改訂新版 世界大百科事典 「カルナータカ」の意味・わかりやすい解説
カルナータカ[州]
Karnātaka
インド南部の州。デカン高原と西海岸にまたがる。面積19万2000km2,人口5285万(2001)。州都はバンガロール。ドラビダ語系に属するカンナダ語を公用語とする言語州として1956年に成立し,73年マイソール州を現名に改称。現名はこの地方の古名カルナードゥ(〈黒色土のくに〉の意)に由来。地形は,西から海岸平野,西ガーツ山脈,デカン高原に分かれる。海岸平野は低平かつ狭長で湿潤熱帯に属し,年3000mmを超える降水量が南西モンスーンによってもたらされる。ココヤシと米を主作物とする。西ガーツ山脈は幅40~85kmで南北に走り,南に向かうにつれ高度を高める。急崖をなす西斜面と頂上部は熱帯性樹木で覆われ,チークなどの有用材のほか,コーヒー(インド最大),ゴム,コショウなどのプランテーション農業が営まれる。デカン高原上はマイダン(〈広闊な地〉の意)と呼ばれ,高度600~900mの波浪状高原が,所々に花コウ岩の巨岩からなる島状丘を屹立させて広がる。降水量も600~900mmで半乾燥地帯となる。北部では黒色土が,南部では赤色土が分布し,これに対応して非灌漑耕地では,北部はモロコシ,綿花,ラッカセイを,南部ではシコクビエを主作物とする。谷筋では溜池,用水路をもとに米,サトウキビが栽培される。
カルナータカの名は《マハーバーラタ》に出現する。北部地方は前1~後2世紀には北のサータバーハナ朝,6世紀にはチャールキヤ朝に服属した。8~10世紀にはカンナダ人王朝ラーシュトラクータが成立し,その下でカンナダ文学・建築などが発展した。12世紀ころに始まるイスラム教徒(ムスリム)勢力の侵攻に対抗して,ヒンドゥー教徒勢力として再興したのが,州中部のビジャヤナガルに首都をおくビジャヤナガル王国(1336-1649)であった。これらの諸王朝はデカン高原と西海岸を版図に収め,海上交易を重視していた。カンナダ語圏の西海岸への拡大もこのような歴史的基盤にもとづいている。18世紀にはヒンドゥー王家を倒したムスリム王家のマイソール王国が成立した。同王国は4次にわたってイギリスとマイソール戦争を戦ったが,1799年のティプ・スルターンの戦死により崩壊した。イギリスは旧ヒンドゥー王家を再興してマイソール藩王国とし,独立までいたった。
同藩王国は,クリシュナラージャ・サーガラ・ダムを建設して,灌漑や水力発電にもとづく工業化など,英領下の藩王国では例外的な開明的施策を行った。大規模ダムによる総合開発は,独立後もトゥンガバドラー川などでなされた。南東端のコーラール県の金・銀山はインド唯一のものであり,また南西部のチクマガルール県にはマグネサイト,鉄鉱石が豊富に埋蔵され,バドラーバティには製鉄所がある。工業は伝統的な絹サリー製造のほか,バンガロール市に航空機,機械,電機などの近代工業が立地し,諸研究所,大学とあいまって同市を産業学術都市たらしめている。
執筆者:応地 利明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報