日本大百科全書(ニッポニカ) 「カサベテス」の意味・わかりやすい解説
カサベテス
かさべてす
John Cassavetes
(1929―1989)
アメリカの映画監督、俳優。ニューヨークにギリシア系移民の子として生まれる。高校を卒業後、コルゲート大学その他の学校で中途退学を繰り返し、結局、1950年、友人に誘われるままにニューヨークのアメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツ(AADA)に入学。ここで真剣に俳優の道へと歩み出すと同時に、生涯の公私にわたるパートナーで女優のジーナ・ローランズGena Rowlands(1930―2024)と出会い、1954年に結婚。テレビや映画でのエキストラや端役(はやく)などを経て、ドン・シーゲル監督の『暴力の季節』(1956)で注目されるようになる。他方、1957年から、ニューヨークで俳優志望の若者たちとワークショップを開始、そこでの活動の延長線上に最初の監督作品『アメリカの影』(1959)が生まれる。資金はラジオ番組で協力をよびかけるなどして自らの手で集め、友人から借りた機材を使い、むろんスタジオを借りる資金などないのでニューヨークの街路が撮影現場となった。カサベテスにとって映画監督の仕事とは、俳優を支配することではなく、俳優に自由を与えることにあった。通常のハリウッド映画がそうであるように、まず物語があってその要素として登場人物が存在するのではなく、演じる俳優の実際の生活や人生を背景にしつつ登場人物のキャラクターを練り上げることで、全体の物語の流れが即興的な演技も交えて決定されていく、といったスタイルが採用され、完成した作品は、即興演出、映画に流れるジャズ、街路でのドキュメンタリー・タッチの荒々しい映像など、既成のアメリカ映画からかけ離れた魅力を備える作品となった。彼の撮る映画の多くがそうであったように、『アメリカの影』は、当初アメリカでよりも、イギリスやフランスなどヨーロッパで注目され、フランスのヌーベル・バーグなどと同時代的な「新たなアメリカ映画」として、内外の後続の映画監督たちに多大な影響を及ぼした。
こうしたヨーロッパでの評価の高まりから、ハリウッドの映画会社も監督としてのカサベテスの手腕に注目し仕事を依頼する。しかし、ハリウッド・デビューとなった監督第2作『よみがえるブルース』(1961)では、ハリウッドのメジャー・スタジオでの仕事の進め方と反りが合わず、内容的にも興行的にも失敗。さらに『愛の奇跡』(1963)では、とりわけ映画で重要な役割を果たす知的障害児の描写をめぐって、大物プロデューサーで監督でもあるスタンリー・クレイマーと激しく対立。これが原因でディレクターズ・ギルドから除名され、監督としてだけでなく俳優としても2年間にわたってハリウッドから追放される。
ハリウッドでの仕事に絶望したカサベテスは、1964年からふたたび徹底してインディペンデントな立場に戻り、ノーギャラで参加した仲間たちと白黒16ミリフィルムで新たな映画の撮影を開始する。それぞれの仕事の関係から俳優たちは、夜にだけおもにカサベテス邸に集まって半年間撮影を続けた。やがて俳優としてハリウッドに復帰したカサベテスは、『特攻大作戦』(1967)や『ローズマリーの赤ちゃん』(1968)といったヒット作に出演。それらの出演料を撮影を終えたきたるべき新作の製作資金のために注ぎ込んだ。こうして3年間に及ぶ編集作業を経て完成した『フェイシズ』(1968)は、ベネチア国際映画祭で最優秀監督賞を獲得するのみならず、計3部門のアカデミー賞にノミネートされるなど、アメリカ本国でも批評的、興行的に成功を収めた。映画会社の支配から逃れるために自らが出資し、信頼や尊敬の絆(きずな)で結ばれた常連の俳優たち――ローランズをはじめ、ピーター・フォークPeter Falk(1927―2011)、ベン・ギャザラBen Gazzara(1930―2012)、シーモア・カッセルSeymour Cassel(1935―2019)など――と長い時間をかけて撮影し、監督の単一の視点に収斂(しゅうれん)されることなく、俳優たちの複数の視点から映画を形成させていく方法論、そして、満ち足りたライフスタイルを獲得したようでいながら、むしろそのことで深刻な疎外感や虚無感に襲われるアメリカ中産階級の感情的な揺れに焦点をあてる物語。それら双方において、カサベテスの作風が『フェイシズ』でほぼ確立し、基本的に同じスタイルでその後もさらなる探求が粘り強く継続された。その後の代表作に、女優としてのローランズの魅力を前面に押し出し、アカデミー賞でローランズが主演女優賞、カサベテス自身も監督賞にノミネートされた『こわれゆく女』(1974)とその姉妹編ともういうべき作品で批評的には惨敗、後年までほとんどまともな形で公開されなかった『オープニング・ナイト』(1977)、やはり主役にローランズを据えてカサベテス作品としては例外的に一般的な知名度を誇るヒット作『グロリア』(1980)、そして彼の自宅で撮影された実質的に最後の作品『ラヴ・ストリームス』(1984)などがある。すでに『ラヴ・ストリームス』撮影中に病に冒されていたカサベテスは、1989年、肝硬変のためにロサンゼルスで死去。その後も「アメリカン・インディペンデント映画の父」としての影響力や評価は揺るぐことなく、彼の映画への敬意を表明する若手映画監督は跡を絶たない。
[北小路隆志]
資料 監督作品一覧
アメリカの影 Shadows(1959)
よみがえるブルース Too Late Blues(1961)
愛の奇跡 A Child Is Waiting(1963)
フェイシズ Faces(1968)
ハズバンズ Husbands(1970)
ミニー&モスコウィッツ Minnie and Moskowitz(1971)
こわれゆく女 A Woman Under the Influence(1974)
チャイニーズ・ブッキーを殺した男 The Killing of a Chinese Bookie(1976)
オープニング・ナイト Opening Night(1977)
グロリア Gloria(1980)
ラヴ・ストリームス Love Streams(1984)
ビッグ・トラブル Big Trouble(1986)
『『カサヴェテス・コレクション』(1993・キネマ旬報社)』▽『レイ・カーニー編、遠山純生・都筑はじめ訳『ジョン・カサヴェテスは語る』(2000・ビターズエンド)』