翻訳|Ossian
3世紀ごろ、イギリスのスコットランド高地地方およびアイルランドに居住した古代ケルト人の英雄フィン(またはフィンガル)の子として生まれ、ターラの宮廷に仕えた勇者で、吟唱詩人として幾多の叙事詩をつくったといわれる伝説的な人物。18世紀に至って、スコットランドの詩人マクファーソンが、オシアンの詩をゲール語から散文詩風に英訳したものと称して、『スコットランド高地地方で集めゲール語から訳した古代詩集の断章』(1760)、『フィンガル』(1762)、『テモラ』(1763)の3編を発表した。さらに好評にこたえ、1765年にこれらを『オシアン作品集』として2巻にまとめるに及び、古代ケルト世界の醸し出すその縹渺(ひょうびょう)たるロマン的情調は、イギリスのみならず、ヨーロッパ各国語にも訳され、ワーズワース(ワーズワス)をはじめ、ゲーテ、ヘルダー、シラー、シャトーブリアンら、いわゆるロマン派の作家、詩人たちに大きな影響を与えた。
しかし発表当時から、その真偽に関して論議があり、マクファーソンによる偽作とする説もかなり有力であったが、むしろ今日では、オシアン原作説はともかく、古代ケルト人の間に語り継がれた英雄叙事的主題をもとに、マクファーソン自身が英語、ゲール語両方にわたる知識を縦横に駆使して創作したものとみられている。20世紀において、詩人イェーツはアシーンOisinの名のもとにアイルランド文芸復興のシンボルとして歌っている。
[上田和夫]
『中村徳三郎訳『オシァン――ケルト民族の古歌』(岩波文庫)』
ケルト人の古歌。3世紀スコットランドの北部地方を支配していたフィンガル王の最後の生残りの王子オシアンが,一族の戦士たちの思い出を歌ったものといわれる。18世紀後半にスコットランドの詩人マクファーソンが英訳として《古歌の断章》(1760),《フィンガル》(1762),《テモラ》(1763)の3巻を出版したことによりヨーロッパ中に知られるようになった。北方の荒々しい自然を背景に繰り広げられる戦士たちの壮絶な死闘と,彼らを慕う娘たちの愛と死の歌物語は,フランスやイギリスのロマン主義運動に大きな影響を与えたが,ドイツではヘルダーの《オシアン書簡》(1773)によって真価が見いだされたあと,ゲーテの《若きウェルターの悩み》第2部の終りに,その一部がきわめて効果的な仕方で挿入されたことにより,不朽の生命を得ることになった。日本では,1971年の中村徳三郎訳によって作品の全貌が初めて明らかにされた。
執筆者:木村 直司
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…ダビッドの弟子であったジロデ・トリオゾンの《大洪水》や,ドイツのフリードリヒの《希望号の難破》なども,同様の自然の恐ろしさを主題としたものである。また,ホメロスやオウィディウスなどのギリシア・ローマの文学的遺産に対して,北方の民族的伝説を歌い上げた《オシアン》は,アングル,ジロデ・トリオゾン,ジェラールなどに霊感を与え,ナポレオンのエジプト遠征(1798‐99)によって強められたオリエンタリズムは,グロの《ジャファのペスト患者を訪れるナポレオン》やアングルの《オダリスク》などの華やかな異国趣味の世界を生み出した。 しかしながら,これらの画家たちは,主題の扱い方においては新しいロマン主義的傾向を強く見せているが,表現様式においては,なお多くの点で,古典主義の伝統を受け継いだ新古典主義の枠内にあった。…
※「オシアン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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