日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミズーリ協定」の意味・わかりやすい解説
ミズーリ協定
みずーりきょうてい
1819~21年に、アメリカ合衆国でミズーリの連邦加入の際、奴隷制度をめぐって南部と北部の間に成立した協定。1803年の「ルイジアナ購入」によって得られた土地の一部分であったミズーリには、フランス領時代から奴隷制度が存在していた。当時奴隷州と自由州は同数であったが、連邦議会上院では南部、下院では北部が優勢であった。そこで下院は、19年2月ミズーリの連邦加入について、同地域の奴隷制度の漸進的廃止を条件とするニューヨーク出身のJ・タルマッジの修正案を可決したが、上院はこれを否決した。その後奴隷制度をめぐる激しい論争を経て、結局、当時マサチューセッツ州から分離して連邦加入を申請していたメーンを自由州とし、これに、ミズーリは奴隷州として認めるが、同州を除いて今後ルイジアナ購入の残りの部分では、北緯36度30分以北に奴隷州をつくらないというイリノイのJ・B・トーマスの修正案を加えることにより、20年3月に南北の妥協が成立した。
この後、ミズーリが起草した州憲法中の、自由黒人の州内移入を禁ずる条項が連邦議会で問題となった。しかし翌年ふたたび妥協が行われ、ミズーリは、合衆国市民の権利を奪うような条項を州憲法中に設けないことを条件に、ようやく連邦に編入された。こうして南北の対立は一時的に鎮静し、メキシコ戦争のころまで奴隷州と自由州の均衡が保たれたが、「一八五〇年の妥協」を経て、54年のカンザス・ネブラスカ法で、住民主権の原則の導入によって、北緯36度30分以北に位置するカンザスが奴隷州になる可能性が生まれたことで、ミズーリ協定は無効となった。
[竹本友子]