改訂新版 世界大百科事典 「ニワトリ」の意味・わかりやすい解説
ニワトリ (鶏)
fowl
Gallus gallus var. domesticus
キジ目キジ科ニワトリ属の鳥類で,家禽(かきん)の一つ。祖先種は東南アジアに広く野生するセキショクヤケイ(赤色野鶏)とされているが,このほか,インド西部のハイイロヤケイ(灰色野鶏),スリランカのセイロンヤケイ(セイロン野鶏),スンダ列島のアオエリヤケイ(緑襟野鶏)なども成立に関与したとする説もある(〈ヤケイ〉の項参照)。家畜化は前3000年ころにインドで行われ,これが東は東南アジア,中国に,西へはイランを経て地中海沿岸諸国からヨーロッパへと広まっていった。日本には中国を経由して前300年以前に入ったと考えられ,古墳時代の埴輪(はにわ)にもニワトリをかたどったものがみられる。現代のニワトリは卵,肉などの食料生産を主要な目的として飼われているが,家畜化の初期には報晨(ほうしん)(時を知らせること),闘鶏,愛玩が主目的であった。主要品種を飼養目的によって分類すると次のようである。
観賞用種
雄鶏の時を告げる声を観賞する長鳴鶏としては,東天紅(とうてんこう),声良(こえよし),唐丸(とうまる)など,ひと声を20秒以上も引きのばす品種が作出されている。美しい姿態を楽しむ品種としては小国(しようこく),地鶏(じどり),尾曳(おひき),蓑曳(みのひき),黒柏(くろかしわ),鶉尾(うずらお),比内鶏(ひないどり),地頭鶏(じとつこ),烏骨鶏(うこつけい),チャボ(矮鶏)があるが,蓑羽と尾羽が換羽せずに伸びつづけ,8m以上に達する尾長鶏は世界的に有名である。闘鶏用の品種にはシャモ(軍鶏),薩摩鶏(さつまどり),河内奴(かわちやつこ)がある。これらの17品種はいずれも日本で作出されたもので,天然記念物に指定されている。欧米にも各種のバンタムbantamやゲームgameが作られている。
卵用種
採卵用の品種で,体型はスマート,動作は軽快で,早熟,多産の特徴をもつ。産卵を多くするために就巣性を失っている代表的な品種は白色レグホーン種White Leghornで,これはイタリア原産であるが,アメリカとイギリスで改良された。とさかは単冠が多く,体重は雌1.6~2.0kg,卵は56g前後の白卵を年に280個ぐらい産む。年間365個の記録も作られている。最近では本種の中に作られた近交系間の交雑種や,他品種との交雑種が実用鶏として広く利用されている。
肉用種
第2次大戦前まではコーチン種Cochin(中国原産で,イギリスとアメリカで改良)やブラーマ種Brahma(インド,マレー地方原産で,イギリスとアメリカで改良)のような,晩熟だが体重が4.0~5.4kgもある大型の肉質のよい品種が採肉用に飼育されていた。最近では発育の早い一代雑種や三元交雑種,四元交雑種の雛を,生後8~10週で体重1000~1800gにまで育てあげて利用するブロイラー養鶏が盛んになってきた。この場合,雄の系統としていちばん多用されるのは白色コーニッシュ種White Cornishである。本種はイギリスの闘鶏用の品種に,白色マレー種,シャモなどを交配して作出したもので,三枚冠で,耳朶(じだ)は赤く,皮膚は黄色い。胸の肉付きがよく,姿勢が立っている。成体重は雄5.5kg,雌4.0kg。成長が早く,産卵は年100~130個と少ない。そのためブロイラー生産の雌系としては,産卵能力の高い兼用種が用いられる場合が多い。
卵肉兼用種
