改訂新版 世界大百科事典 「オヨ王国」の意味・わかりやすい解説
オヨ王国 (オヨおうこく)
Oyo
西アフリカ,ニジェール川の西側(現在のナイジェリア西部州)を支配し,最盛期にはボルタ川にまでその版図が及んだ王国。ヨルバ族の創建した王国の一つである。伝承によれば,イフェ王国の創始者オドゥドゥワの末子であるオラニヤン王がつくったといわれる。建国の時期ははっきりしないが,14世紀ごろにはすでに存在し,サハラ砂漠越えの貿易の要衝として繁栄し,経済力を蓄積していた。その後ヨーロッパの進出で沿岸貿易が盛んになると,奴隷狩りとその輸出を行い,銃や弾薬を手に入れた。16世紀末,オロンポト王は周辺に見られなかった騎兵隊をつくり,軍隊を十分に訓練した。こうして精鋭な組織と武器をもったオヨは強大な軍事王国となって西および南に進み,18世紀にはダホメーと海岸部のアジャを隷属国とした。オヨの隆盛は1世紀以上にわたり,その間にも奴隷貿易で利益を得ていた。しかし18世紀後半から末にかけて王位についたアビオドゥンは,軍事力を強化せず,もっぱら自らの富の集中に心を奪われて,国力を衰退させる原因をつくった。豊かな経済状況が腐敗を促し,権力争いから内乱へ至るきっかけをつくったのである。それに加えて北東から強力なイスラム国であるフラニ王国が勢力を伸ばしつつあった。こうして19世紀に入ると,オヨは文字どおり内憂外患の状態に陥り,国力が衰えていった。内乱のなかで,アフォンジャの率いるイロリンがオヨから分離独立し,この機会を利用してダホメーがオヨに対する貢納を中止して隷属状態を脱し,さらに進出してきたヨーロッパ諸国にも戦いを挑むほど強大な国となった。この間にオヨは海岸地方と貿易ルートを失ったため,経済的基礎そのものも失った。西からはダホメー王国に,北東からはフラニ王国に攻撃されて,オヨは19世紀半ばまでには解体し,住民はその居住地域から四散してしまった。
執筆者:井上 兼行
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報