,丑(うし)の刻(午前2時)に鳴くのを一番鶏,寅(とら)の刻(午前4時)に鳴くのを二番鶏といっていた。

 ところで西方においても,鶏は太陽神と深いつながりをもっている。古代エジプトの新王国第18王朝のトトメス3世時代(前1490-前1436)に,鶏はすでに飼育されていたことが明らかになっているが,牛が農耕神,月の女神と連合しているのに対し,鶏は太陽神崇拝と関係をもって現れている。また古代ペルシアのゾロアスター教においても,雄鶏は,太陽,光の象徴とみなされ,犬とともに夜の悪魔を追い払うものとして崇拝されている。

 他方,ペルシア人の勢力の拡大によって,前7,前6世紀ごろにはシリアやヨルダンの農耕的オアシス村落で鶏が知られるようになっていたにもかかわらず,古代セム系の人々は鶏を受容しなかったようである。旧約聖書には鶏への言及はいっさい見当たらない。牧民的生活にとって,鶏は豚とともに,なじまない家畜であったのだろうか。実はギリシアでもホメロス時代に,鶏は知られていなかったようである。ようやく,前6世紀ごろにはじめて言及され始めるが,〈ペルシアの鳥〉と呼ばれている。太陽神との関連で語られるようになるとともに,雄鶏は求愛の象徴として語られているのは興味深い。前5世紀ごろには一般に普及し,卵の利用も一般化した。ローマ時代,鶏は予見能力をもつものとして,卜占の手段となっている。第1次ポエニ戦争のとき,クラウディウスは海戦の決行を決めるにあたり,鶏が籠から出ても餌をたべなかったので戦争を延期している。中世ヨーロッパでも雄鶏は太陽の象徴であり,悪魔を追い払うものとされ,しばしば教会や家屋の屋根にその模型がとりつけられた。現代の鶏の位置に比べれば,格段の価値をもっていたというわけである。
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鶏(雞)は家禽として人間に飼われたため,飛ぶ力が退化して俗化したが,その鳴声で黎明(れいめい)を告げることから,暗黒の夜を追い払い光明の太陽を呼び出す神秘な鳥と考えられた。《郭氏玄中記》に,蓬萊(ほうらい)の東,岱輿(たいよ)の山に扶桑の木があり,万丈もあるその頂には,つねに天雞がいて,夜の子(ね)の刻(午前零時)になると鳴き,日中の陽烏(ようう)がこれに応じ,陽烏が鳴けば天下の雞がみな鳴くとある。この古信仰から鶏は太陽を迎える霊鳥とされ,陰暦2月1日の太陽星君(日神)の縁日には,太陽糕(たいようこう)とよぶ干菓子に,めん粉製の小さな鶏の形をはりつけたり挿したりして供える風習があった。鶏は太陽信仰と縁があった。鶏が鳴けば暗くても朝がくるので,闇に跳梁(ちようりよう)する幽霊や妖怪は鶏鳴と同時に姿を消す。いわゆる〈雞鳴狗盗(けいめいこうとう)〉の故事も,時刻にかかわらず鶏鳴を合図に関門をあけたのである。また華南地方の巫女は鶏を殺した血や鶏卵をもって神を祭り占卜をした(雞卜)。
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古くはその鳴声から〈かけ〉〈かけろ〉といい,庭で放し飼いにしたので〈庭つ鳥〉とも称した。明け方に時をつくる習性があり,神や悪霊の来往する夜と,人間の活動する昼との境目を告げる霊鳥とされた。《古事記》の天の岩屋戸神話では〈常世長鳴鳥〉と記され,太陽再生信仰との結びつきが見られる。また,魔の潜む夜を追い払うと考えられたので,昔話では例えば〈地蔵浄土〉のように,爺が鶏鳴をまねて鬼を退散させるという型の話が多く語られている。鶏の霊力は鳴声のみにとどまらない。鶏は恐ろしい目つきでにらむので,天狗がときに鶏に化けるともいい,白鶏は神慮にかなったものとされたので,祭祀用として神社で飼養され,また一般でも珍重した。《平家物語》には,白鶏を1000羽飼う家からは必ず皇后が出るとの話を載せている。神社で鶏を飼養した本来の目的は神饌(しんせん)用であったらしいが,これを神使とみなし,神前で闘鶏を行って神意を占ったりした。このように鶏は神聖化されたので,鶏肉や鶏卵を食することはおろか,その飼養もしない地方がある。反対に,荒神(こうじん)は鶏を好むというので,赤子の夜泣き封じに鶏の絵馬を奉納する例もある。鶏にまつわる俗信は多く,宵鳴きを凶兆と考えたり,鶏を使って溺死人を探索したりした。なお,地中から黄金の鶏の鳴声が聞こえるという金鶏伝説は全国的に分布している。
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陰陽五行説によれば,白雄鶏(白いおんどり)は庚金(こうきん)太白の気があり,邪悪を避ける力があると信じられた。鶏が陽の精であり,雄は陽の体,頭は陽の会,東門は陽の方位にあたり純陽性をそなえているので,陰の気に勝つと考えられていたからであった。《医心方》巻二十六〈相愛方〉に収められている《如意方》の抄録の中に,3歳の白雄鶏の両足のけづめを焼いて女人に飲ませる止淫術がある。また同章には〈婦人を求めても得がたい場合〉の対策として,雄鶏の毛を焼いて灰にし,その粉末を酒の中に入れて服用すると必ず得られるという処方がある。また,南陽順陽の范東陽(范汪)の全身を潔白にする処方では,7月7日に烏鶏の血を顔や全身になん度も塗るよう指示している。烏鶏は《捜神記》《朝野僉載》や杜甫の詩にもあり,現代漢方では烏骨鶏といい,肉や骨が黒い四川原産の鶏とされている。黒は陰陽五行の水木の気を受けているため,肝臓や腎臓,血分の病気や虚熱の治療に適すると考えられていた。また,黄雌鶏は土の性に属し,坤(こん)の象意をもち,脾胃を補うとされていた。古代中国医術では頭,血,肪,腸,肝,鶏冠,糞,骨,卵黄,卵白,卵膜などが,それぞれ薬効別に使い分けられていた。
執筆者:

鶏は古代人にとって神聖な鳥とされ,ギリシアやローマでは軍神アレス(マルス)や知恵の女神アテナ(ミネルウァ),医神アスクレピオスに捧げられた。ペルシアでも朝を告げる鳥として,光のシンボルとなり,その鳴声で闇の悪霊を払うとされた。ギリシアでは闘鶏が盛んであったが,ペルシア戦争で意気阻喪しかけたギリシア軍に対して,司令官テミストクレスが,勝利の名誉だけに命をかける鶏の勇気をたたえ,〈諸君は同胞のため,神々のため,祖先の墓のため,なかんずく自由のため戦っているのではないか〉と激励して勝利に導いたという話がある。勇気の手本とされたこの闘鶏は,ローマでは民衆の娯楽の一つになった。また,ギリシア人は文字を穀粒に書きつけ砂の中にバラバラに入れておいたものを鶏に選ばせ,その文字の配列からできる語で未来を占った。ローマ人は戦争開始の前や植民地をつくる前に鶏の餌のとり方による占いでことを決したという。カール大帝も国を分割するときに闘鶏で決めた。

 陽光のシンボル,時を告げ,闇のデーモンを追い払う存在として,鶏は後世風見鶏になって災いを防ぎ,天気を告げる。さらに,鶏が収穫の際にいけにえにされたり,結婚式の花嫁馬車にのせられたり,新床に入れられたりする習俗は,鶏のもつ多産性と結びつく豊饒(ほうじよう)儀礼の一種とみなすことができよう。一方,黒い鶏は悪魔の動物とされることがあり,ゲーテ《ファウスト》のメフィストフェレスのように,しばしば悪魔は黒い鶏の羽を1本つけた姿で登場する。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ニワトリ」の意味・わかりやすい解説

ニワトリ
にわとり / 鶏
domestic fowl
[学] Gallus gallus var. domesticus

鳥綱キジ目キジ科ヤケイ属に含まれる鳥を家畜化したものの総称。ヤケイ属にはヒマラヤ地域を含むインド亜大陸と東南アジアに分布するセキショクヤケイ(赤色野鶏)、ゴダバリ川以南のインド半島のハイイロヤケイ(灰色野鶏)、スリランカのセイロンヤケイ(セイロン野鶏)、ジャワ島からアロル島までの小スンダ列島にすむアオエリヤケイ(緑襟野鶏)の4種が含まれ、セキショクヤケイだけをニワトリの祖先とする単源説のほかに、全4種を祖先と考える多源説もある。ヤケイはインド、東南アジアで紀元前2000年ごろに家畜化され、ペルシア、ローマを経てヨーロッパに、中国、朝鮮半島および南西諸島経由の二つのルートを経て日本へ伝えられた。新大陸へのルートはよくわかっていないが、コロンブスによって伝えられたといわれている。