卵と肉の両方の生産を目的として飼われる品種で,体は丸みを帯びて肉付きがよく,卵殻は褐色である。横斑プリマス・ロック種Barred Plymouth Rockはアメリカ原産。単冠で,羽色は白に黒の横斑があり,体重は雄4.3kg,雌3.5kgぐらい。産卵能力は年に約250個であるが,日本で改良されたものは,体が小型であるが産卵能力は高く,365個の記録も作られている。本種の突然変異種である白色プリマス・ロック種White Plymouth Rockは,肉量を増す目的で白色コーニッシュ種が交配されているため,産卵数は年200個とやや少ないが産卵性に優れ,ブロイラー生産に多用されている。ロード・アイランド・レッド種Rhode Island Redはアメリカ原産の兼用種。単冠が多く,羽装は濃赤褐色。体重は雄3.9kg,雌2.9kgぐらい。産卵数は年200個ぐらいである。ニュー・ハンプシャー種New Hampshireはロード・アイランド・レッド種の産卵能力を改良したもので羽色はやや淡い褐色。速羽性で成熟が早く,年間230個ぐらい産む。本種には別に,産卵能力は若干劣るが発育の早い系統があり,ブロイラー生産の雌系に用いられる。日本で作られた兼用種としては名古屋種がある。愛知県の在来種を,バフ・コーチン種やロード・アイランド・レッド種,バフレグホーン種などで改良したものである。単冠で,羽装は黄褐色,就巣性が強く,産卵能力は年150個程度。近年減少してしまった。
飼養管理
(1)人工孵化(ふか) ニワトリは品種改良の結果就巣性を失っているものが多いから,産業的には立体式の孵卵器を用いての人工孵化が行われる。孵卵器は,就巣抱卵中の母鶏が卵に与えている条件を代行して与えるもので,種卵は温度38~39℃,湿度50~60%に保たれて21日で雛が孵化する。母鶏がくちばしで卵の位置を変える動作をまねて1日に数回転卵が行われるが,これは発生中の胚が卵殻膜へ癒着することを防ぐ。発育中の胚は,卵殻の気孔を通して呼吸しているのでつねに新鮮な空気を必要とするが,立体式孵卵器には強制換気装置がある。また入卵後,無精卵や発育中止卵を放置すれば,腐敗し有毒ガスを発生して他の卵に危険であるので,適当な時期に検卵を行ってこれらの卵を除去する。
(2)雌雄鑑別 採卵鶏では雌雛のみが有用であり,肉用鶏も雌雄を別に管理するほうが効率的であるので,孵化した雛は雌雄鑑別が行われる。雛の総排出腔を指で開き,そこにある生殖突起の形状を肉眼で見て性別を鑑定する指頭鑑別法が広く行われているが,これは増井清らによって研究開発された技術で,日本人の指先の器用さと鋭い視力を生かして,世界各国で日本人鑑別師が活躍することとなった。しかし最近では伴性遺伝形質を応用して,初生雛で外貌に性差を現す系統間交雑種の作出が試みられ,自家性表示鶏の普及が増加しつつある。
(3)育雛(いくすう) 孵化した雛は体の中にまだ卵黄が残っており,孵化後48時間は飼料も水も与える必要がないので,この間に輸送が行われる。幼雛には給温が必要であり,孵化後1週間は33℃に保ち,以後1週間ごとに3℃ずつ下げて,3~4週で廃温する。飼料は成長時期に合わせて,幼雛用,中雛用,大雛用の配合飼料を給与する。幼時にはタンパク質,ビタミンが多く必要である。雛の闘争やしりつつきなどの悪癖を防止するために断嘴(だんし)が行われることもある。5~8週齢でくちばしの先を電熱を用いた断嘴器で切りおとす。
(4)成鶏の管理 成鶏の管理方式には平飼いとケージ飼育とがある。平飼いは床にわらなどを敷いた部屋に,1m2当り4羽ぐらいの割合で大群を収容する方法で,ブロイラー養鶏では一般的である。ケージ飼育は間口25cm,高さ・奥行40~45cmの針金製の籠に1羽ずつ収容し,これを2~3段重ねて飼育,管理する方式である。面積当りの収養羽数が多く,駄鶏や病鶏の淘汰も容易であるが,施設費を要する。最近は養鶏業の規模が拡大し,機械力の導入による管理の省力化が進められて,同一鶏舎に同月齢のニワトリを収容する方式が多くとられ,全群を同時に更新するオールイン・オールアウト方式を採用する場合が多くなった。また秋に換羽に伴って産卵が低下するのを防ぐため,光線管理を行う点灯養鶏も行われている。
繁殖するための種卵を得る場合には,雌雄とも7ヵ月以上のものを,雄1羽に対して雌5~10羽を一群として飼育する。人工授精も行われることがある。
病気
養鶏の経営規模が拡大され,多数が1ヵ所で同時に飼育される場合は,病気とくに伝染病に侵されると経営上重大な損害を被る。ニワトリの病気の原因としては,ウイルス,細菌,寄生虫,原虫などがあげられる。もちろん通常の病気もあるが,飼料や環境因子は著しく改良され,発病の要因がきわめて少なくなるように規制されている。多発するおもな病気を以下に述べる。
