サルミエント(その他表記)Domingo Faustino Sarmiento

デジタル大辞泉 「サルミエント」の意味・読み・例文・類語

サルミエント(Sarmiento)

アルゼンチン南部、チュブト州の町。パタゴニア地方に位置する。恐竜などの古生物についての公園や州立博物館がある。新生代初期の樹木の化石が点在する、ボスケペトリフィカードへの観光拠点。

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精選版 日本国語大辞典 「サルミエント」の意味・読み・例文・類語

サルミエント

  1. ( Domingo Faustino Sarmiento ドミンゴ=ファウスチノ━ ) アルゼンチンの作家、政治家代表作「ファクンド、すなわち文明野蛮」はラテンアメリカ文学の古典といわれる。一八六八~七四年大統領をつとめ、特に教育の普及に力を注いだ。(一八一一‐八八

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改訂新版 世界大百科事典 「サルミエント」の意味・わかりやすい解説

サルミエント
Domingo Faustino Sarmiento
生没年:1811-88

アルゼンチンの政治家,大統領(在任1868-74),文筆家。サン・フアン州の貧家に生まれ,小学校を卒業後,遠縁のホセ・デ・オロ神父の手引きでラテン語や古典を学び,また彼とともに早くから農村子弟の教育に携わった。1828-31年,統一主義派の陣営に加わって,連邦派のファクンド・キロガ軍と戦ったが敗れ,チリに亡命した。チリでは教員,鉱山夫などを務め,36年に一時サン・フアンに戻って,雑誌《エル・ソンダ》を刊行し,また当時ヨーロッパからブエノス・アイレス市に伝わったロマン主義思潮に触れ,その信奉者となった。40年チリに再び亡命し,ジャーナリストとして健筆を振るうかたわら,19世紀のラテン・アメリカにおけるロマン主義文学の最高傑作といわれる《ファクンド--文明と野蛮》(1845)を発表した。同書はカウディーリョのファクンド・キロガの伝記という形を採りつつ,当時の独裁者ロサス批判したものであり,国の後進性の原因をスペイン的伝統や粗野なガウチョの存在に求め,西欧移民の誘致や教育の拡充による文明化=西欧化を提唱していた。52年ロサス政権の崩壊後はこうした理念の実践に努め,57年にブエノス・アイレス市の参事官,さらに教育局長,州議会の上院議員に選出され,62年にはサン・フアン州知事となった。63年外交使節としてアメリカに派遣され,教育者ホーレス・マン夫人らとの親交を得,普通教育の拡充の必要性を痛感し,大統領時代には,教育問題に力を入れ,在任中に学校数を1082から1816,教員数を1778から2868へと増大させ,70年にはパラナ市に師範学校を設立した。こうした功績からアルゼンチンでは教育の父と評され,彼の命日(9月15日)は教師の日とされている。そのほか,大統領時代にはヨーロッパ移民の誘致や鉄道の敷設などの近代化・西欧化政策に努めたが,彼の欧化論が大きな影響力をもった結果,民族意識が希薄となり,ひいては国の対外的従属性を強めたという批判が民族主義者によってなされている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サルミエント」の意味・わかりやすい解説

サルミエント
Sarmiento, Domingo Faustino

[生]1811.2.14. サンフアン
[没]1888.9.11. アスンシオン
アルゼンチンの政治家,作家,教育者。大統領 (在任 1868~74) 。内陸部の貧家に生れたが,独学で当時のヨーロッパ自由主義思想を身につけ,青年期より政治運動に身を投じた。 1840年チリに亡命し,当地で作家としての地位を確立した。 45年 J.ロサス独裁政権を批判する目的で著わした『ファクンド-文明と野蛮』 Facundo,o la civilización y la barbarieはラテンアメリカ文学の最高傑作の一つといわれている。 52年のロサス失脚後,故国で政治家,教育者として活躍し,大統領時代には,外国移民の奨励,初中等教育の普及にすぐれた業績をあげた。徹底した反スペイン主義者で,アメリカ模倣を唱え,後代に大きな影響を与えた。 52巻から成る全集がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「サルミエント」の意味・わかりやすい解説

サルミエント
さるみえんと
Domingo Faustino Sarmiento
(1811―1888)

アルゼンチンの政治家、大統領(在任1868~74)。文筆家で教育者でもある。サン・フアン州に生まれる。17歳のときに中央集権派に加担して連邦派との抗争に参画し、のちチリに亡命し、ジャーナリストとして健筆を振るうかたわら、1845年に19世紀ラテンアメリカにおけるロマン主義文学の最高傑作といわれる『ファクンド――文明と野蛮』を発表した。同書では、国の後進性=野蛮を打破するために文明の導入=西欧化の必要性を強調したが、大統領時代には文明化の具体策としてヨーロッパ移民の誘致や教育の普及などを実施した。なかでも、学校の増設や師範学校の設立に大きな成果をあげ、アルゼンチンでは「教育の父」と評されている。

[松下 洋]

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百科事典マイペディア 「サルミエント」の意味・わかりやすい解説

サルミエント

アルゼンチンの政治家,大統領,文筆家。サン・フアン州の貧家に生まれ,早くから農村子弟の教育にたずさわる。1828年から統一派の陣営に加わるが敗れてチリに亡命し,ラテン・アメリカのロマン主義文学の最高傑作といわれる《ファクンド――文明と野蛮》(1845年)を発表して,当時の独裁者ロサスを批判。1862年サン・フアン州知事,1868年大統領(1874年)となる。特に教育問題に力をいれ〈教育の父〉と呼ばれる。ヨーロッパ移民の誘致,鉄道の敷設などの近代化,西欧化政策に務めた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「サルミエント」の解説

サルミエント
Domingo Faustino Sarmiento

1811~88

アルゼンチンの大統領(在任1868~74),教育者。ロサス独裁時代にチリに亡命,教育とジャーナリズムに携わり,1845年に代表作『ファクンド-文明と野蛮』をチリで発表した。52年のロサス失脚により帰国し,大統領としてアメリカをモデルにした教育制度の充実や,ヨーロッパからの移民受け入れを通じて欧米化,近代化を図った。

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