 品種数はイギリス家禽(かきん)標準によると112種、内種を含めるとこの数倍になる。用途により実用鶏と観賞鶏とに分けられ、実用鶏はさらに卵用種、肉用種、卵肉兼用種に分けられる。

[西田隆雄]

卵用種

(1)白色レグホン イタリア原産で、その輸出港の名(リボルノの英語名レグホーン)をとってレグホンとよばれた。イギリス、アメリカで改良され、内種が多い。単冠白色レグホンはその一つで、現在、世界でもっとも多く飼われている代表的な卵用種である。雌の体重は約1800グラムで軽快な体型を備え、顕性白色遺伝子のために全身白色であるが、脚鱗(きゃくりん)は黄色で皮膚も黄色を帯びる。約60グラムの白色卵を年230~280個産み、就巣性は完全に除かれている。白色レグホンには優れた多くの系統が作出され、系統間交配によって卵重と生存率が向上した。

(2)白色レグホンと他品種との雑種 卵重の増加と生存率の向上を目的にして雑種強勢が利用される。一つは兼用種との一代雑種で、白色レグホンの雄を横斑プリマスロック(おうはんぷりますろっく)の雌あるいはロードアイランドレッドの雌に交配するものである。ほかは四元交配種で、まず兼用種あるいは卵用種と交配して原々種をつくり、これらの間の交配によって作出された卵重の増加した雄系と、卵数の多い雌系の原種をさらに交配したもので、高い産卵能力と強健性とを兼ね備えている。ハイライン、デカルブなどの米国鶏はこのようにしてつくられ、雛(ひな)が産卵を始めるまでの生存率は94%に達する。卵用種には白色レグホンのほかに、褐色レグホン、ミノルカ、アンダルシアン、ハンバーグなどがいるが、産卵能力が劣るために現在ほとんど白色レグホンとその雑種に置き換えられ、わずかに観賞鶏として残っている場合が多い。

[西田隆雄]

肉用種

白色コーニッシュは、イギリスの闘鶏種に東洋系のアジール、マレー、シャモなどを交配してつくられた。羽色には赤(褐)色と白色とがある。現在ブロイラーとして用いられている白色コーニッシュは、白色レグホンその他の品種から顕性白遺伝子を導入したものである。三枚冠で皮膚と脚鱗は黄色、雄の成体重は5500グラムである。

 なお、ブロイラーとは肉用若鳥の総称で、現在日本でおもに用いられているものは、胸の広い白色コーニッシュと胴の長い大形の白色プリマスロックとを交配したものである。成長が速く、約2キログラムの飼料で体重を約1キログラム増加させることができ、8~9週齢で出荷される。出荷時の体重は1960グラムである。強健で性質が温順なため群飼に耐えるが、圧死を防ぐために終夜薄暗く点灯し、また尻(しり)つつきを避けるために嘴(くちばし)の一部を切断することがある。ブロイラーは経済的に大量生産できるので、日本では食用鶏肉の大部分を占めるようになった。

 肉用種としてインドのブラーマ、中国南部のコーチン、北部のランシャン、イギリスのサセックスとドーキングなど有名な品種をあげることができるが、これらは現在ほとんど実用鶏としての地位を失っている。

[西田隆雄]

卵肉兼用種

(1)横斑プリマスロック アメリカでドミニークに東洋系のブラーマと黒色ジャワを交配してつくられた。黒に白の横斑があり黒帯の幅は雌が雄より広い。単冠、赤耳朶(じだ)で、脚鱗と皮膚は黄色である。雌の成体重は3400グラムで、約55グラムの褐色卵を年220~250個産む。本種のなかには年365個を産むものもあるが、一般に2年たつと脂肪が沈着し産卵能力の低下などを生じやすい欠点をもつ。

(2)白色プリマスロック 横斑プリマスロックの突然変異種で、ブロイラー生産用の雌系としての利用度が高く、多数の系統が作出されている。羽色以外の形質は横斑プリマスロックと同じ。雌の成体重3600グラム、年160~200個の褐色卵を産むが、就巣性はほとんどない。

(3)ロードアイランドレッド アメリカ東部のロード・アイランド地方の在来種に、レグホンと東洋系種を交配してつくられた赤褐色の兼用種である。単冠、赤耳朶、黄脚で、雌の成体重2900グラム、年180~220個の濃褐色卵を産む。白色レグホンとの交雑種ロードホンは産卵鶏として利用されたが、現在ではブロイラー用の雌としての利用度が高い。