(1)ウイルス病 (a)ニューカスル病 消化器や呼吸器が侵されるものと,神経症状を示すものがある。(b)マレック病 伝染力の強い腫瘍性の単核細胞の浸潤が,虹彩(こうさい),生殖腺,筋肉,皮膚などに認められる。(c)鶏痘 皮膚や粘膜に発痘が起こる。(2)細菌病 (a)雛白痢 Salmonella pullorumに感染した初生雛が白色の下痢便を排出する。(b)伝染性コリーザ Haemophilus para-gallinarumが病原菌で,顔面の浮腫性腫張,流涙,水様性鼻汁の漏出がおもな症状である。(3)原虫病 (a)ロイコチトゾーン病 住血胞子虫がヌカカで媒介される。(b)コクシジウム症 エイメリア属Eimeria原虫が寄生し,貧血や鮮血便,粘血便を排出する。(4)寄生虫病 主要寄生虫にはニワトリ回虫(小腸上部に寄生し被害大),ニワトリ盲腸虫(盲腸に寄生,病状は弱い),ニワトリ毛体虫(小腸粘膜を損傷),ハジラミ(13種類あり,翼羽の下や肛門周辺の皮膚面に寄生),ワクモ(小型のダニで夜間吸血)などがある。
利用
鶏肉は〈かしわ〉とも呼ばれ,肉食の風習のなかった日本人にも,古くからなじみの深い食品であった。鶏肉の質は品種の差や週齢によって異なることはもちろんであるが,一般に肉質は軟らかく,肉色淡く,味も淡白である。ブロイラーは若鶏の肉なので,昔の肉用鶏の肉に比べ,味があっさりしていて柔らかい。また部位別に見ると,手羽から胸肉は白っぽくて脂肪分が少なく,腿肉は赤みが強くやや固いが味はよい。鶏卵は良質のタンパク質や脂肪に富んでいて,各種ビタミン,ミネラルを含み,栄養価の高い優れた食品である。
→養鶏
執筆者:正田 陽一+本好 茂一
鶏の文化史
鶏ほど全世界で広く飼育され,ポピュラーな家禽はほかに類例をみない。人工的に管理された鶏舎で肉と卵を生産する,野生を失った奴婢(ぬひ)鳥とでもいえる状態におかれる以前から,鶏は経済的家禽として,すでに広く分布するに至っていたことは確かであるが,時代をさかのぼって古代に限ってみると,意外にその分布は限られていたようである。例えば古王国時代のエジプト(前2654-前2145),また古代初期のギリシア(前1000ころ)では,鶏は,まだ知られていなかった。前1600年ころインド・アーリヤ人が,アフガニスタンからガンガー河畔のインダス文明世界に移動してきたとき,彼らはこの地で初めて家鶏を見いだしたという。しかも,そこでは闘鶏競技さえ行われていたという。
ところでインドでは《アタルバ・ベーダ》にあるように,鶏はその勇気のゆえに賞賛され,夜明けを告げる鳥として尊重されていた。前1000年ころ,鶏はこれらの理由で殺すことが厳禁されさえしたのである。つまりインドでは,闘鶏競技と時を告げるものとして飼育されており,肉用という経済的動機はむしろ二次的でさえあったということになる。
家鶏の起源地は,インド,ミャンマー,そして東南アジアの山林に接した村落においてであろうと考えられている。この地域では,周囲の山林にいる野生のセキショクヤケイGallus gallusと家鶏とは遺伝的に連続しており,ヤケイの雄は里を訪れ,農家に放飼いにされている家鶏の雌と随時交尾している。つねに野生の血が家鶏に流入しているわけで,このような状態は家畜化の初期から連続してみられたと考えられる。雑草的なかたちで人里に近づき,家つき化するというかたちで人になれながら,なお野生の血を失わなかったというわけである。フィリピンやマレー半島では,バンキバヤケイの雄を捕らえ,飼いならし,闘鶏用に用いる。東南アジアでの広い闘鶏競技の分布をも考えあわせると,もちろん狩って食肉用にするということもあったであろうが,むしろ半野生的な里づき鶏を飼いならして闘鶏をさせて楽しむという動機が,鶏の家畜化の初期には働いていた可能性がある。
