改訂新版 世界大百科事典 「ダホメー王国」の意味・わかりやすい解説
ダホメー王国 (ダホメーおうこく)
Dahomey
西アフリカ,ベニン共和国南部にあった王国。17世紀初頭から奴隷貿易と軍事力によって栄え,1894年フランスによって滅ぼされた。17世紀初頭ギニア湾岸に近いアラーダAlladaにあったアラーダ王国で3人の兄弟が王位を争ったが,その一人ド・アクリンが逃げて,現在のアボメーAbomeyにアボメー王国を建設し,これがダホメー王国の前身となった。17世紀後半ウェグバジャ王の代にダホメーと名を変えた。このころまでのダホメーは,いくつかの近隣諸国に朝貢させるだけの国であった。この周辺ではすでに奴隷貿易が盛んに行われ,海岸に近いアラーダやウィダーはヨーロッパ商人との奴隷貿易で栄えていた。ダホメーは北方で獲得した奴隷をアラーダの住民に売るだけだったが,18世紀初頭アガジャ王(在位1708-32)の代に貿易を独占すべく行動を起こし,1724年アラーダを,29年ウィダーを滅ぼした。この後ダホメーは東方のヨルバ諸国に脅かされつつも,外に対しては軍事力で,内に対しては恐怖政治で,強大な奴隷貿易王国となった。奴隷を売って多くの火器を獲得し,その火器をまた奴隷狩りに利用するという循環がうまく作用したのである。しかし18世紀末から19世紀にかけて,とくにゲゾ王(在位1818-58)の代には,その有名な恐怖政治にもかかわらず,周辺諸国やイギリス,フランスの介入によって衰えをみせ,1894年フランス領となった。
ダホメー王国の政治構造は多くの西アフリカの王国とは対照的である。王位は,先王の在位中に生まれた王子にのみ継承され(多くの王国では,王のすべての息子,あるいは王族に継承権があった),また先王から直接,王に任命された(多くの王国では,王の下にある評議会により決定)。王は絶対的な君主として君臨し,住民も財産もいっさいが王の所有物であり,王は住民に対して生殺与奪の権をもった。そしてその権力に住民を服従させるためにスパイ組織をつくり,徹底した恐怖政治を行った。これは奴隷狩りという,常に他国を侵略することによってのみ成立せざるをえない国家の,一つの宿命的な形態だったといってよい。
執筆者:井上 兼行
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報