(4)ニューハンプシャー アメリカのニュー・ハンプシャー地方で、ロードアイランドレッドの産卵性と肥育性を改良してつくられた品種である。羽色は淡いが、それ以外の全形質はロードアイランドレッドと非常によく似ている。

(5)名古屋 名古屋地方の在来種にバフコーチンを交配してつくられた。単冠、赤耳朶、黒脚で、羽色は尾羽と翼羽の先端だけが黒く、ほかはすべて黄褐色である。肉味はよいが晩熟で、就巣性が強く産卵能力が劣るために、現在ほとんど消滅し、わずかに観賞鶏として、あるいは肉味を重視する鶏肉料理店で、少数飼育されているにすぎない。ほかにドミニーク、オーピントン、オーストラロープ、ドーキングなどがあるが、一般に兼用種は卵肉専用種に押され衰微していく傾向がある。

[西田隆雄]

観賞用種

実用性を失った羽色の美しい外国種と日本鶏とによって占められる。日本鶏の代表的品種は天然記念物に指定された17種で、その名称と指定年は次のようである。土佐(とさ)のオナガドリ(特別天然記念物、1923)、東天紅鶏(トウテンコウ、1936)、鶉矮鶏(ウズラチャボ、1937)、蓑曳矮鶏(ミノヒキチャボ、1937)、声良鶏(コエヨシ、1937)、蜀鶏(唐丸、トウマル、1939)、蓑曳鶏(ミノヒキ、1940)、地鶏(ジドリ、1941)、小国鶏(ショウコク、1941)、軍鶏(シャモ、1941)、矮鶏(チャボ、1941)、比内鶏(ヒナイドリ、1942)、烏骨鶏(ウコッケイ、1942)、河内奴鶏(カワチヤッコ、1943)、薩摩鶏(サツマドリ、1943)、地頭鶏(ジトッコ、1943)、黒柏鶏(クロカシワ、1951)。これらの日本鶏の天然記念物指定は鶏種を対象としたもので、産地については地域を定めず指定している。容姿と鳴き声のほか、シャモのように闘鶏として愛好されるものもある。ジドリには土佐地鶏、岐阜地鶏、三重地鶏などが一括されている。

[西田隆雄]

飼養管理

孵卵

約1万個の入卵能力をもつ立体孵卵器(ふらんき)が普及している。卵を気室のある鈍端を上にして配列した卵座の周囲を、つねに攪拌(かくはん)板が回転し、器内の温度を37~38℃に、湿度を50~60%に保ち、新鮮な空気が送られ自動的に転卵されるので、卵は21日で孵化する。検卵は孵卵5~7日と15~16日の2回、検卵器を卵の鈍端に当て透視する。鶏胚(はい)の黒点と血管網がなく明るい無精卵や、血管網が消え血リングとなった発育中止卵は取り除く。産卵鶏では雄は不用であるから、孵化直後に雌雄を鑑別する。肛門鑑別法(こうもんかんべつほう)は、指頭で肛門を開き、生殖突起が発達した雄を区別する方法で、光学器械を肛門に挿入し、直接透視によって精巣と卵巣とを区別する機械鑑別よりも、鑑別の精度と速度が速い。肛門鑑別法は熟練を要するが、日本で開発され、専門の鑑別師が日本人の特技として海外でも活躍している。このほかに、伴性遺伝を利用し、雛の羽色、脚色および羽の生える速さの差によって雌雄を鑑別するオートセクシング法もある。

[西田隆雄]

育雛

雌雄鑑別された初生雛は腹腔(ふくこう)内にまだ卵黄(包)を残しているので、1日置いて給餌(きゅうじ)するか、この間に輸送する。育雛(いくすう)にはバタリー育雛器battery brooderを用いることが多い。熱源は電力で、3~5段に積み重ねられるので場所をとらず、糞(ふん)の処理、換気など管理の点で優れているため、中雛から大雛までケージのサイズを大きくして、このバタリー形式で育成されるようになった。平飼いの場合には、ガスを熱源とした傘形育雛器が用いられる。どの育雛法でも約4週齢で熱源を切る。飼料は自家配合される場合もあるが、ほとんど飼料会社から売り出されている配合飼料を用いるようになった。これらの飼料は発育時期に応じ適切な栄養成分が配合されているほか、ビタミン、抗生物質などが含まれている。育雛中に、種々の伝染病に対するワクチンの予防接種、悪癖と飼料こぼし防止のための嘴切りをする。ブロイラーは群飼のまま8~10週齢で出荷し、産卵鶏は22~23週齢に約50%が産卵を始めるので、その約1か月前に個別のケージに移す。

[西田隆雄]

