ゲオルゲ(英語表記)Stefan George

デジタル大辞泉 「ゲオルゲ」の意味・読み・例文・類語

ゲオルゲ(Stefan George)

[1868~1933]ドイツ詩人。高踏的詩誌「芸術草紙」を主宰芸術至上主義を唱えた。詩集魂の一年」「生の絨毯じゅうたん」など。

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精選版 日本国語大辞典 「ゲオルゲ」の意味・読み・例文・類語

ゲオルゲ

  1. ( Stefan George シュテファン━ ) ドイツの詩人。同志とともに詩誌「芸術草紙」を発刊、フランス象徴主義の影響下に当時の自然主義的傾向に反対し、芸術至上主義を唱えた。代表作は「魂の一年」「生の絨緞(じゅうたん)」「盟約の星」「新しい国」など。(一八六八‐一九三三

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改訂新版 世界大百科事典 「ゲオルゲ」の意味・わかりやすい解説

ゲオルゲ
Stefan George
生没年:1868-1933

ドイツの詩人。ライン左岸の町ビンゲン近くのビューデスハイムBüdesheimの生れ。生家は豊かなワイン商。父方はロートリンゲン,母方はビンゲン付近の出で,ゲオルゲ自身はフランスの血を強く意識した。カトリックの信仰厚い無口な母親に似ていた。少年の頃すでに孤高の風があり,語学の才に恵まれロマンス語風の秘密語を作って表現の孤城を築こうとした。ギムナジウム卒業後ヨーロッパ各地を旅行。パリでマラルメに会い,大地を神秘的に解くことを詩人の天職とする考えと,言語表現が純粋美の法則に従う実例とに触れ,長く消えない影響を受けた。1892年創刊の雑誌《芸術草紙》はパリ体験の成果のひとつであり,彼を指導者とするゲオルゲ派の基盤となった。作品集は初版刊行のとき,ほとんどが私家版であった。詩編の特徴は連作形式,独自の活字句読点名詞の頭に小文字を用いる。初期は伝説に取材した《アルガバル》(1892),《架空庭園の書》(1895)等。中期は自然に彩られる《魂の一年》(1897),《生のじゅうたん》(1900)。ゲオルゲがギリシア的人間理想の肉化を見た,若年の詩人マクシミーンとの交友と彼の早死衝撃から生まれた3詩集,《第七輪》(1907),《盟約の星》(1913),《新しい国》(1928)がある。これらの作品の主要部は一貫して連作形式で,ゲオルゲの詩魂の働く様態を映している。翻訳家としても優れ一家言を持ち,ボードレールダンテ,シェークスピア等の訳を〈作り変え〉と称した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ゲオルゲ」の意味・わかりやすい解説

ゲオルゲ
げおるげ
Stefan George
(1868―1933)

ドイツの詩人。ライン河畔のぶどう酒販売業者を父に、ビンゲン郊外に生まれる。1888年ダルムシュタットのギムナジウム卒業直後から全ヨーロッパを遊歴、生涯定住の地をもたなかった。1933年ナチス・ドイツを去りスイスに移住、ロカルノ近郊で死去。詩業の開始は少数グループによる高踏的機関誌『芸術草紙』の創設であった。自然主義文学に強力に抗議し、厳格な節度と紀律に基づく形式意志を貫いた叙情詩によって時代の空虚さに対抗し、美と神秘の王国の建設を目ざした。ここには、古代ギリシア再生を願望したヘルダーリンの精神的ゲルマニアの形姿、ニーチェの英雄的貴族的な生の感情、フランス象徴派詩人の芸術観とイギリス・ラファエル前派の美の信仰が故郷のローマ的ドイツ的伝統と一体となって息づいている。彼を中心とする結社をゲオルゲ・クライスという。主要作品に『魂の一年』(1897)、『生の絨氈(じゅうたん)』(1900)、『第七輪(だいしちりん)』(1907)、『新しい国』(1928)などの詩集と、ダンテ、ボードレール、シェークスピアらの翻訳がある。1976年にビンゲンのシュテファン・ゲオルゲ・ギムナジウムにゲオルゲ記念文庫が開設された。

[林 秀之]

『手塚富雄訳・編『ゲオルゲ詩集』(岩波文庫)』『『ゲオルゲとリルケの研究』(『手塚富雄著作集3・4』所収・1981・中央公論社)』

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百科事典マイペディア 「ゲオルゲ」の意味・わかりやすい解説

ゲオルゲ

ドイツの詩人。ホフマンスタールリルケとともにドイツ近代詩を代表する一人。マラルメを通してフランス象徴主義の影響を受け,純粋な言語芸術としての文学を主張し,高踏的な詩誌《芸術草紙》(1892年―1919年)を刊行,ゲオルゲ派(ベルトラム,グンドルフら)を形成。のち神秘的・予言者的態度に転じ,民族主義的傾向を強め,ナチスの賛美を受けたが,1933年スイスに亡命し,同年ロカルノで死んだ。
→関連項目カントロビチ世紀末

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ゲオルゲ」の意味・わかりやすい解説

ゲオルゲ
George, Stefan

[生]1868.7.12. ビューデスハイム
[没]1933.12.4. ミヌージオ
ドイツの詩人。富裕なぶどう酒商の子として生れ,ライン地方に残る古代ローマ文化の伝統とカトリックの雰囲気のなかで育った。 1889年パリでマラルメをはじめとする象徴派詩人たちを知って強い影響を受け,当時のドイツの自然主義的ないし社会主義的傾向に抗して高踏的な機関誌『芸術草紙』 Blätter für die Kunst (1892~1919) を刊行し,貴族主義的,唯美主義的文学の確立に尽力。のちに少年マキシミンへのギリシア的愛を経て古典的文化の再生を志し,警世的予言者的姿勢を強めていく。ナチスの政権獲得前スイスに亡命し,その地で没した。生前は過度に神秘化されていたが,ドイツ近代詩に革新をもたらした功績は大きい。詩集に『魂の一年』 Das Jahr der Seele (1897) ,『生の絨緞および夢と死との歌』 Der Teppich des Lebens und die Lieder von Traum und Tod (99) など。

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世界大百科事典(旧版)内のゲオルゲの言及

【グンドルフ】より

…本名は,F.Leopold Gundelfinger。当時のドイツ文学の自然主義的傾向や,社会の実証主義的風潮に抗して,純粋な言語芸術としての文学を標榜したゲオルゲ派に属した。1920年にハイデルベルク大学の文学史の教授となり,ゲオルゲ派の歴史・芸術理論に基づく精神史的労作を次々に発表した。…

【男色】より

… また近代文学の大家たちの男色傾倒は壮観というほかない。プラトンを教皇としソクラテスを使節とする善なる教会の従僕であることを誇ったP.ベルレーヌとその相手のJ.N.A.ランボー,民衆詩人W.ホイットマン,社会主義運動にひかれた詩人E.カーペンター,男色罪で2年間投獄されたO.ワイルド,S.ゲオルゲなどがとくに知られているが,彼らばかりではない。ゲーテは《ベネチア格言詩》補遺で少年愛傾向を告白し,A.ジッドは《コリドン》で同性愛を弁護したばかりか,別の機会にみずからの男色行為も述べ,《失われた時を求めて》のM.プルーストは男娼窟を経営するA.キュジアと関係していた。…

※「ゲオルゲ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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