ところで,この闘鶏競技は,マレー,ジャワ,スマトラの原住民にとって遊びのすべてであり,そのために全財産をかけ,妻子さえも手離すほどに熱中するものであった。強いチャンピオンを作りあげるための特別の飼育法,食餌法は秘伝とされている。もちろんその風習は,中国や日本にも伝播(でんぱ)したばかりか,遠くヨーロッパにまで及び,その勝敗によって卜占する事例が,ルーマニアのワラキア地方に伝わっている。フランスでも賭を伴う闘鶏競技はかなり広く普及し,まさにガリアの地の伝統的象徴とさえなったが,現在は残酷という理由で禁ぜられ,フランス北部アルザス地方の限られた範囲内でのみ,ひそかに存続している。
他方,鶏は朝を告げる時鶏として,尊重された。日本で最初に文献に鶏が現れるのは《古事記》においてである。天照大神が天の岩屋戸に隠れ,世界がことごとく闇になったとき,八百万(やおよろず)神が常世長鳴鳥(とこよのながなきどり)を鳴かせ,天鈿女(あめのうずめ)命に舞わせて,天照大神を呼び出す話で,鶏はまさに,太陽を呼び出すものとして立ち現れている。このような象徴的神話世界とは別に,鶏の鳴声は時を知る手だてとされ,丑(うし)の刻(午前2時)に鳴くのを一番鶏,寅(とら)の刻(午前4時)に鳴くのを二番鶏といっていた。
ところで西方においても,鶏は太陽神と深いつながりをもっている。古代エジプトの新王国第18王朝のトトメス3世時代(前1490-前1436)に,鶏はすでに飼育されていたことが明らかになっているが,牛が農耕神,月の女神と連合しているのに対し,鶏は太陽神崇拝と関係をもって現れている。また古代ペルシアのゾロアスター教においても,雄鶏は,太陽,光の象徴とみなされ,犬とともに夜の悪魔を追い払うものとして崇拝されている。
他方,ペルシア人の勢力の拡大によって,前7,前6世紀ごろにはシリアやヨルダンの農耕的オアシス村落で鶏が知られるようになっていたにもかかわらず,古代セム系の人々は鶏を受容しなかったようである。旧約聖書には鶏への言及はいっさい見当たらない。牧民的生活にとって,鶏は豚とともに,なじまない家畜であったのだろうか。実はギリシアでもホメロス時代に,鶏は知られていなかったようである。ようやく,前6世紀ごろにはじめて言及され始めるが,〈ペルシアの鳥〉と呼ばれている。太陽神との関連で語られるようになるとともに,雄鶏は求愛の象徴として語られているのは興味深い。前5世紀ごろには一般に普及し,卵の利用も一般化した。ローマ時代,鶏は予見能力をもつものとして,卜占の手段となっている。第1次ポエニ戦争のとき,クラウディウスは海戦の決行を決めるにあたり,鶏が籠から出ても餌をたべなかったので戦争を延期している。中世ヨーロッパでも雄鶏は太陽の象徴であり,悪魔を追い払うものとされ,しばしば教会や家屋の屋根にその模型がとりつけられた。現代の鶏の位置に比べれば,格段の価値をもっていたというわけである。
執筆者:谷 泰
伝承,民俗
中国
鶏(雞)は家禽として人間に飼われたため,飛ぶ力が退化して俗化したが,その鳴声で黎明(れいめい)を告げることから,暗黒の夜を追い払い光明の太陽を呼び出す神秘な鳥と考えられた。《郭氏玄中記》に,蓬萊(ほうらい)の東,岱輿(たいよ)の山に扶桑の木があり,万丈もあるその頂には,つねに天雞がいて,夜の子(ね)の刻(午前零時)になると鳴き,日中の陽烏(ようう)がこれに応じ,陽烏が鳴けば天下の雞がみな鳴くとある。この古信仰から鶏は太陽を迎える霊鳥とされ,陰暦2月1日の太陽星君(日神)の縁日には,太陽糕(たいようこう)とよぶ干菓子に,めん粉製の小さな鶏の形をはりつけたり挿したりして供える風習があった。鶏は太陽信仰と縁があった。鶏が鳴けば暗くても朝がくるので,闇に跳梁(ちようりよう)する幽霊や妖怪は鶏鳴と同時に姿を消す。いわゆる〈雞鳴狗盗(けいめいこうとう)〉の故事も,時刻にかかわらず鶏鳴を合図に関門をあけたのである。また華南地方の巫女は鶏を殺した血や鶏卵をもって神を祭り占卜をした(雞卜)。
執筆者:沢田 瑞穂
日本