産卵鶏

多頭羽飼育が普及したので、ほとんどケージ飼育であるが、小規模養鶏ではまだ平飼いが行われている。個別ケージの標準的サイズは間口23センチメートル、高さ43センチメートル、奥行40センチメートルで、これを斜めにずらして2、3段に重ね、立体的な空間利用ができるので、単位面積当りの収容羽数が増し、しかも個別飼育のために1羽ごとの産卵と健康状態がわかりやすい。現在まだ側壁が金網張りの開放式鶏舎内のケージ飼育が多いが、冬季には寒さのために産卵率が低下する。このような欠点を避け、強制換気によって収容羽数をさらに増すことができる無窓鶏舎が、数万羽の大規模養鶏方式として利用される。多頭羽飼育では給餌、給水、採卵のほか糞の収集まで自動化され人手を減らす努力が行われている。最近では省力化のために、産卵の低下したときに1鶏舎の全群を更新するオールイン・オールアウト方式が、平飼いだけではなくケージ飼育でもとられるようになったが、駄鶏を定期的に淘汰(とうた)し、大雛を補充し、1日生産卵量をつねに高水準に維持する経営方式も多い。高産卵を維持させるために、明期を14時間、暗期を10時間にする点灯養鶏、あるいは卵価にあわせて産卵パターンを変える目的で強制換羽が行われる。

[西田隆雄]

病気

家畜伝染病に指定されているニワトリの病気には、ニューカッスル病、雛白痢(ひなはくり)、家禽(かきん)コレラ、家禽ペストがあり、届出を要するものに伝染性喉頭(こうとう)気管炎と伝染性気管支炎がある。このほかにマレック病、鶏痘(けいとう)、リンパ性白血病などのウイルス病、伝染性コリーザ、マイコプラズマ症などの細菌病、コクシジウム症、ロイコチトゾーン症などの原虫病、および回虫、条虫、ケジラミ、ワクモ(ダニ)などの内外寄生虫病がある。多数羽高密度飼育方式をとる現在の養鶏では、一度感染病が発生すると迅速に蔓延(まんえん)し、経営上重大な被害を受けるので、ワクチン接種、部外者の立入制限、鶏舎・器具の完全消毒、オールイン・オールアウト方式の励行によって、徹底した衛生管理を行わなければならない。なお、鶏卵と鶏肉の利用については、それぞれ「鶏卵」および「鶏肉」の項を参照されたい。

[西田隆雄]

文化史

紀元前2000年前後のインダス文化遺跡からニワトリ形土製品が出土し、家畜化対象だった可能性のある種が野生する南アジアがニワトリの家畜化地域であると考えることがこれまでは多かった。しかし、家畜化対象だった可能性のある種が中国南部から南接東南アジアにも野生すること、紀元前3000年より前に使用された中国の遺跡からニワトリ遺存体が出土したこと、および野生動物を家畜化する一般的前提である農耕文化の成立が東アジアでは南アジアよりも約3000年早いこと、の3点を考慮すると、ニワトリの最古の家畜化地域を東アジアに求めることがより妥当である可能性が高い。南アジア独自のニワトリ家畜化があったとすれば、東アジアのニワトリ家畜化よりは遅い現象だったと考えるべきだろう。

 環地中海地域では、東アジアとの文化交流が開始された紀元前二千年紀後半のメソポタミアとエジプトに断片的な痕跡(こんせき)が認められる。夜明けを告げる勇気のある鳥とみて、太陽神、火神への供物とした一方でニワトリとの接触を不浄とみなし、バラモンが食用とすること、または供物として受け取ることを禁止した『アタルバ・ベーダ』の記述はその後の時期の南アジアで成立した。前7世紀のペルシアではゾロアスター教が犬とともにニワトリに暗黒の悪魔を追い払う特別な地位を与えた。ユダヤ教の俗信はこれを受け継ぎ、ニワトリが守護天使または悪魔の接近を告知すると考えた。ニワトリ自体が前6世紀にペルシアから伝わったギリシアでは、この「ペルシアの鳥」に太陽神との関連を考え、護符のモチーフとした。ローマ時代には卵用を含めたニワトリ飼養が普及し、出陣の是非をニワトリの餌(えさ)のついばみ方で占う慣行も成立した。中世ヨーロッパでも、悪魔を払う太陽の象徴とされ、「風見鶏(かざみどり)」を屋根につける、新築の家に入り初(ぞ)めさせるなどの慣行があった。また結婚式に多産の象徴として用いた地方もあり、砂嚢(さのう)にある特殊な石には神秘的強精作用があると信じられていた。

