改訂新版 世界大百科事典 「カンザスネブラスカ法」の意味・わかりやすい解説
カンザス・ネブラスカ法 (カンザスネブラスカほう)
Kansas-Nebraska Act
アメリカ合衆国のルイジアナ購入地域のなかのミズーリ川とロッキー山脈に挟まれた地方に,カンザスとネブラスカの2準州をおき,移住民に開放した法律で,1854年5月30日成立。奴隷制の可否を住民自身に決定させるという〈人民主権〉の原則をこれらの準州に採用した同法は,北緯36°30′以北の準州で奴隷制を禁止した1820年の南北妥協案〈ミズーリ協定〉を正式に撤廃した。この法律は,ミシシッピ川以西への移住民の増加という背景の中で,西部の発展,シカゴ以西の大陸横断鉄道建設を願うイリノイ州の民主党連邦上院議員スティーブン・ダグラスが推進し,西部を奴隷制に開放することを主張した南部議員の支持をうけた。しかし同法はカンザス準州における自由派と奴隷制支持派のあいつぐ衝突をひきおこしただけでなく,ホイッグ党の分裂と弱体化,自由土地を主張する共和党の出現をうながし,アメリカは南北対立の激化,そして南北戦争への道を急速に歩みはじめる。
執筆者:井出 義光
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報