古くはその鳴声から〈かけ〉〈かけろ〉といい,庭で放し飼いにしたので〈庭つ鳥〉とも称した。明け方に時をつくる習性があり,神や悪霊の来往する夜と,人間の活動する昼との境目を告げる霊鳥とされた。《古事記》の天の岩屋戸神話では〈常世長鳴鳥〉と記され,太陽再生信仰との結びつきが見られる。また,魔の潜む夜を追い払うと考えられたので,昔話では例えば〈地蔵浄土〉のように,爺が鶏鳴をまねて鬼を退散させるという型の話が多く語られている。鶏の霊力は鳴声のみにとどまらない。鶏は恐ろしい目つきでにらむので,天狗がときに鶏に化けるともいい,白鶏は神慮にかなったものとされたので,祭祀用として神社で飼養され,また一般でも珍重した。《平家物語》には,白鶏を1000羽飼う家からは必ず皇后が出るとの話を載せている。神社で鶏を飼養した本来の目的は神饌(しんせん)用であったらしいが,これを神使とみなし,神前で闘鶏を行って神意を占ったりした。このように鶏は神聖化されたので,鶏肉や鶏卵を食することはおろか,その飼養もしない地方がある。反対に,荒神(こうじん)は鶏を好むというので,赤子の夜泣き封じに鶏の絵馬を奉納する例もある。鶏にまつわる俗信は多く,宵鳴きを凶兆と考えたり,鶏を使って溺死人を探索したりした。なお,地中から黄金の鶏の鳴声が聞こえるという金鶏伝説は全国的に分布している。
執筆者:佐々木 清光
医術
陰陽五行説によれば,白雄鶏(白いおんどり)は庚金(こうきん)太白の気があり,邪悪を避ける力があると信じられた。鶏が陽の精であり,雄は陽の体,頭は陽の会,東門は陽の方位にあたり純陽性をそなえているので,陰の気に勝つと考えられていたからであった。《医心方》巻二十六〈相愛方〉に収められている《如意方》の抄録の中に,3歳の白雄鶏の両足のけづめを焼いて女人に飲ませる止淫術がある。また同章には〈婦人を求めても得がたい場合〉の対策として,雄鶏の毛を焼いて灰にし,その粉末を酒の中に入れて服用すると必ず得られるという処方がある。また,南陽順陽の范東陽(范汪)の全身を潔白にする処方では,7月7日に烏鶏の血を顔や全身になん度も塗るよう指示している。烏鶏は《捜神記》《朝野僉載》や杜甫の詩にもあり,現代漢方では烏骨鶏といい,肉や骨が黒い四川原産の鶏とされている。黒は陰陽五行の水木の気を受けているため,肝臓や腎臓,血分の病気や虚熱の治療に適すると考えられていた。また,黄雌鶏は土の性に属し,坤(こん)の象意をもち,脾胃を補うとされていた。古代中国医術では頭,血,肪,腸,肝,鶏冠,糞,骨,卵黄,卵白,卵膜などが,それぞれ薬効別に使い分けられていた。
執筆者:槙 佐知子
西洋
鶏は古代人にとって神聖な鳥とされ,ギリシアやローマでは軍神アレス(マルス)や知恵の女神アテナ(ミネルウァ),医神アスクレピオスに捧げられた。ペルシアでも朝を告げる鳥として,光のシンボルとなり,その鳴声で闇の悪霊を払うとされた。ギリシアでは闘鶏が盛んであったが,ペルシア戦争で意気阻喪しかけたギリシア軍に対して,司令官テミストクレスが,勝利の名誉だけに命をかける鶏の勇気をたたえ,〈諸君は同胞のため,神々のため,祖先の墓のため,なかんずく自由のため戦っているのではないか〉と激励して勝利に導いたという話がある。勇気の手本とされたこの闘鶏は,ローマでは民衆の娯楽の一つになった。また,ギリシア人は文字を穀粒に書きつけ砂の中にバラバラに入れておいたものを鶏に選ばせ,その文字の配列からできる語で未来を占った。ローマ人は戦争開始の前や植民地をつくる前に鶏の餌のとり方による占いでことを決したという。カール大帝も国を分割するときに闘鶏で決めた。
陽光のシンボル,時を告げ,闇のデーモンを追い払う存在として,鶏は後世風見鶏になって災いを防ぎ,天気を告げる。さらに,鶏が収穫の際にいけにえにされたり,結婚式の花嫁馬車にのせられたり,新床に入れられたりする習俗は,鶏のもつ多産性と結びつく豊饒(ほうじよう)儀礼の一種とみなすことができよう。一方,黒い鶏は悪魔の動物とされることがあり,ゲーテ《ファウスト》のメフィストフェレスのように,しばしば悪魔は黒い鶏の羽を1本つけた姿で登場する。
執筆者:谷口 幸男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報