 周代以降の中国でも、ニワトリは太陽と結び付けられ、2月1日の太陽星君祭にニワトリの模型をつくるなどの慣行が成立した。漢方でもニワトリの全身を用い、とくに黒鶏と黄鶏を重用した。朝鮮では、新羅(しらぎ)の始祖王妃が鶏龍の子とされ、脱解王の故事から国名を鶏林(けいりん)と別称するなど、古くからニワトリが国家的象徴だった。日本列島では縄文後・晩期以降の諸遺跡の出土遺存体があるので、ニワトリがいたことが判明している。6世紀末以降の古墳からニワトリ形の埴輪(はにわ)が出土することがあり、天岩戸(あめのいわと)の前で天照大神(あまてらすおおみかみ)を呼び出す『古事記』の「常世長鳴鳥(とこよのながなきどり)」は、諸文化のニワトリのシンボリズムを継承している。

 日本の歴史時代のニワトリには、『一遍上人絵伝(いっぺんしょうにんえでん)』にみられる放し飼いの小形品種(現在の「チャボ」に似る)が多く、ほかに尾の長い品種が『春日権現霊験記(かすがごんげんれいげんき)』にも描かれている。『延喜式(えんぎしき)』の神饌(しんせん)に鶏肉・鶏卵が多いことなどから、『日本霊異記(りょういき)』にもみえる仏教的禁忌にもかかわらず、少数の人々が主として卵を薬・食用とした可能性が高い。縁起に三足のニワトリが登場する栃木県足利(あしかが)市の鶏足寺(けいそくじ)、源平合戦に際して紅白のニワトリを闘わせて源氏への援兵を決した和歌山県田辺市の闘鶏権現、蒙古(もうこ)来襲時に神風をおこしたと伝えられる和歌山県紀の川市粉河産土(こかわうぶすな)神社のおんどり石(雄鶏石)など、ニワトリと関連する中世的伝承も少なくないが、飼育がやや普及したのは外国種の入った戦国時代以降である。近世には卵料理が一般化し、鶏糞(けいふん)の肥料化も始まり、鶏淵(にわとりぶち)などの伝承も各地で成立した。しかし、長い間、日本の養鶏は少羽数の放し飼いレベルにとどまったので、幕末から鶏肉の食用が普及し始めると、外国種の導入にもかかわらず、明治・大正期には増大する国内の卵消費を国内養鶏ではまかなえずに、大量の上海(シャンハイ)卵を輸入した。

 世界の諸民族のうち、とくに熱帯モンスーン地域の住民の間では、小市場出荷用の少羽数の放し飼いによる半自給的養鶏が盛んである。地域によっては、ニワトリに毒を与えて反応をみて、妖術(ようじゅつ)をかけたとされる容疑者の罪状を決定する慣行(コンゴ民主共和国(旧ザイール)と南スーダン国境のザンデなど)もみられた。また、大形家畜に比べて安価なニワトリを犠牲用(ユダヤ教ヨーム・キップール祭など)、婚資用などに利用する習慣はかなり広範にみられる。日本の「地蔵浄土」にみられるように、夜の世界の悪魔の富を鶏鳴を利用して昼間の人間界にもってきた者が富貴になる「鶏鳴説話」も広く分布し、よく知られた「ブレーメンの音楽隊」もこの類話である。

 黒鶏は早くから黒魔術に用いられ、ヨーロッパでは黒鶏を凶兆、悪魔の象徴などとする思想が強く、ドイツ神話では地下の世界で黒鶏が鳴くとした。この神話で英雄たちを呼び覚ますとされた金鶏は、日本でも、地中に埋められて、変事を予告する、長寿を与えるなどとされ、岩手県平泉の金鶏説話が著名である。ロシアの作曲家リムスキー・コルサコフの最晩年の大作の題ともなった『金鶏』ほどではないが、白鶏を重要視する民族が多いのは、この色のニワトリが太陽と関連すると考えていた結果なのかもしれない。

[佐々木明]

民俗

ニワトリは夜明けを告げる鳥として、かつては土間の入口の上部にねぐらを設けて飼っていた家が多かった。その鳴き声を聞いて起き、仕事に出かけたのである。ニワトリの鳴き声を聞くと、夜間に活動する魔性のものは退散するという俗信から、魔物を追い払う手段としてニワトリの鳴き声をまねる話は数々ある。また、一般に時を告げるのはおんどりだが、まれにめんどりが時を告げると火事などの変事が起こるとして忌む風があり、そういう所ではそのめんどりを殺したり神社に奉納したりしたという。時を告げたあとでグーと軽く声を引くニワトリをグーヒキドリといい、飼うのを嫌う所もあったが、夜の更けないうちに鳴く宵鳴(よいなき)も、災害の起こる前兆として嫌われることが多く、逆に宵時を告げると漁があるとして喜ぶ所もあった。そのほか、ニワトリが朝早くからねぐらを出たり、鳴き声が高かったりするときにはよい天気になるといい、反対に夕方遅くまで餌(えさ)をあさっていると、翌日の天気が悪いという。

 卵とともにニワトリの肉を食用に供するのは一般的であるが、「トリ食ってもドリ食うな」といって、「ドリ」すなわち肺臓は毒として食べず、肉ばかりか卵さえも食することを嫌ったり、夢にみてさえ不吉としたりする所があった。さらには、鳴き声を聞いただけでも不幸が起こるとしたり、ニワトリということばを使わずに「ニワガラス」とか「キレア(嫌い)ドリ」とよんだりした所もあった。なおニワトリの漆黒の尾羽は、獅子舞(ししまい)の獅子の髪の毛として用いることが多い。

[最上孝敬]

文学

早くから家禽(かきん)として飼われていたので記紀や『万葉集』などにも数多くみられる。鳴き声からカケとよばれ、家近く庭先で飼うのでイヘツトリ、ニハツトリ、ニハトリなどといい、サカドリも「とさかどり」の約で鶏とする説がある。「家つ鳥」「庭つ鳥」は、「鶏(かけ)」にかかる枕詞(まくらことば)として用いられることもある。『万葉集』に「野つ鳥 雉(きぎし)はとよむ 家つ鳥 鶏(かけ)も鳴く……」(巻13)などと詠まれている。『古今集』では、都の鎮護のため四方の関に鶏に木綿(ゆう)をつけて放したという「ゆふつけ鳥」が逢坂関(おうさかのせき)景物として、「逢坂の木綿つけ鳥も我がごとく人や恋しき音(ね)のみ鳴くらむ」(恋1)などと詠まれ、また、暁に鶏の鳴き声を聞いて妻のもとから立ち去って行くという通い婚の風俗から、鶏の声は情趣的なものとして感じ取られ、『枕草子(まくらのそうし)』や『百人一首』で有名な鶏鳴(けいめい)の故事(鶏鳴狗盗(くとう))を踏まえた清少納言(せいしょうなごん)の「夜をこめて鳥のそら音ははかるともよに逢坂の関は許さじ」などの歌も詠まれた。『源氏物語』の「宇治十帖(じゅうじょう)」などをみると、鶏は宇治では鳴かず、都の景物だったらしい。季題は「初鶏(はつとり)」で、新年。

[小町谷照彦]

『加茂儀一著『家畜文化史』(1973・法政大学出版局)』『内藤元男監修『畜産大事典』(1978・養賢堂)』『田先威和夫他編『新編養鶏ハンドブック』(1982・養賢堂)』『山口健児著『鶏』(1983・法政大学出版局)』『J・クラットン・ブロック著、増井久代訳『図説 動物文化史事典――人間と家畜の歴史』(1989・原書房)』『木村唯一著『最新・養鶏ハンドブック』(1991・日本養鶏協会)』『秋篠宮文仁編著『鶏と人――民族生物学の視点から』(2000・小学館)』『全国日本鶏保存会監修、立松光好写真『カラー版 日本鶏・外国鶏』(2004・家の光協会)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ニワトリ」の意味・わかりやすい解説

ニワトリ
Gallus gallus var. domestica; chicken

キジ目キジ科の家禽。原種は遺伝子調査からインド東南アジアに分布するセキショクヤケイ(→ヤケイ)であるとされ,分類学上では同種である。しかし,ハイイロヤケイと交配したことも示され,他種のヤケイも起源にかかわっている可能性も指摘されている。家禽化は歴史が古く,どこで最初に行なわれたのかははっきりしないが,インドから東南アジア,中国などの説があり,少なくとも前2400年頃には家禽化されていた。インドでは最初は闘鶏用だったとされる。近年では多数の品種がつくりだされている。日本においては,遅くとも 4~5世紀に渡来していたものと思われる。江戸時代以降には愛玩用として多くの品種が育成され,17品種(小国種東天紅唐丸種,チャボなど)が国の天然記念物に指定されている。
産業としての養鶏が本格化するのは昭和期に入ってからである。代表的品種としては,レグホーン種(卵用種),コーニッシュ種,コーチン種(肉用種),プリマスロック種ロードアイランド・レッド種(卵肉兼用種)などがある。レグホーン種はイタリア原産で,アメリカ合衆国,イギリスで改良された。就巣性はなく,産卵能力に優れ,特に単冠白色の品種は白色レグホーン種として最も広く利用されている。また,卵肉兼用種との一代雑種は強健,早熟,多産で多く作出された。コーニッシュ種はイギリス原産。褐色,白色の品種がある。褐色品種に優性白色種を導入した白色種と白色プリマスロック種との交配種(一代雑種)が今日のブロイラー(肉用の若鳥)として養殖され,養鶏では市場性が高く主流である。コーチン種は中国北部原産で,バフ,黒・白色などの品種もある。プリマスロック種,ロードアイランド・レッド種や名古屋種などの作出に利用された。この品種は晩熟で就巣性が強い。プリマスロック種はアメリカ原産で,横斑,白色といった品種が有名。横斑はおもに採卵用に改良された。白色は横斑の突然変異品種でおもに肉用種として改良された。ロードアイランド・レッド種はアメリカ原産で,褐色,白色などの品種がある。卵色が褐色で,白色レグホーン種,プリマスロック種などとともによく飼育されている。

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百科事典マイペディア 「ニワトリ」の意味・わかりやすい解説

ニワトリ(鶏)【ニワトリ】

キジ科の家禽(かきん)。ヤケイのうちセキショクヤケイが南アジアで家禽化されたものとされる。現在は用途に応じた数百品種があり,極地を除くほとんど全世界で飼育される。雑食性。品種により姿形,羽毛,肌(はだ)色,肉冠などは多様に変化。卵用のレグホーン種,ミノルカ種,アンダルシアン種,肉用のコーチン種,ブラーマ種,コーニッシュ種,卵肉兼用のプリマスロック種,ロード・アイランド・レッド種,名古屋コーチン種,愛がん用として尾長鶏チャボ東天紅,小国,闘鶏用および肉用のシャモなど。→ブロイラー養鶏
→関連項目鶏肉

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栄養・生化学辞典 「ニワトリ」の解説

ニワトリ

 [Gallus gallus domesticus].キジ目ニワトリ属に属するトリ.鶏と書く.最も広く食用にされる鳥類.

出典 朝倉書店栄養・生化学辞典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のニワトリの言及

【家禽】より

…おもな家禽とその祖先である野生種は次のとおりである。 (1)キジ科 ニワトリ(セキショクヤケイなどをインドで約5000年前に馴化(じゆんか)),ウズラ(野生のウズラを日本で江戸時代に馴化),シチメンチョウ(ヤセイシチメンチョウを北アメリカで原住民が馴化し,16世紀にヨーロッパへ紹介),ホロホロチョウ(野生のホロホロチョウを西アフリカで馴化)。(2)ガンカモ科 アヒル(マガモを北半球の各地で馴化),ガチョウ(サカツラガンを中国で,ハイイロガンをエジプトで馴化,ヨーロッパで改良),バリケン(ノバリケンをペルーで馴化)。…

【卵】より

…かなり難しい踊りであったため,現在では〈困難な事がら〉を意味する成句になっているが,これも生命の復活を祈願する古い信仰に由来する。民話や伝説に語られる金の卵を産むガチョウまたはニワトリの話は,これらの信仰に深くかかわっており,金の卵は太陽,銀の卵は月をも表すといわれている。またギリシア建築の装飾に〈卵鏃(らんぞく)飾りegg and dart〉と称する繰返し模様があり,卵と鏃(やじり)の組合せで女と男の生殖器,あるいは両性具有を象徴するといわれる。…

【畜産】より

…農業生産は植物生産と動物生産の二つに大別されるが,養蚕を除く動物生産にかかわる農業が畜産である。畜産は家畜飼養を中心にした農業だということになるのであるが,人間生活にとけこんでいる家畜家禽(かきん)のなかには犬,猫,小鳥といった愛玩用の動物も含まれており,畜産という場合はこれらの愛玩用家畜・家禽は含めない。役用に供する,肉にする牛・・鶏・七面鳥,卵をとる,乳を搾る乳牛,毛をとるなど,生産目的に飼養する家畜が畜産の対象家畜である。…

【鶏肉】より

…〈けいにく〉ともいう。ニワトリは古代ペルシアや古代ギリシア・ローマ,そして古代ゲルマン人も,太陽の象徴として考え,食用にはしなかった。ニワトリの肉や卵を食用とするために飼育するようになったのは,西欧では中世以降である。…

※「ニワトリ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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